Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥-15 植民地アルジェリア

2022-09-28 20:32:30 | 国際政治・財閥
鉄道産業
ジェームズ・ワットが、大量生産を可能にす るエネルギー源である蒸気機関を 1781 年に完成して産業革命が始まったイギ リスでは、続いて大量輸送のための蒸気機関車がジョージ・スティーヴンソン によって 1814 年に考案され、1830年、マンチェスター-リバプール間で初 めての鉄道が走りました。

その鉄道の将来性を見抜いた大富豪のロスチャイルド一族が、パリ家のジェームズ・ロスチャイルドを中心にヨーロッパ大陸に鉄道網をつくり、鉄道産業を興し、生活も便利になり、目出度しめでたしの欧州人ですが、その陰でアフリカの人たちはえらい目に遭(あ)いました。 

また大英帝国の財政を支えた南アフリカも同様です。 ダイヤと豊富な金、銀、パラジウムなどの貴金属。 地球上で、何故この地域に偏在しているかと言えば、地球史上最大の隕石が約20億年前に落ちてきて、そのエネルギーでできたからです。  ロシアも同様、ただ陸地面積が余りに大きいので隕石が落ちてくる確率が高かったということです。


ロスチャイルド財閥-14 鉄道事業への参入 
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LVMH (ロスチャイルドGr)
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オッペンハイマー財閥(ロスチャイルドGr)
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フランスの植民地アルジェリア
地中海を挟んで向かい側に、アフリカ最大の国土を持つアルジェリアという国があります。 アルジェリアは鉄鉱石の産地で、フランスの植民地にされ、奴隷労働を強いられました。

というのは、鉄道産業には大量の鉄鉱石と石炭が必要です。 かさばる、その地下資源を大量に運べるのは鉄道しかありません。 石炭は鉄鉱石を溶かすため、また自然の状態では酸化鉄なので、それを還元(脱酸素)するためにも、石炭が使われます。

アルジェリアがフランスの植民地になってしまったのは、十分すぎるくらい理由があります。 フランスによるアルジェリア侵略が始まったのは、今から約190年前の1830年頃で、フランス革命で断頭台の露と消えたルイ16世とマリー・アントワネット夫妻の弟シャルル10世が亡命していた時代でした。




パリ家、ジェームズ・ロスチャイルドの関与
フランス銀行が独裁的な金融支配を成し遂げようとした歴史の前夜であり、ロスチャイルド家がこの侵略を国王に入れ知恵したという話もあります。

シャルルが再び国王の独裁政治を始めたため民衆が怒り、その憤慨を海外に向けさせるためにアルジェリア侵略が行われた、というのが通説になっています。

派兵されたフランス軍の資金8千万フランの大金を調達したのが、鉄道王、パリ家のジェームズ・ロスチャイルドであったことは事実として知られています。

しかも派兵の半年以上も前に、そのための公債発行をジェームズが引き受けていました。 夏には7月革命が勃発して国王が交代したとき、ジェームズは逃げたシャルルがいつ戻ってくるかも知れないので丁寧に謝礼を支払っておき、そのうえ新王になったルイ・フィリップには既に大金を貸し付けてきた仲であったので、誰が国王になろうとヴェルサイユ宮殿を思いのまま動かせるという用意周到さです。

こうして、現代でもアフリカ大陸で生産量4位を誇るアルジェリアの鉄鉱石に目を付けたジェームズは、息子のエドモンの家庭教師をしていたアルバート・コーエンを北アフりカに派遣し、資源を物色させたのであります。

コーエンは帰宅すると、エドモンにパレスチナの旅がどれほど素晴らしいものであったかについて魅力的な口ぶりで語って聞かせました。 

このエドモンが成長して、のちにその子供時代に聞いた夢を「イスラエル建国の資金提供」を実現させ、本当にユダヤ人の国を創ってしまいました。 また、それに敵対するイスラムの国、アルジェリアを侵略するという歴史を生み出しました。

