Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥-7 5本の矢

2022-09-24 17:12:53 | 国際政治・財閥

 


マイアーは、ヨーロッパにロスチャイルド帝国の基礎を築くために、5人の息子たちを、それぞれ矢を放つようにヨーロッパの主要都市に配しました。 ロンドンに配した3男のネイサンについてはすでに述べました。

長男のアムシェル・マイアー(父親の名をひっくり返した名前)は創業の地フランクフルトに留まりますが、次男のサロモンがウィーン、4男のカールがナポリ、5男のジェームズがパリに配されました。



そしてマイアーは、息子たちに、それぞれの国の政治有力者に贈り物・貸付・投資機会などの賄賂を与えることで、特権を獲得してビジネスで成果を上げるよう、徹底的に指導したのです。

1810年9月にマイアーと5人の息子たちがパートナーシップ契約を結んでいます。 フランクフルト・ロスチャイルド商会の資本金を、マイアー48%、アムシェル24%、サロモン24%、カール2%、ジェームズ2%として、利益や損失もこの出資比率で分配することとしました。



マイアーの出資分には、当時ナポレオン戦争のため表面上関係を絶っているように見せていたネイサンの持ち分24%が含まれていました。 

また、この契約によって、同商会はM・A・ロスチャイルド・アンド・サンズ(M・Aはマイアー・アムシェルの頭文字、サンズは息子たち)と称することになりました。



注目すベきは、遺産の処分にあたっては、5人の兄弟は平等に5分の1ずつ相続するということ、事業は5人の息子たちのみが携わり、娘や娘婿は口出しする権利も、帳簿を見る権利も与えられないということです。

男子の跡継ぎが生まれなければ、お家断絶となります。





マイアーが遺した4つの家訓
1812年にマイアーが手術の古傷が悪化してなくなる2日前、弁護士を呼んで遺言を書きとらせ、4つの家訓を遺しました。 


1、長男がロスチャイルド家の当主(総主)となること。本家も分家も長男が継いでいくこと。
  ただし、一族の多数が同意した場合は例外も可で、早速1812年にやり手の三男ネイサンが総主
  に選ばれました。


2、いとこ同士の結婚など一族内の結婚によって財産の分散を防ぐこと。 
  五男ジェームズが1824年に結婚したのは次男サロモンの娘ベッティ、才女にしてパリ社交界の
  花形でした。これ以来、ロスチャイルド家では近親結婚が相次ぎます。 

  マイアーの孫は18組の結婚のうち16組が従兄弟従姉妹同士の結婚でした。 その後も約半分が
  一族同士の結婚をするという傾向が続きます。 

  ただし、女性の側ではさほど厳密には守られませんでした。 厳格な家訓への反抗心もありまし
  たが、一族以外の大金持ちのユダヤ人と結婚することは財産を大いに増やすことになりました。

  娘たちがユダヤ人以外と結婚するケースもあり、ネイサンの孫娘ハナが後のイギリス首相ローズ
  ベリー卿に嫁ぐなど、富裕な貴族と結婚して閨閥を広げていきました。 


3、一族の財産を秘匿すること。 財産を裁判所その他の場所で公表しないこと。遺産についても、
  法的措置をとらず、いかなる形でも絶対に公表しないこと。


4、一族は間断なく連携すること。 一族の財産を統一的に管理すること。そして、当初の共同経営
  者とその男系子孫のみが会社を帰営すること。




ちなみに、このような既定の仕方で一族を保全しようとする処置は、日本の三井家の三井家憲(享保7年、明治33年)と共通しています。ロスチャイルド家と三井家とは歴史的立場や家の性格に通じるものがあります。




・日本の三大財閥の一つで、世界で最も古い歴史を持つ財閥は住友財閥https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c20f898fe02c3047a9e0f3e8971b583e

・世界最強の財閥・ロスチャイルド家より古い歴史を持つ住友家https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/851659949fd3bf4aa65d9f6c0a13940a

・三井財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6d0bb2d7f4aaf01429a8671faf7d590b

・三菱財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ff1869da00b5825eccba224f6c98762c

 



そもそも伝統的にユダヤ人は身内のことについて外部に話しません。 常に迫害を受けてきた歴史から学んだ防衛策です。 そのなかでも、遺言にあるロスチャイルド家の秘密主義は徹底しています。

五男のジェームズが伝えるところによると、「父は、永遠の別れのときに、(中略)我々が緊密にむすびついていること、そして彼の創設した銀行の運営を共同で続けることを求めました。
 

彼はスキタイ(古代の騎馬遊牧民国家)の王の行為を語りました。 この王は死の床のまわりに息子たちを集め、はじめ強く縛った矢の束を差し出します。誰もそれを折ることはできません。しかし、次に王は矢の束をほどき、一本一本の矢を次々に折っていくのが容易であることを示しました。 

