「ブロークン・ウィンドーズ・セオリー」所謂、破れ窓理論の事を指すのだが、1982年に米国の雑誌「アトランチック・マンスリー」に掲載された論文が今頃にわかに脚光をあびているのだ。ジェームズ・Q・ウィルソンによれば
「放置されてる廃屋の窓ガラスが一枚割れているのを見た人間が、だれも気にしないのをいいことに他の未だ割れていないガラスを壊してしまう。それがエスカレートしても何も問題にしない社会では犯罪が多発することになる。」という理論が企業などの情報セキュリティーにこの犯罪理論が取り入れられるようになってるのだ。
僕にいわせれば、この理論には日本人と欧米人の差が感じられて、発想そのものに疑問も残る。日本人には本来「信頼社会」に生きているが、欧米人は「契約社会」で生きてきたのだ。日本人は「印鑑(ハンコ)」の世界であって印鑑さえあれば、信頼・契約が成り立つ。従って「印鑑」を伴うものは金庫やロッカーに仕舞って問題が無い限り、引き出されることは決してない。
ところが 現在はあらゆる企業理念や経営の中心が欧米の理論によって決定される時代なのだ。例えば「生産性の向上」では、過ってゼネラル・ダイナミック社(原子力潜水艦などのメーカー)では作業効率を上げるために工場の照明を今までよりちょっと暗くした結果、生産性が上がったなどという報告さえある。
問題分析では確かにその事が理由であったかも知れないのだが、分析の貧弱さをも物語っているのかも知れないのだ。ただマンネリにならず変化を与えるのは重要だとは思う。そこで働く人間に「関心」をもってる事を知らしめて「やる気」を引き出す可能性は認めるものの若干クイッションでもある。
ここで大事なのは常に気を配ってる事をどうやって認識させるかだ。給料を黙って上げてもいいし、休暇を取得し易くするのでも・・といった手法と同類に見ればいいのかも?さて、情報セキュリティーに戻るが問題は一人一人のモラル・・・「信頼」に基づく生活環境(趣味・友人関係・・ETC)がどうなってるか?であったり、「正直」であり自己管理が出来ているかどうかが重要である。
常に「不幸は馬でやって来て、徒歩で去って行く」のだ。日本人には教育の問題もある、「しんらい社会」に住む日本人は人を信頼・信用する。従って「騙す方が悪い」になるが、そうだろうか?「騙される方も悪い」と教育されている欧米人に比べて、子供の頃から そういう教育はされてはいないが現実なのだ。僕自身「殺されるより殺す方に」また「騙されるより騙す方に」と思う。
決してそうすると言うのではなく考え方の一つとして捉えていて、そう言う意味では自然に欧米人的な発想を学んでいる。それには、物事をどの様に見れるか?相対的である以上相手はどう思っているか?を常に注意して見ればわかる事なのだ。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」洞察力を暗示した古い諺だ。・・・・
今日はここまで^^