1842年 アルジェリアがフランスの直轄領となり、大地主が現地の穀物生産を支配。
1848年 2月革命。 フランス銀行の支配体制が確立。

この2つの事件を併記してみると、二百家族がアルジェリアの大地主になり、穀物を支配したという歴史の推理が成り立ちます。

フランスのモレ首相の金庫を預かる経済担当の国務大臣は、穀物商社の金庫ルイ=ドレフィス銀行の頭取を20年近くにわたって務めたジャン・フィリッピその人でした。 このフィリッピがミッテランの大統領選でパトロンとなった男です。

アルジェリアの大麦、ハード小麦、ソフト小麦、オート麦の生産は、今日では大したことがありませんが、フランス侵略時代には極めて大きな意味を持っていました。

これに対し、食用油の生産では、「ルジュール社」が」アルジェリアとモロッコで拠財を成し、今日フランス最大の食用油めーかーとなっています。




石油産業
もうひとつの大産業が、19世紀末から台頭してきた石油です。 アルジェリアの原油生産量は、かつての奴隷貿海岸ナイジェリア、カダフィー大佐のリビアに次いで、アフリカ第3位です。

今日では石油以上に注目されているのが天然ガスの埋蔵量で、アメリカ、ロシアを除き世界トップレベルのガス田ハッシ・ルメルを誇ってきたのがアルジェリアです。

地球上で、トップクラスのガス田はアメリカやロシアが持っています。 ことにオビ川とエニセイ川に挟まれた北極圏のシベリア地方のガス田は群を抜いて巨大です。 また、アルジェリアも世界Topクラスのガス田を持っています。

にも関わらずソ連・ロシアは、1980年代後半の経済破綻、また今日ではGDPがブラジルや韓国以下になってしまってます。 独裁共産主義の政治家、そして政治体制の問題が大きいと思います。

2014年、プーチン大統領がウクライナのクリミア半島を侵攻・併合し、世界の先進国から経済制裁をうけているのが、大きいと思われ、今回また懲りずにウクライナに侵攻し今度は世界全体を敵に回して、世界から経済制裁を受けているので、ソ連崩壊の時以上の困難がロシア国民に待ち受けています。

本当にプーチンは大統領に資質がないアホネ!  ロシア国民もいい迷惑でしょう。

鉄道王ジェームズの時代からあと、ヨーロッパの石油産業は、現在でもロスチャイルド家が握っています。 バグー油田が19世紀末には世界一でした。 それをノーベル兄弟とロスチャイルドが支配したことは周知の事実です。

ヨーロッパの3大石油会社と言えば、「ブリティッシュ・ペトロリアム」(通称BP)、「ロイヤル・ダッチ・シェル」(現シェル)、「フランス石油」(通称トタル)です。


実は、フランスには世界一の企業が数十社ありますが、多くの日本人には知られておりません。 1989年には「フランスの世界一企業クラブ」いう奇怪な組織が設立され、1990年には85社が参加しています。


また、今日ロスチャイルド家を代表するのは、ロンドン家とパリ家ですが、どうもパリ家の方が力があるように思われます。





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ロスチャイルド財閥-14 鉄道事業への参入 

2022-09-28 04:06:27 | 国際政治・財閥


   フランス国有鉄道 SNCF( Société Nationale des Chemins de fer Français)




産業革命と蒸気機関車
ジェームズ・ワットが、大量生産を可能にす るエネルギー源である蒸気機関を 1781 年に完成して産業革命が始まったイギ リスでは、続いて大量輸送のための蒸気機関車がジョージ・スティーヴンソン によって 1814 年に考案され、1830年、マンチェスター-リバプール間で初 めての鉄道が走りました。




ロスチャイルド家と鉄道産業
ヨーロッパが、フランス革命の七月革命に揺れていた頃であります。 産業都市マンチェスターと港湾都市リバプール を結んだ鉄道が大成功をおさめると、事業家、銀行家の目の色が変わってきました。

当時、馬車をしのぐものなどあるはずがないと思っていた時代です。 ロンドンのネイサンが その将来性に目を付けたときには、既に他の銀行に利権を奪われていました。



ネイサンは他の兄弟にイギリスでの 鉄道フィーバーぶりとその将来性について詳しく報告し、それぞれの国でいち早く鉄道建設の利権を確保して融資に踏み切るよう勧めました。