『君たちは強力であるだろう。君たちが離れ離れになる日に、君たちの繁栄の終わりが始まるだろう』


日本の「三本の矢」の逸話に通じます。



フランクフルト・ゲットーのユダヤ人として、長きにわたて外界から攻撃を受ける状況にいたロスチャイルド家の人々の鬱屈と緊張は、外界への反発とともに、彼ら内部での禁欲主義と強固な「連帯」を生み出していたのです。

この頃、マイアーが自宅に掲げていた楯章は、フランクフルト市章を模したもので、赤い盾に描かれた一羽の鷲の爪から五人の息子を意味する五本の金の矢が広がるようにあしらわれていたのが特徴でした。





その後も、現在に至るまで、「五本の矢」はロスチャイルド家の誇るべきシンボルであり続けています。





ロスチャイルド・ネットワーク
また、ロスチャイルドの強みは、5人の息子による、5つの商会だけでなく、的確な第林の配置でそのネットワークは強化されました。 

代理人には、イタリアのローマなどに毎年派遣される代理人、スペイン・ハバナ・ニューオリンズ・リオデネジャイロなどでの取引に都度派遣される代理人、北西フランスに派遣される常駐の国内代理人、そして国外に派遣される常駐の在外代理人の4タイプがありました。



常駐の在外代理人は、独自の銀行の開設を許され、ロスチャイルド家の「支店」のように機能しました。 彼らは、現地の政治的な領域でも相当の立場を築きました。 

ブリュッセル(ベルギー)、マドリード(スペイン)、ニューヨーク(アメリカ)に優れた常駐の在外代理人が派遣されましたが、特に1835年頃にニューヨークに移り住んで大活躍したのが、オーガスト・ベルモントという人物です。



ロスチャイルド家が、ヨーロッパの5都市に加え、それ以外の都市にも卓越した代理人を配置して構築した「広域で迅速な情報網」は、ロスチャイルド家に先行してイギリスを拠点にマーチャント・バンク(国際的な銀行)を大々的に展開していたベアリング家も及びもつかないものでした。







・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦いhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16

・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

・ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d3a104615c2562e9e9e56f8b87d8e2fb

・ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5d6c686e25057050e0bc970e0d133912

・ロスチャイルド財閥-1 先祖
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ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い

2022-09-24 12:26:35 | 国際政治・財閥

 

 

コーエン家のハンナの妹ジュディスは、1812年、モーゼス・モンテフィオーレ(1784年-188年)と結婚しました。 

モーゼス・モンテフィオーレの母親はロンドンの有力な地金ブローカーであるモカッタ家の娘でした。


 
モカッタ家は、イングランド銀行が求める金銀のブローカーとして一大勢力を形成し、同時に、イギリスのマーチャント・バンク界においてネイサンにとっての強敵であったキリスト教徒のベアリング家に金塊を運んでいました。

モーゼス・モンテフィオーレはネイサンの株式仲買人となり、以降、モンテフィオーレ家はロスチャイルド家のビジネスパートナーとなりました。



ちなみに、モーゼス・モンテフィオーレは、1835年から1874年前までの間、イギリス最大かつ最古のユダヤ人共同体組織である「ボード・オブ・デピュティーズ」(ユダヤ人代表委員会、1760年設立)の会長を繰り返し務め、史上最長の在任期間を果たしています。 

ネイサンは、ハンナの姻戚関係を利用してモカッタ家の閨閥(けいばつ;妻方の親類を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係)の中に入りこむことに成功しました。 そして、それを梃子(てこ)に巨大なベアリング家に戦いを挑んでいったのでした。 



ベアリング商会(ベアリングス銀行)は、シティで最古の1762年に、フランス・ベアリングによって創業され「女王陛下の銀行」とまで呼ばれた名門マーチャント・バンクです。

当時、ロスチャイルド家に先んじて、インド貿易やアメリカ投資、さらにはフランスでの商売で巨富(きょふ)を築き、ヨーロッパ一の商人として君臨していました。



1810年、ネイサンはロンドン証券取引所の大商いでベアリング家と争って勝ち、以来数年間、ナポレオンに対抗するイギリスがヨーロッパ同盟諸国に提供した累計4200万ポンドの半分を調達する強大な力を得ました。

そして、シティに君臨していたベアリング家総帥とゴールドシュミット兄弟が亡くなると、彼が無敵の王者としてシティを動かし始めます。



なお、1810年以降、金融の力に魅せられたネイサンの判断により、ロスチャイルド家は密貿易をはじめとする物品の商いを停止し、金融ビジネスによって巨利を得ることを方針としました。

ちなみに、革命家のカール・マルクスとフィリップス電機創業者のフレデリック・フィリップスは、ハンナの従兄ナネット・コーエンの孫で、すなわち2人はロスチャイルド家とつながっています。



