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世界大戦の主原因は石油 米国市場に侵入する石油業界のナポレオン、そして日本

2023-03-19 00:57:32 | 麻薬・阿片・石油

世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4c30b30442f48694cf4c907373148457
からの続き

 

石油業下のナポレオン、デターディングの米国市場侵入

既に紹介したよ、英国の石油政策は自分のものは貯えておいて、他人のものは汲み出す作戦でした。サン・レモ協定にも明らかのように、フランス勢力圏内の石油を自分の支配下に置こうとする企みは、条文の節々に見られるし、メキシコ石油戦もその老獪な政策の現われであったと言えます。

英国石油業界を代表するデターディングは、大胆不敵にもロックフェラーの牙城である米国侵入を企みました。 ちょうど、スタンダード石油帝国が反トラスト法の裁きを受けて崩壊した時、デターディングは「石油業界のナポレオン」の名に背向かず、米国内の石油地帯に支店を設けることに成功しました。

すなわち、1914年、彼はカリフォルニア州のコーリンガ油田を買収しました。 彼はこの新会社にロイヤル・ダッチ臭のある名前を付けず、カリフォルニア油田会社としたのです。 そんため、この会社の正体が広汎な英国石油トラストに属しているとは、一般に気づかれませんでした。

ついで、米国石油産地の心臓部に進撃し、オクラホマ州ロクザナ石油会社が生まれ、デターディングの最大の小会社となります。それまでは名もなかったオクラホマの中心部に忽然(こつぜん)としてロクザナ石油都市ができ、そっくり英国石油王国の植民地の景観を呈するに至りました。

米個人労働者のヤンキー式の騒ぎ、そして消費者も米国人、しkしこれを支配するのは英国資本であり、監督に当たるのも英国人、さらに金を設けるのも英国人でした。

1915年になると 、堂々とシェルを名乗ってカリフォルニア州シェル社団が設立されました。 その生産額は最初500万バレルで、米国産額のわずかに2%に過ぎませんでした。 まさにほとんど無視できるほどのものでしたが、デターディングの攻勢は辛辣になってきます。

彼は米国資本によって、米国自身の石油を攻撃しようとの老獪な作戦を立てました。この作戦によって、米国の最大財団モルガンの敵であるクーン・ローブ商会を抱き込んで、シンジケートを組織させました。

 

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ここで、モルガン財閥、ロックフェラー財閥、クーン・ローブ財閥、ロスチャイルド財閥の関係を簡単に紹介しておきます。

米国政財界を支配しているのはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)のロックフェラー財閥とモルガン財閥です。そしてロスチャイルド財閥とクーン・ローブ財閥は、ユダヤ系で、クーン・ローブのジェイコブ・シフは、ロスチャイルド家と同じくフランクフルトのゲットー出身で、親戚関係に当たります。

クーン・ローブ財閥は、日本では日露戦争の時、お金を貸してくれたくらいでしか有名ではありませんが、アメリカを代表する大銀行で、ロックフェラーの顧問、さらに資金融資で、ロックフェラー財閥を育てた財閥です。 

欧州のロスチャイルドはアメリカ市場参入を企てるも、当時メリカではユダヤ人差別があり、参入できなかったので、英国ウェールズ出身の敬虔なプロテスタントのモルガンを、アメリカでの代理人としてロスチャイルドはアメリカ市場に参入しました。だからモルガン一族は巨大財閥になれたのであり、最盛期は、GE、GM、ATT、USスチール、カーネギー、NY鉄道などを金融支配し、アメリカの陰の政府とまで言われていました。

 

だから、国際金融財閥の序列は、今でも以下の通り。
ロスチャイルド > クーン・ローブ > ロックフェラー > モルガンです。

ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af41696ec05203f68b46d63b897e9b3d

 