そしてまずオース トリア家のサロモンが鉄道建設にのりだしましたが、保守的なウィーンでは蒸気機関車が鉄の道を走る鉄道はいかがわしい怪しげなものと受け取られ、人々の「鉄の獣」に対する反発は、初めの頃のロンドン以上でした。



それでも 1835 年にオ-ストリア帝国政府から鉄道事業免許を取り付け、こうしてヨーロッパ大陸での初の鉄道は、ウィーンと北部ボヘミア間およそ 69 キロで着工されました。 その名も、『フェルディナンド皇帝鉄道』。

パリのジェームズも大々的に鉄道事業に乗り出し、まずセーヌ川沿いにパリ~サンジェルマン間の鉄道を完成させ、ついでフランス北部の諸都市とパリを結 ぶ、北方鉄道の建設に取りかかりました。



この北方鉄道が、パリ・ロスチャイルド家の 最大の資産になり、ジェームズは「鉄道王」の名をほしいままにしました。

この他のロスチャイルド兄弟は、ヨーロッパの最新の基幹産業である鉄道にいたると ころで関与しました。これらの鉄道建設には莫大な資金を必要としましたが、そのため の起債はロスチャイルド家の得意とするところです。



債券購入を一般に公 募すると、物珍しさも手伝って多数の民衆が押し寄せ、ロスチャイルド家は、ただの 「金融資本家」から「産業資本家」の顔をも持つようになりました。

ヨーロッパの政治と癒着して、その財を成した一 族も、こうした「産業資本家」として時代の変化とともに体質を変化してゆく 過程でもありました。



高速で大量に輸送できる鉄道を敷設することによって、無意識にせよ産業革命の恩恵をヨーロッパ中に広めました。 それは社会の変革を促して 人々を新時代へと導くものでもあったことは見逃せません。  

こうして「資本」にもとづくことが大原則であるロスチャイルド家は、産業 が社会にしめる影響と生み出すものの大きさからからも、「産業資本家」とし ての性格を強くしていきました。



こうした時代の変化による変化は、1848 年のフ ランスの二月革命で、ルイ・ナポレオンが登場すると、かつてロスチャイルド家 がイギリスやオーストリア側につき、叔父のナポレオン・ボナパルトに不利を 働いていたことや、ナポレオン没後、復古ブルボン王朝や続いてオルレアン王 朝にすり寄ったことからも、

ルイ・ナポレオンは、金融業者に起債を頼む代わりに公債 を小口に分割して国民に購入を呼び掛ける一方、その蔵相アシル・フールとの 擁護のもとに、1852 年、ペレール兄弟に民主的な最初の銀行「動産銀行」を 創らせて、その株式の購入を国民に呼び掛けて上場させました。



すると、人民が投資 することもできる銀行だということで、フランス中を興奮の渦に巻き込み一 株 500 フランが 3 倍以上の 1600 フランに急騰する大成功を収め、それ以外 にもナポレオン三世は次々と新しいタイプの銀行を創設してゆき、いよいよパ リの「鉄道王」ジェームズを中心に(ネイサンは 1836 年死亡)事業を行っていきました。

ロスチャイルド家も出番がなくなっていきます。 そしてパリの二月革命は、もっとも封建的であったオーストリア帝国を直撃 し、広大な領地のそちらこちらで、憲法制定を求める大胆な運動がはじまり、ついに はウィーン市街でバリケードが築かれる革命が起きて、民衆は宰相メッテルニ ヒの追放を叫びました。



ウィーンのサロモンは、まもなくハンガリーのロスチャイ ルド家別邸が襲撃され、その騒ぎが再びウィーンに飛び火してハプスブルク家 も疎開するにおよんで、ついに逃げ出しました。

しかし、逃れた先のフランクフルト も革命の熱気のなかにあって、長男アムシェルの守る本家までが民衆の怒りの 前に揺れていました。



こうしてウィーン体制の崩壊とともにロスチャイルド家も没落かと思われました。 政治的不安定は一族が発行した各国の公債を暴落させます。



・ロスチャイルド財閥-9 ウィーン体制
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ただ一つ、ロンドン 分家は幸いにして政治的な対立に巻き込まれておらず、一族は踏ん張り、そ して、 1850 年7月にはフランス・ロスチャイルド家が建設していた北方鉄道が 完成して、開通式が行われました。