 

(関連情報)

・フィリップス財閥 (ロスチャイルド家と縁戚関係)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c37fe1b33f4e7f76239b0d1d048ebfc1

・ジーメンス財閥
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・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
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・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生
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ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番

2022-09-24 10:31:30 | 国際政治・財閥

 

 

1803年、61歳になったマイアーは、デンマーク政府に莫大な金額の貸し付けを行いました。政府への貸し付けは、これ以降、ロスチャイルド家の最も得意な分野となり、マイアーとシティに移ったネイサンとが連携していきます。

同年に始まったナポレオン戦争の時期、「自由主義」を掲げるフランス軍が占領地でユダヤ人開放政策を実施し、ロスチャイルド家らドイツのユダヤ人はそれまでの束縛から解放されました。 



法律によって、ユダヤ人は平等を享受し「市民」となったのですが、マイアーがユダヤ人の権利獲得のために金(money)の力で働きかけた成果も大きかったのです。 そして、フランス軍撤退後も、ユダヤ人に対する縦前(たてまえ)の社会的な規制はすぐには復活しませんでした。

ナポレオン戦争中、ヴィルヘルム9世は、莫大なお金をロンドンに蓄えて、1804年頃から、正式にネイサンに運用させました。 



彼はヴィルヘルム9世の資金をイギリス国債で運用しながら、そこで得た金(Gold)を元手に、貴金属の投機で利益率20%という法外な利益を上げていきました。

ヴィルヘルム9世は、ナポレオン戦争においては、ナポレオン軍とイギリス・オーストリア同盟軍に二股をかけようとしました。 



しかし日和見(ひよりみ)を許さないナポレオン皇帝は、1806年10月、大軍をヘッセンに差し向けたため、ヴィルヘルム9世は国外逃亡を余儀なくされます。

彼は、ヘッセンに残したヨーロッパ一の巨額の財産や債券の管理をマイアーに秘密裡に託しました。 



ロスチャイルド家は、ナポレオン軍の監視をかわしながら、通商路の活用などで優位を築き、ヨーロッパ中でヴィルヘルム9世の債権の管理にあたるとともに、事業に投資し、彼の財産を守り、自らも莫大な利益を上げたのでした。 ヴィルヘルム9世のかなりの財産を騙し取ったとの説もあります。

オーストリア皇帝や他の諸侯も、この時期に密かにマイアーの世話になりました。 オーストリア皇帝は彼に武器を持つ権利、いくつかの税金の免除、領内での移動の自由という特権を与え、諸公は彼に勲章を授けました。



ロスチャイルド家は、1806年にナポレオンが発した大陸封鎖令をものともせず、イギリスとヨーロッパ大陸との間で、盛んに密貿易を行いました。 

ネイサンは封鎖をかいくぐるために命知らずの船乗りの一団を雇い、続々と海を渡らせて貨物を大陸に送りこみました。



かねてより、マイアーが貸し付けによって恩を売っていたフランクフルトの大公は、警視総監に密貿易への捜査が近いことをマイアーに内通させ、ロスチャイルド家はいつも難を逃れることができました。

この1806年、ネイサンはイギリスのユダヤ人富豪レヴィ・ベアレント・コーエンの娘ハンナと結婚します。 これにより、彼は、イギリスの織物やインドの産物などをヨーロッパ大陸へ密輸するコーエン家の事業を引き継ぐことになります。



 

(関連情報)


・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

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2022-09-24 05:38:21 | 国際政治・財閥

 

 

綿花と染料で莫大な利益
1798年頃、マイアーの3男ネイサンがイギリスに派遣されました。 ネイサンは、最初、マンチェスターの織物業界に入り込み、産業革命で大量に安価で生産されていた綿製品を、ナポレオン戦争(1803年-1815年)の混乱で、品不足に陥っていたドイツで販売し、莫大な利益を上げました。

マイアーは、イギリスの綿製品の製造業者から送り込まれたセールスマンをドイツに長く引き留めておいて、最大量の注文を受けさせました。 



その間、ネイサンはマンチェスターで、綿花や染料を買い占めました。 最大量の注文を受けたセールスマンがドイツからマンチェスターに戻ると、製造業者は原料をネイサンから買わなければなりません。

ここで、彼は高値で売って暴利を得たのでした。原料を手に入れることができなかった製造業者は、注文主のマイアーに多額の違約金を払わねばならなくなるからです。 



ネイサンは綿製品取引で儲けた資金を元手に、1804年、ロンドンの金融街シティに移り、マーチャント・バンカー(国際的銀行家)になります。 





金融街シティの誕生
ここで、金融街シティの歴史について簡単に紹介します。 16世紀後半、エリザベスⅠ世の時代に、シティは他のヨーロッパの取引所を抜いて、優越的地位につきました。 

