北米に進出する欧州列強
六世紀前半、スペイン人のいくつもの探検隊が『エルドラド』(黄金郷)の発見の夢を持って、フロリダ半島とメキシコの二手から北米に入りました。 こうしてフロリダとテキサス以西のアメリカ南西部、そしてカリフォルニアがスペイン領となりました。
カトリック教団の布教拠点(ミッション)とそれを保護する軍隊の駐屯地がその中核でした。 フロリダのセントオーガスティンは一五六五年、ニューメキシコのサンタフェは一六〇一年、カリフォルニアのサンフランシスコは一七七六年に、スペイン人によって建設されました。
しかし一五八ハ年、イギリスがスペインの無敵艦隊を打ち負かすと、素の弱ったスペインにつけこんで、一七世紀初頭にはイギリス、フランス、オランダが、北米に植民地を樹立しました。
一七~一八世紀におけるヨーロッパからの最大の移民の流れは北米に向かうものとなり、欧州列強の植民地戦争が激化したのです。
イギリスの本格的植民は、一六〇七年のヴァージニア建設から始まりました。タバコ栽培が軌道に乗るまで、ヴァージニア植民は困難を極めました。 とくに一六〇九~一六一〇年の
冬には、悲惨極まる飢餓に襲われました。 ハワード・ジンの『民衆のアメリカ史』によれば、「耐え難い飢えに駆られ、自然界で最も忌まわしいもの。つかまりインディアンのみならず、同国民の死体や排泄物まで食べるようになったのです。 ある者は、自分の腕で眠っている妻を殺し、ばらばらに刻んで塩漬けし、それで食いつなぎ、とうとう頭を除いて全部を食べてしまったと」いいます。 これがアングロサクソンです。
ハーバード大学のサンデル教授の正義と何か?というお題で議論しなくなってしまったときは、「日本人は同胞の人間を殺し、それを食べるくらいなら、餓死を選ぶ」とハッキリ言って下さいよ。
温暖湿潤な南部にイギリス人が『気候順化』するのに時間がかかりました。マラリア、赤痢、天然痘などで、当初は高い死亡率でした。 元々女性は極度に少なく、さらに父親は子供が成人する以前に大部分死亡し、多数の孤児と寡婦が生れ、安定した家族生活は困難でした。それは
メイフラワー号で大西洋を渡り、プリマス信仰に基づく市民的政治団体を形成したことで有名な『ピグリム・ファーザーズ』(巡礼始祖)も、最初の冬は摘余名の内、やっと五十人が生き残っただけです。 長い航路の疲れと食糧不足、十分な家屋もない不自由な生活の中で、ばたばたと病気で倒れたのです。
しかし、やがて安定した植民地社会が形成されていきます。 それは、イギリス人が大地に根を下ろしたの異形植民地を築くのに成功したからでありました。
オランダは、一六一四年以降、ハドソン川流域にニューネーデルランド植民地を建設しました。 しかしイギリスとの闘いに負けて、それはイギリス領となりニューヨーク(旧ニューアムステルダム)と改名されました。 現在も植民地時代以来のオランダ系の家柄がアメリカにおける名門賭して残っています。 二人の大統領を出したローズヴェルト(ルーズベルト家)がその例です。
フランスが北米に本格的な植民を開始すっるのも一七世紀のはじめでした。 セントローレンスに沿っていくつもの毛皮取引コロニーを設置したフランス人は、そこから五大湖地方に入り、さらにミシシッピ川を下ってメキシコ湾に達し、その流域をルイ十四世にちなんで『ルイジアナ』と名付けました。
こうして『ヌーヴェル・フランス』は北東のニュファンドランドから西へセントローレンス川に沿ってスペリオル湖に伸び、さらにミシシッピ川を下ってメキシコ湾にいたる大きなアーチ型をなす広大な植民地となりました。
「カナダが有用なのは、ただ私に毛皮をもたらしてくれるからよ」。 ルイ十五世の寵姫(ちょうき)ポンパドール夫人が述べたように、フランスにとってカナダの価値は毛皮貿易にありました。フランス人は毛皮を求めて、内陸部へと浸透していきます。 しかし、『ヌーベル・フランス』の実態は、わずかに点在する要塞・宣教基地・町が河川と湖でかろうじて相互の連絡を確保していた地域、『点と線』で結ばれた広大な領域に過ぎませんでした。
激突した三つのフロンティア
イギリス人の西に向かう侵略は、西方を南北に進むフランスとスペインの二つのフロンティアを横から断ち切るように進行しました。 当然、そこには三つの国家勢力の衝突が生じました。
各地、買収とありますが、実質は銃を突き付けての脅しで手に入れた(買収した?)ものです。
イギリス人は農耕を主としており、人口が増すにつれて、西へと拡大していきました。イギリス・フランス両国の全面的対決がフレンチ・インディアン戦争(一七五四年~一七六三年)で、イギリスはフランスとインディアン諸部族の連合勢力を相手にしました。
イギリス側の人口百二十万に対して、ヌーベル・フランスはわずか六万人。 結局カナダはイギリス領となり、北米大陸におけるイギリスの覇権確立が決まりました。
フランスはイギリスとのこれら激しい戦争で財政が悪化して、一七八九年(覚えやすい年)のフランス革命と繋がっていくのです。 いっておきますが、真理アントワネットの贅沢ごときで財政が悪化したのでゃありませんよ。
そして、イギリスも弱り、アメリカの独立・建国につながっていくのです。 そしてアメリカにとって敵(イギリス)の敵(フランス)は味方です。
ミシシッピ川以西、ロッキー山脈にいたる広大なルイジアナの地域は、一時スペイン領となりましたが、ナポレオンが取り戻し、さらに彼はイギリスとの戦費にするために、一八〇三年これを合衆国に売却しています。 これにより、アメリカにおけるフランスの植民帝国は完全に消滅し、同時に合衆国の領土は倍増しました。
独立後の合衆国はまた、一八一八年フロリダをスペインに割譲させ、またスペインから独立したメキシコからは、一八四五年にテキサスを併合し、一八四六年~一八四八年の米墨(アメリカ・メキシコ)戦争勝利により、広大な南西部とカリフォルニアを併合しました。
そしてアメリカ合衆国が勝利したのです。
この時期の支配・勝利の陰の主役は、銃・火薬と欧州の軍事兵器企業といえます。 原住民であったインディアンを殺害して土地を奪っていったのも銃と火薬です。
つまり、アメリカと言う国は、建国前から戦争・掠奪ばかりしているのです。 そして経済は完全に軍事産業に依存しているので、また戦争を始めざるを得ないのです。
また、政治家と金融財閥と軍需産業は深く癒着し、関係を断ち切ることは不可能です。
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