その記念列車の貴賓室にはルイ・ナポレオンが ジェームズと席を並べ、いくらロスチャイルド嫌いでも、当時の大事業はロ スチャイルド家の金がなければ動かないことをまざまざと見せつけるとともに、 「産業資本」の勝利を示す記念行事でした。

 


この鉄道が、今日のフランス国有鉄道SNCF( Société Nationale des Chemins de fer Français)で、フランス政府がロスチャイルド家から払い下げを受けたものです。 普通は政府から民間企業が払い下げを受けるものですけどね。





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ロスチャイルド財閥ー13 ゴールドラッシュ

2022-09-27 17:37:49 | 国際政治・財閥

 

 

1840年代のカリフォルニアやオーストラリアでの金の発見に、ロンドン家は熱心な関心を抱きました。 

1846年の世界における産出量の半分以上はロシアでしたが、1855年までに約5倍になった金の産出量の増加分は、北アメリカとオーストラリアからでした。 ロスチャイルド・ロンドン家は、代理人を派遣してゴールドラッシュに関与します。


カリフォルニアでの金の産出が、アメリカ合衆国の繁栄を高みに上げました。 イギリスの資本主義は、アメリカ合衆国の経済発展によって更なる段階へ駆けあがります。






ベルモント財閥
ゴールドラッシュにも一役買ったロスチャイルド家のアメリカ合衆国での代理人、オーガスト・ベルモントは、1849年にマシュー・ペリー海軍提督の娘キャロライン・ペリーと結婚します。 数年後に日本を開国させるために来日したあのペリーです。

マシューの兄オリバーも海軍軍人で、英米戦争でアメリカ海軍に決定的な勝利をもたらして「エリー湖の英雄」と呼ばれていました。



そのひ孫のアリスは、日米戦争前の外交のかなめであったジョセフ・グルー駐日大使の妻です。つまり、グルー大使夫妻は、ペリー家とロスチャイルド財閥の系譜にいました。

さらに、マシューのもう一人の兄ナサニエルの孫娘の夫は、二代目ジュニアス・スペンサー・モルガンで、J・P・モルガンの甥であったといわれています。 



ユダヤ人ベルモントは、結婚によって、アメリカで最も尊敬される家族の一員となりました。 ユダヤ新聞によれば、彼は妻の信仰にに倣って(ならって)、キリスト教に改宗しています。

ペリー一族に入り込み閨閥を広げたベルモントは、社交界で輝き、ビジネスで快進撃を見せ、
やがて、全米の多くの金融機関を支配して大富豪となりました。



閨けいばつ)とは、外戚(妻方の親類)を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係、又はそれから成す勢力、共同体、仲間などを指します。

アメリカのベルモント商会は、代々同名(オーガスト・ベルモント)の長子によって経営され二代目は30を超える企業と銀行で社長と役員を務めました。



N・M・ロスチャイルド&サンズは同商会と連携し、1852年からアメリカの鉄道債への莫大な投資を開始しました。

ベルモントは、莫大な財力を背景に、大きな政治力を持ち始めます。 1853年、民主党のフランクリン・ピアーズ大統領は、彼をオランダ王国の大使に任命しています。




当時、アメリカ合衆国では、南北の対立が次第に激化していきました。 北部の大新聞『ニューヨーク・トリビューン』は、奴隷解放を大きなテーマとしていましたが、1851年以来、カール・マルクスをロンドン通信員に採用し、ある期間、マルクスの生活費を支えました。

ベルモントも、ロスチャイルド家も南北戦争には、大きく関わっています。マルクスの祖母の従姉妹(いとこ)が、ロンドン・ロスチャイルド創業者の妻で、ユダヤ人マルクスはロスチャイルド家と親戚にあたります。




イギリスの綿製品工業は発展し続け、アメリカやインドなどとの貿易もますます拡大していきました。 さらに太平洋の通商路が切り拓かれると、イギリスの資本家たちは資本主義を世界奥深く行きわたらせていきます。 