シティは大英帝国のあらゆる覇権的な事業に参加し、1588年にはシティの予算でスペインの無敵艦隊に対抗するため20隻の艦隊を結成しました。 シティはアイルランドやアメリカの植民地化にも手を貸しました。 



1694年、英仏戦争で財政が悪化したイギリス政府が借り入れを受けるために、国王の承認により豪商などを株主としてイングランド銀行がシティに設立されます。

同行は、18世紀を通じて政府へ戦争資金の貸し付けを行い、政府は、まとまった金額を返済できないほど借り入れ残高を増やしました。 



また同行は、海外へ軍事資金を送金する業務も請け負いました。 後にネイサンは、この政府御用達(せいふごようたし)のイングランド銀行にも触手を伸ばすことになります。




(関連情報)

 

・ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d3a104615c2562e9e9e56f8b87d8e2fb

・ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5d6c686e25057050e0bc970e0d133912

・ロスチャイルド財閥-1 先祖https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e6dc2f2ded6425f4bb68d3d1783ebb

 



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・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
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ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商

2022-09-24 03:36:20 | 国際政治・財閥

 

ロスチャイルド財閥の創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドはヴィルヘルム公に気に入られて宮廷御用商に任ぜられ、公がイギリス政府から受け取る傭兵代金の小切手を割り引いてがっぽりと儲けるようになりました。

小切手・手形を割り引くとは、受け取った小切手や手形を、取引銀行や手形割引業者に買い取ってもらうことです。



マイアーは、ヴィルヘルム公の父親フリードリッヒ2世にも食い込んでいて、その威光を利用して政界に足場を築き、王一族の秘密もことごとく把握して、商売に利用していきました。彼は商売にかけてはどこまでも貪欲で抜け目がありませんでした。

マイアーは裕福になると、1785年に、ゲットーのユーデンガッセ148番地の「緑の盾(Gruennes Schild:グリーン・シルト」と呼ばれるそれまでより、大きな5階建ての家に移り住みました。

 

 この建物の内部はふたつの区画に分かれていて、一方にロスチャイルド家が住み、もう一方にはシフ家が住んでいました。 「船」をドイツ語で「Schiff:シフ」といいます。

当時からずっとシフ家は、ロスチャイルド家と密接不可分でした。 後の19世紀世紀の半ばになってからの話ですが、シフ家の子孫ジェイコブは、目先の利く少年で、ビジネスの大志を抱いて、1865年、18歳のとき、南北戦争後のアメリカへ移住します。

ちなみに、日本での明治維新は1868年-1889年。



優れていた彼は、ロスチャイルド家の代理人としてウォール街の世界的銀行家となります。

信仰心厚いジェイコブの父は銀行員でしたが、祖父以前は代々ユダヤ教のラビ(宗教的指導者兼学者)を務めました。


ヴィルヘルム公は1786年、父フリードリッヒ2世の死に伴い、ヴィルヘルム9世となり、ヘッセン=カッセル方伯(ほうはく:諸侯の呼称)を継承し、当時ヨーロッパ最大級(=恐らく世界最大級)と言われた資産を相続しました。 

マイアーのフランクフルト・ロスチャイルド商会は、1789年頃、ヘッセン=カッセル方伯の正式な金融機関に指名され、借款(しゃっかん:国際間の貸借)の仕事にも携わるようになりました。



1801年頃からはヴィルヘルム9世の個人資金運用も委託され、大きな投資事業にも参加しはじめました。 マイアーの手案により、傭兵代金は、イギリスで直接投資に回されることになりました。

彼は、このイギリスで投資に回された金を横領し、ロンドンにいる3男のネイサン・ロスチャイルドに運用させたといわれています。



さらに、マイアーは「情報」をビジネスに結び付ける仕組みを考えました。

神聖ローマ帝国の「駅伝郵便長官」職を世襲し、ヨーロッパ全土の郵便事業を独占していたテュルン・タキシス家と、彼は緊密な関係を築き上げました。



同家は、ヴィルヘルム9世やロスチャイルド家の内偵(ないてい:気づかれないよう、こっそりと探ること)として活動するようになり、時には、郵便に託された重要文書を不法に開封し、内容をヴィルヘルム9世やマイアーに伝えたり、彼らに有利になるように手紙を急送したり、遅配したりの操作を行いました。

このようにして、マイアーのビジネスは、1790年代にヨーロッパ中で急速に成長し、マーチャント・バンカー(国際的な銀行家)としての姿を現していきました。



ちなみに、フランス革命は、1789年7月14日から1799年11月9日です。




・ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5d6c686e25057050e0bc970e0d133912

・ロスチャイルド財閥-1 先祖
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・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
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