また、2013年(平成25年)11月7日(木) 18:00-赤坂にあるANAインターコンチネンタル東京ホテルの37階(アリエス ⅠⅡ)で、ロスチャイルド・ジャパンのアレクサンドル・ド・ロスチャイルド会長(当時、日本ロスチャイルド社長に就任を機会として)を交えての、プライベートな会合がありました。政治家・メディアは呼ばれていないので、一切の報道はありません。

そこで配布された資料には、ロスチャイルド家の全総資産約500兆円で、ほかに傘下に、Mediaでは、英国新聞タイムズ、ザ・サン(Sun)、ロイター通信、ABC、CBS、NBCのアメリカ3大TV Network、ロイヤル・ダッチ・シェル石油、BP(英国石油)、デビアス(ダイヤモンド鉱物株式会社=独占)、リオ・チント・ジンク(金・ウラン)、ロッキード、AT&T、ネッスル(Cofee)、フィリップ・モリス(タバコ独占)、ブルック・ボンド(紅茶)、デュポン、コカ・コーラ、ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス、米国FRB(米国連邦準備銀行:日本の日銀のような公的機関でない)、ウェストミンスター銀行、フランス銀行、パリ国立銀行、イングランド銀行、香港上海銀行(HSBC)、アラブ投資銀行、ウォルト・ディズニー、リーマン・ブラザーズ、クレディ・スイス、映画産業ハリウッドも傘下。  とあり、本で読んだのとほぼ同じだと思いました。

 

ロスチャイルド財閥-196  ロスチャイルド7代目当主 Alexandre de Rothschild 
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eb9df5eb208317312b0a1bf276cdbde2
ロスチャイルド財閥ー197  Bloomberg ロスチャイルド、7代目の後継者が就任へ-5月に最高幹部交代
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/22264fa7af5870581605b9e01f2cd1f7

 

ロスチャイルド家の金融資産は、現在、3Group構成で、
1. Edmond de Rothschild Group(本拠地スイス総資産 140億スイスフラン)
2.The Rothschild Group(本拠地ロンドン 総資産100億ユーロ)
3.RIT(Rothschild Investment Trust)Capital partners(本拠地ロンドン 総資産22億ポンド)

現在、ロスチャイルド家の代表は1,2,3組織の2系に位置づけられ、第7代目の後継者が、Alexandre de Rothschild(アレキサンンドル・ド・ロスチャイルド、略称Alex.Rothschild)との事です。 

1940年代、アメリカ議会の調査報告によると、ロスチャイルドは、アメリカの富の約2倍、世界の富を半分を支配していたとされていますが、本当にすごい一族です。 まあ、本当はケイマン諸島などのタックスヘイブンを使って、マネーロンダリングし、資産隠しをしているでしょうけど。

そして、今日、世界の金融業界でのニ大投資銀行は、①ユダヤ系のゴールドマン・サックス(ロスチャイルド系)と ②モルガン・スタンレー(モルガン系)です。

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本題に戻ります。

デターディングは、米国資本によって米国自身の石油を攻撃しようと老獪な作戦を立てました。この作戦によって、米国最大財団モルガンの敵のクーン・ローブ紹介を抱き込んで、シンジケートを組織させる。 それはロイヤル・ダッチ・シェルの株を買い込み、これを確保しておいて、更に多額の「米国人相手」の株式を売りに出しました。

米国石油人(オイルマン)は不平を言うし、世間も騒ぎましたが、米国投資家は貪欲にもぉれに食いついてきました。 こうして、デターディングは米国の金によって、対米攻勢を拡大していくことができたのです。

彼の胃袋はますますぐくれていき、ロクザナ石油会社はオクラホマ州の群小油田を片っ端から自分の勢力下に取り込んでいきました。カリフォルニア州の会社も次第に発展し、一時はその石油生産額は倍増し、州内で第二位を占めるようになったのです。


デターディングの英国国家はやがて米国各州に翻るようになりました。 ニュー・オリンズ、ウッド・リバー、イースト・シカゴ、セント・ルイス、カリフォルニア及びウィルミントンの各地に製油所が創立されました。

