久々に、1960年代の海外SFを読み返しています。
何と言うか、名作と言われるものは色褪せません。
今読んでるのはネビル・シュートの「渚にて」
これは本当に名作です。
じんわりと悲しく優しく、そして怖い小説です。
でまあ、これとか。
ゼナ・ヘンダースンの「ピープル(同胞)シリーズ」はね、現実に即してる。
訳では無いですが。
少なくともロボットとかロケットとか、SFに出てくるだろうものは出てきません。
なので、本当にそのまま時代的に読めるんです。
ああ、「渚にて」は舞台が1960年代。
そして人類滅亡の時ですけど。
しかし同じSFでも、ロケットとか出てくるとですね。
宇宙を、自在に飛び回るだけの科学力をもっている、そんな地球人が主人公。
しかしその操縦のシーンを読むと。
「ボタン」「ダイヤル」…。
書かれてからすでに60年以上経っているわけですが。
宇宙に関しては追いついていない。
でも機械はすでに小説を追い越している。
中々そのあたり、楽しく読めます。
でもね、正直。
あの当時の小説の中に流れている、覇気。
未来への希望、もしくは絶望。
今の世の中では、書けないものだとも思うのです。
何と言うか、名作と言われるものは色褪せません。
今読んでるのはネビル・シュートの「渚にて」
これは本当に名作です。
じんわりと悲しく優しく、そして怖い小説です。
でまあ、これとか。
ゼナ・ヘンダースンの「ピープル(同胞)シリーズ」はね、現実に即してる。
訳では無いですが。
少なくともロボットとかロケットとか、SFに出てくるだろうものは出てきません。
なので、本当にそのまま時代的に読めるんです。
ああ、「渚にて」は舞台が1960年代。
そして人類滅亡の時ですけど。
しかし同じSFでも、ロケットとか出てくるとですね。
宇宙を、自在に飛び回るだけの科学力をもっている、そんな地球人が主人公。
しかしその操縦のシーンを読むと。
「ボタン」「ダイヤル」…。
書かれてからすでに60年以上経っているわけですが。
宇宙に関しては追いついていない。
でも機械はすでに小説を追い越している。
中々そのあたり、楽しく読めます。
でもね、正直。
あの当時の小説の中に流れている、覇気。
未来への希望、もしくは絶望。
今の世の中では、書けないものだとも思うのです。