風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

桃太郎のいる国へ(岡山) 1-(1)

2015-09-06 | 中国(山陽)
○ prologue

夏に岡山に行きました。
3泊4日の滞在ですが、今回は用事があり、観光メインではありません。
自由に動ききれないところがありますが、あいた時間の旅程を組むのもまた楽しいもの。
岡山を訪れるのは久しぶりなので、行ける範囲で出かけてみようと思いました。

○ 早朝の新幹線

一日目はフリー。一番動きやすい日のため、早い新幹線に乗ろうと、張り切って5時に起床しました。
でも準備に手間取って、3~4時間しか寝ていません。
睡眠不足の朦朧とした頭のままで、のぞみに乗り込みました。

目をつぶっていたら、遠くから「おはようございます!ありがとうございます!」というはきはきした女性の声が聞こえてきました。
(ああ、車内販売の売り子さんね)と思います。
(お姉さん、ずーっとお礼を言い続けているなあ。みんなずいぶんコーヒー頼むのね)と思っていましたが、声がだんだん近くなってきても、コーヒーの香りがしません。
(あれ、何だか変だなあ)、と目を開けると、それは売り子さんではなく、検札の車掌さんでした。
すぐ目の前まで来ていたため、あわててチケットを取り出しました。

○ 富士山見るまで眠りません

すぐに寝落ちしそうですが、富士山を見るまでは寝れないぞと、気合いだけで起きています。
熱海駅を通過したあたりから、そわそわし始めます。
駅を通過する時にアナウンスが入るように、富士山の傍を通る時にもアナウンスしてほしいと、強く思いまーす!
みんなが大喜びのサービスになることでしょう!

でもこの日は曇りで、いくら目を凝らしても、富士山は裾野さえも見えませんでした。
あの辺りにあるはずなのに、残念。

○ 増えたり減ったり

新横浜の次は名古屋。にぎやかな客層がどっと乗り込んできます。
そして京都で、かなり人が下りて、乗客が減りました。
ここのところ、新幹線に乗るのは京都に行く時ばかりだったため、つられて一緒に降りそうになりました。
さようなら、京都~。降りたいけれど、今回はがまん。
車両内は閑散として、(ここから先は終点までずっとすいているのかな)と思いましたが、ほどなくして新大阪に着くと、また人がたくさん乗り込んで、賑やかな車内になりました。

新神戸のお次は、いよいよ降りる岡山駅です。
3時間も乗っているなんて、ずいぶん長いなと思いましたが、実際にはお弁当を食べたりうとうとしたりで、案外あっという間でした。

○ 修学旅行以来

岡山は久しぶりです。数年前に四国旅行の帰りに瀬戸大橋を渡って、岡山から新幹線に乗り換えましたが、この地に降り立ったのは高校の修学旅行以来。
十代の頃の記憶のまま、時が止まっています。
さっそく駅前で桃太郎に会いました。このたびはお世話になります!


(momo1)


荷物を預けて、身軽になって出発!
寝不足のままですが、気持ちは羽が生えたようになっています。

○ どこへ行こう

(まずは吉備津神社に行きたいな)と思いましたが、吉備線は1時間に1~2本しか通っておらず、あと45分待たないとやってきません。
ああ、いろいろ巡りたくて早い新幹線に乗ったのに、在来線の稼働率の低さにはばまれる~。
予定を変更し、ホームを移動して、ちょうど発車する瀬戸内線に飛び乗りました。

(鷲羽山展望台から、瀬戸大橋を眺めようかな)と思ったのです。
でも、路線図で確かめると、鷲羽山の最寄りの児玉駅までは結構な距離があります。
さらに駅からバスに乗るため、展望台まで行って戻ってくると、今度は吉備線ルートの方が回りきれなくなるかも。
ということで、再び予定を変更し、次に停車した妹尾駅で、Uターンしました。
ちょうど反対方向の電車がホームに着くところだったので、階段を上がって降りて、反対ホームに急ぎました。