1851年5月、ロンドンのハイドパークで世界初の万国博覧会が開催されました。 イギリスが支配する世界中の植民地から集められたおびただしい数の動植物や物産、イギリスをはじめとする各国の先進の工業製j品、そして巨大なガラスの建物「水晶宮」が人々を驚愕させました。




ロンドン家の快進撃は止まりません。 1815年から1859年までの間、ロンドン家は約50本の借款を各国政府のために用立てました。 

金額内訳は、イギリス29%、フランス18%、神聖同盟国19%(プロシア8%、ろロシア4%、オーストリア2%、ナポリ5%)、民間部門16%でした。




総額は、1850年代のイギリス全海外資産の約1割にも及びます。 同時期、ロスチャイルド家に次ぐベアリング家は、14本の借款のみで、総額はロンドン家の26%程度でした。 完全にロスチャイルド家の天下です。

ロンドン家は鉄道ブームに乗り遅れましたが、N・M・ロスチャイルド&サンズは、ベルギーでの鉄道システムづくりを任せられ、1850年までに完成させました。これが、パリ家が作りつつあったフランスの鉄道システムと連結します。





ゴールドラッシュとイングランド銀行
ゴールドラッシュは、精錬と鋳造産業を急拡大させました。 

ライオネルは、金の精錬事業にも乗り出し、1852年、正式にイングランド総裁から、彼の責任で精錬し鋳造したカリフォルニアやオーストラリア産の金や銀の延べ棒を直接にイングランド銀行に納める許可をえました。



ロスチャイルド家は、公認の鋳造所を持ち、ますますイングランド銀行と一体の観を呈しました。
ロスチャイルド家は、南アメリカでも活発な経済活動を展開しました。

特にブラジル政府は、1852年から1912年の間、財政を支える国債の発行を、ロンドン家のみにt頼ったのでした。



1850年代後半には、ライオネルの息子のナサニエルが、政情不安があるものの、ビジネス機会に恵まれたメキシコに派遣されました。

滞納が続いた借款への対応だけでなく、水銀、石炭、そして鉄鋳造への投資が目的です。





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ロスチャイルド財閥ー12 ワデスドンマナー

2022-09-27 14:13:14 | 国際政治・財閥


ワデスドンマナー(Waddesdon Manor )

ロスチャイルド・ウィーン家の、フェルディナンド・ロスチャイルド(1839〜1898年)が週末用の別荘として、1874〜1885 年に建てた、ネオルネサンス様式の邸宅。

その目的は、ゲストにその富を披露してもてなし、パーティーを開催し、コレクションを愛でるためであります。フェルディナンドの他に、公式のロンドン分家のメンバーがここで過ごしていたとされています。

イギリスでは、しばしば「マナーハウス(Manor house)」という言葉を目にします。これはいわゆる地方にある貴族の大きな別荘とか邸宅のことで、カントリーハウスとほぼ同義です。厳密には、Manorは周辺の敷地や庭なども含めたものを指します。


・ロスチャイルド財閥ー250  ナショナルトラストに寄贈されたワデスドン館https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f4f1cf76bd65396fb3f15019ed5e4ad



・「ワデスドン・マナー」で大富豪ロスチャイルド家の財宝と生活を垣間見る
https://art.japanesewriterinuk.com/article/waddesdon-manor.html

・Waddesdon Manor - The Inside Revealed
https://www.youtube.com/watch?v=OxA2NvUg1jQ





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・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
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・ロスチャイルド財閥-215 ロスチャイルド当主 ANAホテル(赤坂)プライベート会合https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/15e42c79348485224e0b9ae63ca899e4

・ロスチャイルド財閥ー224 Black Rock と親会社 Black Stone、そしてワシントンコンセンサス
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ロスチャイルド財閥ー11 合衆国銀行

2022-09-26 19:58:47 | 国際政治・財閥

 

 

既に、ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドがビジネスを展開していたアメリカ合衆国ですが、ロスチャイルド家の関与がさらに強くなったのは、、1830年代と言われています。


ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
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アメリカ合衆国には、連邦政府の財政需要に応えるために、1791年に合衆国議会によって公認された第一合衆国銀行という民間所有の中央銀行がありました。 1791年以前は、各州の民間銀行がそれぞれに通貨を発行していました。

南部諸州は独立心が強く、中央集権的な銀行に疑念を抱いていたため、第一合衆国銀行のl公認期間は、1811年までと区切られていて、ジェームズ・マディソン大統領(在任1809年ー1817年)のときに、期限通りに後任は失効しました。





ロスチャイルドが支配する第二合衆国銀行
しかし、米英戦争(1812年ー1814年)の間に、政府の大きな借金のために各民間銀行の発行紙幣が増加し、インフレが進んでしまい、アメリカ合衆国の信用が建国以来最低のレベルに陥りました。

そこで、1816年、マディソン大統領と議会は、アメリカ合衆国の新たな中央銀行として、第二合衆国銀行を創設しました。 この銀行も民間が所有する銀行で、パリ家のジェームズが筆頭株主となり、ネイサンは一時期、保証人となっていました。



ネイサンやジェームズと第二合衆国銀行との貿易金融や証券金融での連携は効果を上げ、ロスチャイルド家はアメリカで大成功を収めていきます。 ヨーロッパがナポレオン戦争によって荒廃したために米英戦争後、アメリカ合衆国の経済は拡大し、農業生産も増大、銀行は融資を拡大し、地価は上昇してバブル的状況となりました。

ロスチャイルド家は、新設の銀行や運河への投資を行う一方、ニューヨーク州やインディアナ・アラバマ・ミズリー・ミシガンなどの新しい州の州債も大量に引き受けました。



1835年1月、ネイサンはアメリカ国務省のロンドンの金融代理店としての地位をベアリング商会から奪い、合衆国政府との関係をしっかり固めました。 これは、大きな意味を持つ出来事でした。

アメリカからヨーロッパへの綿とタバコの輸出はどんどん伸び、1830年代半ばには、ロンドン家とパリ家は既に手広く貿易手形ビジネスを展開していました。両家は、アメリカ合衆国での政府への借款、そして商業金融にさらに踏み込みます。







ロスチャイルド家への反発
1830年代、ロスチャイルド家の存在がアメリカで目立つようになると、一般のアメリカ国民はユダヤの銀行として猜疑心を持ち始め、「ユダとシャイロックの血が流れている」と言って、ロスチャイルド家を非難する州知事も現れました。 

同家は、アメリカ合衆国において政治的なターゲットとされ始めました。



第二合衆国銀行の公認期間は、第一合衆国銀行と同様に20年間で、1836年が更新年でした。

第二合衆国銀行は民間銀行ですが、連邦政府の歳入の預託場所(預託とは金銭や部品を一時的に預けることで、銀行の場合は株式や有価証券)となっているなどの利権を持っていて、これに嫉妬する各州銀行の攻撃を受けました。
 


そのような情勢を受けて、西部開拓民出身で、白人男性の普通選挙権を確立したジャクソン民主主義で有名な、第7代アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソン(在位1929年ー1937年)が、第二合衆国銀行の公認更新に強く反対し、1832年の大統領選挙で第二合衆国銀行をなくすことを謳って再選されました。

再選後、彼は、第二合衆国銀行から政府資金を引き出し、各州の銀行に移しました。 



この資金の各州への流れは、アメリカ経済に大きく関与して、直ちに経済の拡大につながり、政府は全債務を返済することができ、財務省に黒字を残しました。

ジャクソン大統領は、不正や腐敗、そして大統領選挙に干渉した嫌疑に関して第二合衆国銀行に調査を入れ、1836年の公認切れよりも前に、なるべく早く同行を「潰す」ことを望みました。



彼は声明で「現在の銀行を支配するロスチャイルド家などの海外株主」を攻撃し、国民の利益に沿わないとして、第二合衆国銀行の公認更新に大統領としての拒否権の行使に動きました。

さらに、公認を更新させようと策動していたロスチャイルド家の動きに激怒したジャクソン大統領は次のように言いました。

 