英国資本最初の送油管(パイプライン)が、オクラホマ州の油田からセント・ルイスまで敷設されました。 ついで、シェル経営の送油線管(パイプライン)が蜘蛛の巣のように中西部地方に張り巡らされ、遂にはシカゴまで延びて、油槽船(タンカー)によって、カナダや海外に石油が輸送できるようになりました。

仮フォルニア州にもデターディングの送油管(パイプライン)が敷かれたのは、もちろんの事です。 貯油庫が米国各港に建設され、多くの油槽船(タンカー)が購入されました。これらの油槽船(タンカー)は続々と米国石油を国外に積み出し、海外における従来の米国石油と競争する役目を持っていました。

カリブ海のオランダ領キュラソー島には、デターディングの大製油所が建てられました。 作戦的に見て、この島はパナマ運河往復の重要航路線上にあったっています。 かかる施設は、米国のシェル石油を支配する上に必要なもので、その生産額は飛躍的に増大していき、1921年とその翌年の生産数字を比較すると、二倍以上にはねあがっています。

ロスチャイルドがバックにいる、デターディングのこの攻勢には何ら非合法なところはありませんでした。 いかに米国の反トラスト法を不利かあしてみたところで、この世界最大のトラストの米国侵入を防ぎとめることはできません。 注意深い法律顧問をおき、反トラスト法に触れないような作戦をめぐらしさへすれば、散り散りばらばらに刻まれた米国諸会社の間に入って、油田の開発に従事することができるのです。

反トラスト法には、外国カルテルや支社を禁止する法文は見当たりません。デターディング資本はこの地で、公然と従属会社を経営していくことができました。 それどころか、これらの会社はシャーマン法の庇護をうけており、かつ国外の大トラストを背後に控えているという状態でした。 こうして、デターディングはスタンダード石油を小間切れのように切り刻んだ法理の隙間に食い入ってくることができたのです。

 

石油界のナポレオンは実に懸命な手を打ちました。 米国資本の競争社会は足並みをそろえて互いに助け合って。これに対抗できなくなっていたために、あるいは敗北して倒れ、あるいは激化する競争に混乱をきたすという有様です。英国石油トラストの在米従属会社のあげる利潤は怒涛の如く米国外へ流れていき、海外市場における軍資金となり、英国の株主を微笑ませる結果となりました。

英国は自己の勢力圏内の土地を傷つけることなく、石油業界に確固たる地位を占めることができたのです。 デターディングの政策は、エドウィン・マッケイ・エドガーが希望的に予言したように、米国が英国から石油を買わなければならない日を近づけれいるかのように思われました。

 

 

 

あえぐ米国石油

このようにデターディングの美国に於ける横暴を助成したものは何か? それは反トラスト法でした。この法律は、結局『米国人を制限して、外国人を歓迎する』といことになったのです。

今や米国国民もこの恐るべき英国禍を警戒せざるを得なくなったのです。 しかし、スタンダード石油に対する反感は一夜にしてくつがえるものでありません。 それに再び石油企業が合同して、生産を抑制して価格を吊り上げるような、さきに第大スタンダード石その油・トラストが執ったような手口をやられては、一般消費者も黙ってはいられません。 かつ、今まで無制限に発達してきた石油企業は、いかに国内石油の枯渇の危険が近づいたからと言って、一朝一夕に制限することもできそうにありません。

米国における石油資源の問題は差し迫ったか後なってきました。 いうまでもなく、石油は液体であり、地下を流れています。その地帯の真ん中にいる地主が地中を掘れば、そこから噴出する石油は隣接地帯の石油も汲み出します。従って、一つの油井があれば、その周囲にデリック(クレーンの一種)が築かれ、競争的に石油はくみ上げられてしまいます。

