国境警備隊の組合団体メンバーと壇上に立ち、演説するトランプ前米大統領
(13日、アリゾナ州)=ロイター
米国に幽霊が出る――。男尊主義という幽霊である。
ジェフリー、57歳、中西部オハイオ州出身の黒人男性。米首都ワシントンの街角で会うたび、立ち話するようになって3年半が過ぎた。「自分は一昔前の民主党員。オバマ元大統領まで支持した」。ホームレスの境遇を脱し、飲食店勤務などを通じて自立した。
自立しようともがいた半生への自負は、自立するつもりのない人まで助ける民主党政権への不信を生んだ。
動物の群れを率いる最強の雄である「『アルファメール』が必要だ」と確信し、2016年大統領選挙から共和党のトランプ前大統領の支持に転じた。「女性嫌悪主義ではない。男として生きることが好きなだけだ」
役割が脅かされていると感じる男性
民主党大統領候補のハリス副大統領は「女性」を前面に出すことを控えている。
男性の反感を買って「ガラスの天井」を無用に厚くする必要はないからだ。それでもトランプ氏は「女性だが、どういうわけかうまくやっている」と見下し、「知的障害者」と呼んで差別を助長することも気にしない。
米国で半世紀前に80%ほどだった男性の労働参加率は68%前後に下がった。
大学の入学者や学位取得者の数は女性が男性を上回り、自らをリベラルと認識する若い女性も増えた。学歴も資格もなく、社会における「男の役割」が脅かされていると感じる男性労働者層の目に自国の未来は暗く映る。
世論調査で女性の過半はハリス氏、男性の過半はトランプ氏を支持し、中でも「男らしい」と自認する男性は6割超がトランプ氏支持との調査結果もある。
弱者に甘んじたくないジェフリーのような思いを頭から否定はできない。だが、その鬱屈は反知性主義や反エリート主義と結びつき、男らしさによりどころを過度に求める男尊主義をはびこらせる。
人種や学歴、中絶問題などの溝よりも深く、性別という大断層が米国を分断している。
没落感や怒りを抱く白人男性労働者を核としてきたトランプ氏の支持基盤は「男性全体」に広がった。
排外主義、孤立主義と連動も
「女性を大統領にする考えに納得できないだけではないか」。
オバマ氏が10日、ハリス氏支持をためらう黒人男性に向けて「真実」をぶつけると、「侮辱だ」と反発が広がった。マチズモ(男性優位主義)という言葉を生んだラテンアメリカ系だけでなく、「黒人男性にも男性優位という保守の伝統がある」とデューク大のケリー・ヘイニー教授は指摘する。
若い世代も例外ではない。南部ノースカロライナ州の白人男子大学生でトランプ支持者のコディー・ミラーさんは「実力よりアイデンティティーを利用する政治は信じない」と話す。
7月の共和党大会でトランプ氏の登場曲はジェームス・ブラウンの「マンズ・マンズ・ワールド」だった。
対するハリス氏の選挙集会は、かなり様相が違う。同性愛の支持者が目立ち、ネバダ州で会ったレズビアンのカップル、ティフとアルは「結婚して22年。後戻りしたくない」と話した。
ハリス支持者の性認識は多様に広がる。
多様な価値観や性意識を示す参加者が目立つハリス副大統領の演説集会(8月、ラスベガス)
「信じがたい性差別」。トランスジェンダーの20歳女性は、実父でトランプ支持者の起業家イーロン・マスク氏を糾弾した。
ハリス氏支持の歌手テイラー・スウィフトさんが「子なしの猫好き女」と名乗り、出産経験をあがめる保守派にあてつけると、マスク氏が「私が子供を授けるよ」とX(旧ツイッター)に書いたからだ。
大統領選は「娘の夫(男性)ではなく、リーダーを選ぶのだ」(保守派の女性)という認識はあっても、米社会を後退させるような風潮が漂う。
『性の再考』の著者クリスティン・エンバさんは「女が男の役割を奪うとの不安は必ずしも真実ではないが、感情はときに真実より重い」と語る。
性別の大断層は、譲歩と妥協で合意を探る政治の働く余地を奪った。
他者より優位に立つことに固執する男尊主義は政策にも投影され、内政は排外主義、外交は孤立主義に傾く。
女性の守護者を気取るトランプ氏は、身勝手な理由で他国の支配を企てる独裁者と心を通わせることもためらわない。
「機会ある米国」の再生を
ではハリス氏が11月5日の選挙に勝てば、幽霊は消えるのか。それは楽観がすぎるだろう。
黒人初のオバマ大統領の誕生はトランプ氏という反動を生んだ。ハリス政権の誕生も新たな反動を招くと考えておくべきだ。様々な対立をのみこんできた米国の民主主義の懐の深さが問われる局面が続く。
健全な民主主義には堅実な暮らしを営む中間層の太い幹が要る。50年前、米国の働き手の4分の1近かった製造業は今、8%強にとどまる。
製造業復活にアメリカンドリーム再生を賭けるのは分が悪い。とはいえ単なるばらまきで富を分配しても、怒りを抱く人々の傷ついた自尊心は癒やせない。
希望はハリス氏の言葉にある。
知識や技能を身につける機会を分かち合い、それぞれが自分らしく生きる「機会ある経済」だ。
他者の役割を決めつけ、異質な存在を疎外する発想では世界の才能を集めて中間層の厚みを取り戻すことはできない。
選挙スローガンに終わらせず、「機会ある米国」の再生に取り組む。勝者となった際の責務だろう。
米国は衰退しているとトランプ氏はあおる。確かに今の米国に世界を作り替える力はないだろう。
しかし、自ら変わろうとすることはできるはずだ。米国が変われば、世界もきっと変わる。