「お前たちは悪の塊だ。お前たちをぶちのめしてやる。 もし国民が我が国の貨幣銀行制度の追いはぎ不法行為を理解したなら、夜明け前に革命が起こっていたであろう」。 

「銀行は私を殺したいであろうが、私が銀行を殺す。お前たちは腹黒い盗人の巣窟だ。 私たちはお前たちを一掃する。 永遠なる神の力によって、お前たちを必ず一掃する」。 



「私立の中央銀行が存在することによって、我々の政府から恩恵を受けるのはこの国の市民ではない。」

「800万ドル以上の中央銀行の株は外国人が保有している。この国に全面的に結びついていない銀行に、我々の自由と独立が侵される危険があるのだ」。




ジャクソン大統領の攻勢に、第二合衆国銀行は間もなく資金を失い始め、貸し付けを引き上げ、新規貸し付けを止め、最後には現金が枯渇しました。 

ジャクソン大統領が公認更新を拒否し、1836年に公認が切れると、同行はフィラデルフィアの普通の銀行に変わりました。ジャクソンクソン大統領は、ロスチャイルド家に勝ったのです。 




1836年7月、フランクフルトにてネイサンは病死。 翌年、ジャクソン大統領の暗殺未遂事件が起こりました。この暗殺未遂についてはいろいろなうわさが飛び交いました。

ジャクソン大統領がロスチャイルド家と争った結果として、ヨーロッパ各国とは違い、1836年から1913年までの間、アメリカ合衆国には中央銀行が存在しませんでした。

 


この時以来、ロスチャイルド家にとっては、アメリカ合衆国に民間の中央銀行をつくることが不退転の目標となりました。 



そもそも、アメリカ合衆国では、通貨発行権は憲法により、連邦議会に付与されていました。
すなわち、通貨発行権を民間企業所有の中央銀行が持つというのはおかしな話なのです。

憲法採択当時から、第一合衆国銀行ができるまでは、通貨として流通していた金と銀に対して兌換義務のある銀行券を各州立銀行が発行していました。



第二合衆国銀行がなくなった後、この制度は南北戦争時まで続きました。 
この州立銀行券は実質的に経済の拡大に伴い、通貨流通量を増大させていて、また信用と価値の安定に資するものとなっていました。

南北戦争以降は、国立銀行法によって連邦政府の認可を受けた各商事銀行が国債に基づいた銀行券を発行しました。



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第二合衆国銀行の失敗を、ものともしないロスチャイルド家

ジャクソン大統領は州立銀行を奨励して、第二合衆国銀行やニューヨークのウォール街に集う海外の銀行勢力の動きを阻止しました。

しかし、州立銀行の株や債券はシティの資本家に購入されていきました。 強者はあくまで強者でした。



1837年に恐慌が起こりました。 この恐慌もロスチャイルド家によって引き起こされと言われています。
イングランド銀行がアメリカ合衆国に関連する、すべての証券を投げ売りし、合衆国に基礎を置く証券の引き受けや割引(を拒否して、合衆国に急激な金融恐慌を引き起こしたとされています。

割引とは、「支払期日よりも早く支払ってもらうことで、モノやサービスの代金を安くすること」。
早くお金を払ってもらえることで資金繰りがスムーズになる、その見返りとして利息相当の代金を減額するものです。



州立銀行が兌換停止に追い込まれたとき、第二合衆国銀行は廃止されていたので、金融市場では最後の貸手を欠く悲惨な事態となりました。

恐慌がひどければひどいほど、弱者は淘汰され、強者に資本は集中し、大資本家はますます強くなっていきます。




第二合衆国銀行での失敗に関わらず、ロスチャイルド家はアメリカ合衆国経済にますます深く浸透していったのです。

連邦政府は、十分な現金供給に隘路(あいろ:進行の難所)が生じると、きまってロスチャイルド家に公債を引き受けてもらうようになりました。



ロスチャイルド家とベアリング家は、金融のメッカとしてのウォール街を育てていましたが、この恐慌でウォール街への資本集中が一気に進みました。

ベアリング家は、後にイングランド銀行総裁、国際決済銀行(BIS)理事、そしてアメリカ大使を輩出しますが、ロスチャイルド家影響下のシェル石油役員や、スエズ運河会社総裁を務めるなど、ロスチャイルド家に取り込まれていきます。