反トラスト法の制定によって、こういった自由競争が助長されました。 この問題の根本に遡ると、土地の所有者はその土地の地上権と共に地下権をも持っているという米国の法律が禍いすることになってきたのです。

従来のように、個人の利益のみを尊重した法律が、国策運営上の障害となっているのを自覚し、米国政府は対策を講じなければならなくなりました。 そのためには、反トラスト法に触れるところがあっても仕方ないのです。 1924年、連邦石油保存委員会が組織され、石油起業家が互いに共同戦線を張るべき機運をつくりましたが、これは米国土における外敵は計算に入れていませんでした。

カリフォルニア州のヴェンチュラ油田では、数社の石油会社が申し合わせて、その油田を一部分閉鎖することにしました。 協定によって、従来の1/4の量を節約することに決定しました。これらの会社の中に、カリフォルニア州シェル会社も一枚加わっていましたが、同業者間の協定を尊重して一部の油井を閉鎖しました。 

他州に先駆けたこの措置は、来るべき石油保存問題の洗例となるので、識者の注目するところになっていました。 しかし、生産制限実施後、数ケ月して、シェル会社は他社が全力を挙げて石油採取を再び開始しつつある事実を発見しました。彼らはヴェンチュラの石油をシェルに分けるのを望まなかったのです。 ここに1/4生産制限の協定は破れて、再び競争状態に入ってしまいました。

 

 

 

シグナル・ヒル事件

シグナル・ヒルは南部カリフォルニアのロングビーチに臨んだ丘で、全面美太平洋を望む景勝の地でした。週末の旅行地として新たに開けつつある土地でした。 このシグナル・ヒルを一望の中に収める位置に、米国系の石油会社が油井を持っていました。この会社に属する地質学者は、窓の外に眺めるシグナル・ヒルをただの別荘地として見ており、その下に石油が眠っていることに気づきませんでした。

シェr会社はそれに気が付き、試掘してみるとおびただしい湧出量でした。 別荘地はたちまち、油田と化しました。バンガローを建てるために買った土地は鰻上りにはねあがり、へそくりで買った小地主は財産持ちに、そして石油業者が買い煽ったために,地価は青天井。 

こうした競争の間に、シェル会社が700エーカーの土地を買収すれば、他社も広大な範囲に権利を獲得。バンガローは片っ端から取払われて、デリック(クレーンの一種)が林立しました。一時は驚異的な数字を出した石油生産額も、間もなく衰退の一途トたづるようになったのは、こうした競争によるものです。 こうしたデターディングの攻勢は、米国政府の悩みの種でした。上院のフェラン議員は次のように指摘しています。

 

『英国は世界の石油の1/2を所有し、1/4を生産をしているが、合衆国は1/6を領有し、3/4を生産している。 このままいけば、英国は18年間に消費される米国資源を、どうにかして減少させようとしているのである』

 

このような懸念を排除するために、1920年の一般借地法によって、連邦政府は国内の石油会社に対し、その株主の中に米国人市民意外の者を加えてはいけないということを強制する権限を得ました。 その結果、カリフォルニア州に於けるシェル関係の会社は、その株主が米国人であることを証明する文書を提出するよう要求されたのです。 これは明らかにデターディングに対する反撃でした。

 

 

ティポット・ドーム事件

ハーディング大統領下の内務長官フォールは、「スタンダード石油派勢力得ねばならぬ」とのスローガンの信奉者で、露骨にデターディングに挑戦しました。 その一例として、デターディングがオクラホマ州のオーセイジに借地権を得ようと長い出てきたとき、その土地は政府保護下の土地であるから、米国人以外に貸与することは出来ないとの理由で拒絶しています。

しかし、フォール内務長官は有名なティポット・ドーム疑惑事件に連座して失脚することとなりました。スタンダード石油やその他国内石油会社の忠実な番犬は、尾を巻いて大さんしなければならなくなったのであります。 米国海軍は将来戦に備えて国内の石油源を海軍用として保存しておくため、1909年、三油田地方を海軍保存油田に指定し、開削を禁止しました。 第一号地はカリフォルニア州エレク・ヒル、第二号地は同州のブエナ・ヴィスタ、第三号地はワイオミング州ティポット・ドームであります。