海を見ることなく岡山駅にまい戻りましたが、ほんの20分くらいのことだったので、まだ時間はあります。
駅の構内を散策し、お土産売り場をチェックし、待ちかねた吉備線に乗りました。

○ レトロな吉備線



首都圏ではもう見られないような古い2両の車体。バリアフリーでもありません。
今見ると、けっこうな段差です。お年寄りは大変そう。
私も足を上げて乗り込みました。



車内にはのんびりした空気が漂っており、旅愁たっぷり。
ガタンゴトンとゆっくり揺られていきます。
のどかな雰囲気に、徳島の牟岐線を思い出しました。
30分ほど揺られて、備中高松駅に着きました。



まずはじめに、備中高松城に向かうことにします。
ホテルに荷物を預けた時、フロントマンに「城址でもう何も残っていませんが、今は蓮がきれいですよ」と教えてもらい、蓮の花が好きなので行くことにしたのです。

○ 水攻めのお城

駅を降りてキョロキョロしましたが、標識がなかったので、駅窓口の人に道を聞きました。
そんなに見に行く人はいないのかな?



のどかな田舎道をてくてく歩いていきます。車は割と通りますが、歩いている人はほかに誰もいません。
遠くに巨大な鳥居が見えました。目立つわ~。



10分ちょっと歩くと、車がたくさん停まっている場所がありました。
徒歩ではなく車で訪れる人が多いようです。
そこがかつての城址でした。今では広々とした公園になっています。



蔵造りの建物は、資料館。ここで水攻めの歴史を教えてもらえます。
たしかに園内には蓮の花が咲いています。ちょうど絶好の見頃です。



いきいきとしてきれい。蓮めあての人が大勢やってきています。
蓮の花は、朝開いて、昼には閉じてしまうため、観る時間も大事。
まず最初にここに来られて、良かったわ。



蓮の美しさにうっかり忘れそうになりますが、気になるのは、ここは秀吉の水攻めを受けた城。
元々は信長の命令なんですが、秀吉もひどいことをするものです。
入れ知恵(というとアレですが)したのは、黒田官兵衛なんですねー。
彼らが3万の軍勢で高松城を水攻めにしたのは、天正10年(1582年)4月のこと。
6月に本能寺の変が起こり、信長の死で状況が変わりましたが、それを隠して、城兵の命と引き換えに城主・清水宗治を切腹させた秀吉。
うーん、卑怯だわ!まあそれが戦国時代だったんですが。

土地の人にとっては、言うにつらい黒歴史の過去だろうと慮りますが、「水攻めの城、備中高松城」というのぼりやポスターをたくさん目にします。
なんだか意外。



今では、その悲劇が売りになっているんですね~。
その際の想像図が描かれた絵もありました。
「水攻之図」の前では、ガイドさんが団体さんに熱心に説明をしていました。
お城が水びたしになっています。攻めている側目線の描かれ方で、なんとなくどこか人ごとっぽいのが気になります。



更に驚いたことには、「水攻音頭」なるものがありました。
音頭(驚愕)!
水攻めと音頭が一緒になるなんて、もはや「混ぜるな危険」状態じゃないですか!
しかも6番まであるロングバージョン!
ひー、いいのでしょうか?
どんな気持ちでここの歴史と向き合えばいいのかわからなくなって、混乱します。



『のぼうの城』の舞台となった、埼玉の忍城に行ったことがあります。
好きな物語で、映画も観ました。
だから、ほかにも水攻めを受けたお城があるというのは、確かに気になりますが、忍城は持ちこたえた側、高松城は陥落してしまった側。
水攻め比較は、やるせないものです…。



蓮の説明文は、ようやく納得がいくものでした。
ここの蓮は、かつての城主、清水宗治公にちなんでつけられた宗治蓮という名なんですね。
この沼の復元をしたら、400年ぶりに芽吹き、花開いたという蓮。
感動的です。宗治公、蓮に守られて、安らかにお眠りください。



蓮は青々と茂っています。
まさに兵どもが夢のあと、といった状態でした。

歴史の流れをかみしめながら、1-(2)に続きます。



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