シティとウォール街とのつながりは一層深まり、アメリカのホテル王アスター家がイギリスで爵位を得たり、アメリカで財を成したゲティー一族がイギリスに国籍を移すなど、「上流階級間」での行き来が盛んになりました。






ライオネル・ロスチャイルドの結婚式と、ネイサン・ロスチャイルドの死

1836年6月、ネイサンの長男ライオネルが、ナポリ家のカールの長女シャルロッテを妻に迎え、ロスチャイルド家の本拠地フランクフルトで一族が集い、盛大な結婚式が行われました。

ロンドンやナポリから馬車が相次ぎ、親たちと共に持参金や土産(みやげ)の数々を運んできました。 パリからは、ジェームズが作曲家ロッシーニをはじめたくさんの同行者を従えて皇帝のような華麗さで到着しました。



ウィーンからは、サロモンがお城のような馬車に乗ってきました。 結婚式はアムシェルが采配を振り、マイアー(ロスチャイルド財閥の創始者、ネイサンの父)の未亡人グーテレ83歳も参加しました。

ところが、ロンドンから来たネイサンが病気の兆候を示しました。 化膿がひどい出来物が最初でした。 結婚式当日、彼は炎症がひどくなって呼吸困難に陥り、祝宴を終えるとベッドに運ばれ、翌日には、うわごとをいうほど悪化しました。




1836年7月、不出世の英雄ネイサンは、生誕の地フランクフルトにて58歳で死去しました。 毒殺説もあります。




ネイサンは、世界一の金持ちで、かつイギリス経済界をリードした人物でした。 残した遺産は当時の経済規模のなかでは天文学的な数字です。

ロンドンの『タイムズ』紙は、ネイサンの死を最大級に取り扱い、社説では、「ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドの死は、英国の金融界にとって、おそらくはヨーロッパの金融界にとって、その長い歴史の中でも最も重大な事件のひとつである・・・彼と比較しうるような金融操作は、今まで、ヨーロッパにはなかった・・・



残された彼の兄弟と同じく、ロスチャイルド氏は男爵の称号を持ち、貴族の特権を有していたが、彼は貴族のようにふるまうことなく、ロスチャイルドの名の方を誇りとし、その名の下に、称号ではもたらすことのできない栄誉を得たのである・・・」と賛辞を贈りました。



ドイツ生まれのユダヤ人銀行家ネイサンの葬儀は、王室に匹敵する壮大なものとなりました。 オーストリア、プロシア、ロシア、ナポリの大使、その他格国公使などヨーロッパ諸国の代表、各地の王侯貴族、シティの実力者や市長、地方長官などあらゆる名士が列席しました。






ロスチャイルド家総主の座は、パリ家のジェームズに




ネイサンには、ライオネルをはじめ4人の子供がいました。 彼は子供たちに「他国のロスチャイルド家と密接に連携し、経験に富む同族たちの忠告や助言を進んで受け入れて、ますますロンドンのロスチャイルド家を興隆させるよう」遺言しました。

しかし、ロスチャイルド家の総主の座は、ネイサンの長子でなく、パリ家のジェームズに移ったのでした。 今回も、ロスチャイルド財閥男の創始者マイアー・ロスチャイルドの遺言通りではありません。 



ジェームズの実力が際立っていたことと、ライオネルがまだ20歳代と若かったことが重なったからでしょう。

この時点で既に、ジェームスはネイサンに劣らない財力があり、フランス一の大富豪でした。 アムシェル、ソロモン、カールも各々の国で、ライバルたちの財力よりより遥かに上をいっていました。兄弟の財産を合わせると、ロスチャイルド家は、「断トツ」の世界一の金持ち一家でした。


兄弟たちは各国で、いくつもの丘や庭園を含む桁外れに広大な邸宅を持ち始めていました。王室や政府の重要な人物たちをもてなし、大きなビジネスにつながる情報を獲得するための場です。






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