しかし、これらの保存油田も隣接地帯の採掘に禍されて、枯渇の恐れが増大してきたので、1920年には海軍長官の権限を拡大し、隣接地他の開削についても制限を加えることができるようにしたのであります。 しかし、フォールが内務長官に就任して後、その政策は一変しました。

更に軍縮会議開催直前の1921年に、海軍首脳部会議の席上、来るべき対日戦を予想する場合、ハワイの真珠湾その他の作戦基地に燃料庫を建設して、いつでも必要に答えるだけの石油を充たしておくべき意見が出ました。これはフォールと思うところと同じであったので、彼は海軍保存油田を民間会社に開発させ、これにより上がった利益金によって石油タンクを建設し、かつこれらのタンクにセキユを充填させることとしました。 かかる権限は海軍長官に属していますが、申し合わせによって、この権限を内務長官が自由に駆使したのであります。

こうして、1922年4月、フォールは密かにマンモス石油会社のハリー・インクレアに対して、海軍保存油田第sン号ティポット・ドームの借地権を与えました。

ついで、同年12月には、パン・アメリカンのエドワード・ドーニーに権利を与えたのです。 これらは軍事上の機密に属するために、極めて秘密裏に、それぞれの会社とフォールの間に協定されました。ところが、後に至って、フォールと石油会社との間に不正が行われていたことが発見されました。 フォールはシンクレアから26万ドルの金を国債によって貰っており、ドーニーからは無利子無担保で現金10万ドルを借りていたのです。 これが有名なティポット・ドーム事件の全貌です。

この事件のためにフォールは失脚し、ワーク博士が後任となるに及び、デターディングは借地権の獲得に成功したのです。

その作戦たるや実に巧妙を極め、しかも凱歌をあげています。シェルは米国海軍の石油を日本向け販売していることが明らかになってきました。どうしてこのような不合理がおこなわれていたのでしょうか。 海軍保存油田第一号地はカリフォルニア州のエルク・ヒルですが、ここの借地権はホノルル石油会社に賦与されていました。ホノルル石油はこれをスタンダード石油に転貸していましたが、期限が切れると共に、スタンダード石油はその更新方を交渉しました。 

ところが意外にも、ホノルル石油は既に他社と契約を決定していました。シェルが莫大な権利金を出して買収していたのです。シェルはこの油田から汲み出した石油をどしどし日本の支社に輸送していました。

このような皮肉な行為が暴露するに及んで、海軍長官は対策を講じるための委員会を設定し、米国海軍用石油が外国の手に渡らない方法を研究することになりました。現在の法律ではシェルの行為には、なんら非合法な点が見いだせないからです。 米国はデターディングの方がいt枚上であることを痛感させられましたが、これを如何ともすることができませんでした。

議会は一般借地法を通過させ、米国内における石油業者は必ず米国国民であるべきを規定していました。 しかし、この法律による土地は公有地に限られていて、個人所有地に関しては除外されており、従って石油生産額にはほとんど影響がない有様でした。

 

一滴一滴、また一滴と、デターディングは米国の石油を枯らしていきました。世界の石油生産額の69-72%は、米国の地下から汲み出されていきました。 しかも、米国は国内に侵入している外敵に対して、何ら対策を施すことができない。 そこで遅ればせながら、海外の石油資源獲得のために、国内の業者と一丸となって共同戦線を張り、英国に対して報復しようと計画しました。

上院議員フェランは「米国石油社団」とも呼ぶべき。米国石油会社の企業団を組織し、海外資源獲得に協力すると共に、外国における敵国の反撃に備えようとの案を提出しました。

この案が英国を敵としたことは、火をみるより明らかです。 しかし、米国の政治家はスタンダード石油に対して偏見を抱いており、かかる共同戦線がトラストの再現ちなるのを恐れていたので、このフェラン法案は簡単に葬り去られてしまいました。 

今回も、反トラスト法成立のときのように、ロスチャイルドの工作が米国内であったかどうかは分かりません。 反トラスト法が成立した時は、スタンダード石油の前にデターディングが率いるロイヤル・ダッチ石油会社とマカス・サミュエル率いるシェル輸送会社が苦戦していた時で、ロスチャイルドが助け舟を出し、仲介して、ロイヤルダッチ石油会社とシェル輸送会社が合弁を組み、ロイヤル・ダッチ・シェル(現・シェル)が設立され、ロスチャイルドもこの新階差の株主となった時でした。 

そしてあまりにタイミングよく、米国内で反トラスト法案が成立し、石油王ロックフェラー率いる最強のスタンダード石油が解体された時期でした。

 

 

 

世界の石油資源探索に乗り出す米国およびスタンダード石油

米国石油資本の海外進出の邪魔になるは、いうまでもなくサン・レモ協約です。 「米国は外国における石油をたくさん取れ」との政府方針に従い、スタンダードの踏査員(出かけて行って調べる人)は世界各地に向かって市出発しました。 ある米国人踏査員(とうさいん)は1919年10月イスラエルの死海の沿岸にやってきました。

パレスチナの統治者たる英国将軍は、何の躊躇もなくこれを捕らえてエルサレムに拘禁(監禁)しました。強すぎです。 米ウィルソン大統領は厳重な抗議を提出しましたが、英国はパレスチナは新たな法案が発布するまで一切の踏査が禁じられている旨を答えただけです。

同じような事件がメソポタミアでも起こりました。その他の英国植民地はもちろんその保護圏内に於いても、米国人は完全にっシャットアウトされていました。 そして、こうした英国の石油政策を条約化し、強化したのがサン・レモ協定でした。 米国の急務はサン・レモ協定を撃破して、「外国における石油を拓さん取る」ことです。 ウィルソン大統領の抗議がカーゾン卿によって一蹴されるや、国務長官コルビーは再び爆弾的抗議をつきつけました。

 

『米国政府はメソポタミア全体に対して貴国が特殊利権ありとされる根拠は明確ならずとも思惟するものなり。 委任統治国はその委任統治に於いて自国に有利なる性質の独占をも樹立するに非ずとの我が政府の確信に鑑み、余はメソポタミア石油開発に従事すべき一切の私設石油会社が常に英国の統制下にあるべきを規定するサン・レモ協定に対し、その意義を理解するに能わず』

 

この抗議に対して、英国のカーゾン卿は、現在メソポタミアに於ける英国の権利は大戦前トルコ石油会社が得ていた権利を単に再確認したもので、世界大戦とも全然関係なく、委任統治とも別問題であるとし、単に戦前ドイツが持っていた株式をそのままフランスに譲渡したものに過ぎない旨を弁明した。ついで、米国政府論難の充填たる、石油資源は国籍に関係なく。これが開発を開放すべしとの一点は、英国政府とまったく一致しているが、しかし現在世界の石油生産の70%を占める米国が、この地の石油開発にまで支配の手を伸ばさねばならぬとの主張を正当化できない旨を強調した。

しかし、米国は黙ってはいませんでした。ついに英国を威嚇するため、旧ドイツ植民地に対する委任統治の問題は再審議すべきであることを要求する旨の覚書を国際連盟に提出しました。この威嚇に驚いた英国政府は、アングロ・ペルシャン(英・イラン)石油会社社長ジョン・カドマンを米国に送りました。

カドマンは、スタンダード石油の首脳部と商議を重ねましたが、その内容は発砲されていないとはいえ、結果から見て米国に対して譲歩したことは明らかです。 メソポタミアのトルコ石油会社の株式は、アングロ・ペルシャン50%、ロイヤル・ダッチ25%、フランスに対して25%、の割で分配されていました。 この割合は訂正されて、アングロ・ペルシャン(英・イラン)の持ち株の半分tる25%はスタンダード石油に譲渡されました。 交渉では米国の勝利です。

米国の抗議は英国に対すると同様にオランダに向けられました。オランダはいうまでもなくシェル財団の味方ですが、デターディングングは祖国の政府に対してオランダ領東インド(インドネシア)のジャンビ油田に対する独占権を得ようとしました。ジャンビ油田は400万エーカーにわたる広大なものでした。

デターディングは何の反対もなく独占権を得たので、その付属会社であるバタフシェ石油会社に採掘させることにしました。米国のスタンダード石油とシンクレアはかねてかねての割り込みの件があったので、黙ってはいられません。国務省に対して抗議を陳情。ここにワシントン政府は再び門戸開放主義の旗を押し立て抗議しました。しかし。これに対しオランダ政府は米国の「門戸開放」は米国ン氏において実行されておらず外国資本が不当に制限圧迫されている時日をあげて欧州し、ここにきて米欄交渉はとん挫しますが、米石油業者のヒューズは、オランダ駐米大使に対して訓令を送り、オランダ政府はオランダ領東インド(インドネシア)に於いて他国の会社に対するのと同様の便宜を賦与すべしとの抗議を提出しました。

そして、もしオランダ政府が米国政府の要求を受け入れない場合、米国におけるオランダ系会社の土地利用を禁止するだけでなく、場合によってはオランダしぃう品をボイコットすると脅し、遂にオランダは譲歩をやむんなくされ、スタンダード石油は意気揚々としてスマトラ半島に乗り込みました。

スタンダード石油の子会社頃にある石油会社は、事業を開始しました。 1923年には、わずか1万3千トンしか生産していませんでしたが、1927年には16万6千トン、1936年には205万8千トンに達しました。それはロイヤル・ダッチのオランダ領東インド(インドネシア)における生産量若半分に当たります。

インドネシアにおける石油投資総額は約10億フロリン(オランダ、イギリス、ドイツ連邦でかつて使用された通貨の単位)で、その半分はオランダのもので、残り半分を英・米・日の三国が分け合っています。しかし、その外国投資の3/4まではシェル財閥に抑えられています。

支那事変前まで、日本は輸入石油の1/4をインドネシアに仰いでいました。インドネシアは極東における唯一の石油産地であり、日本にとっても重要な石油供給地です。 

 

次の投稿に続く

 

 

 

(参考 本件、今までの投稿)

世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4c30b30442f48694cf4c907373148457
世界大戦の主原因は石油  英米 vs ソ連(ロシア)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/716c20c7e9b5f6da55384c38513cc0cd
第一次世界大戦の主原因は石油 死の商人ザハロフ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6b5f8da6b280295600c593cd8ed50141
第一次世界大戦 本当の主原因は石油
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d703a4b6c6cf41438a0dd8907308e261
日本市場でのロイヤル・ダッチ・シェル vs スタンダード石油 販売戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f9b0c8415ececd8eb83f86f3c2271c80
極東における血みどろの石油販売戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f22623351b78925c3350ffb60ea56de9
ロックフェラーを倒したロイヤル・ダッチ・シェル(デターディング・サミュエル連合)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f8dee26c06fec6a31193a3eee46ad2c9
石油業界のナポレオンと英国のユダヤ人、マーカス・サミュエル   https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7addcc3b4d7d47626e3ddf56898b30ec
独ガソリン・ディーゼルエンジンと仏プジョー、そしてロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e16baece0ccf5acec5e58e26f8bdcd04
ロックフェラーより早かった日本の石油商用化
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7bf2a45203a4f71982dfdf7e53dd2c02
石油の発見と利用の人類史
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b555050c36935ad6e972408f0bae2c6b

 

 

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哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
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