その1からの続きです。
○ 人の名みたいな真木大堂
食後、のどかな田園風景の中を、バスは真木大堂(まきおおどう)に向かいました。
(真木といったら、マイク、蔵人、よう子...人の名前みたいなお寺だなあ)なーんて思っていたのは、バスの中で私くらいだったかもしれません。
この日巡るお寺は、すべて天台宗。国東半島では密教が盛んだったようです。
ミステリアスね―。
入り口には、どことなくユーモラスな仁王さんがいました。
おなかにはめ込まれたご意見箱は、ちょっと前までは公衆電話だったそうです。
仁王を見上げながら電話したら、迫力に気おされて、話したいことを忘れてしまいそう。
先程訪れたばかりの富貴寺のような古めかしいお寺を連想していましたが、シェルターのような近代的な建物に保管されていました。
中に入ると、ガラス張りの向こうに仏像が安置されています。
保存上の問題で、数年前に改築した時にガラスの仕切りを入れたのだそう。
国東半島には無人のお寺が多くて、仏像ブームの今は、盗難に逢うものが多いのだとか。
ここは市が管理しているため、その問題はないそうです。
この地方では、宇佐神宮を中心とする八幡信仰と山岳信仰が融合して、神仏習合の山岳仏教文化が形成されました。
かつて国東半島にたくさんあった寺院の中でも中心格のお寺が所蔵していた仏像が、ここに安置されています。
藤原時代に作られた9体の大きな仏像は、すべて国宝級の国指定重要文化財。
どれもすばらしい出来で、見とれました。
ご本尊は、東西南北に四天王を従えた阿弥陀如来坐像。
その両横に明王像が2体あります。
片方には白い水牛にまたがった、六面・六臂・六足、つまり手足と顔がたくさんある大威徳明王像。
頭から湯気を出していそうなほどに、怒った表情です。
見ているだけで「すみません」と謝りたくなります。
日本一大きな大威徳明王の像で、乗っている水牛は、富貴寺を建てたカヤの木の残りで彫られたと言われているそうです。
動物の木造彫刻としても珍しいくらいの大きさだとか。
反対側に立つ不動明王像は、大火焔を背に立ち、燃え盛っていました。
両脇の2人の童子と共に、存在感たっぷり。
とても見がいがありました。
○ カカシだらけ
敷地の外には、たくさんのカカシがありました。
私が見ただけでも、20体くらいあったでしょうか。
どれもなかなかのクオリティ。上の画像なんて、本当に畑帰りの人かと思っちゃいました。
ゴルゴ30や峰富士子もいましたが、中でもお気に入りは、これ。
竹久夢二の「黒船屋」だと、一目でわかりました。黒猫は黒くてよくわからなかったけど…。
バスでの移動中に「この道の先には双葉山の実家があります」とガイドさん。
この辺りから横綱が出たんですね。
しかし私は、双葉山と二子山の区別がついていないレベル…。(似てますよね!?)
大分の力士は、ほかに佐伯市出身の嘉風(よしかぜ)雅継がいるそうです。
国東半島のお寺の前には、石製の仁王像がいるのが特徴的。
仁王といったら、仁王門の中にいるものというイメージが強いもの。
吹きさらしの外に立つ石の仁王像は、ほかに星の井観音(座間)との岩瀬不動尊(千葉)と鬼子母神(雑司ヶ谷)で見たことがあります。
珍しいので覚えていましたが、この辺りはこのスタイルがメジャーなんですね。
○ 鬼の作った石段
次に向かったのは、熊野磨崖仏。
二日前に、アカネちゃんに臼杵の磨崖仏を見せてもらっている私は、(もう国宝のすごいのを見ちゃったからねー)と、こちらは正直チェックしていませんでしたが、実は今回の隠れたハイライトと言えるほど、えらくハードな場所でした。
「みなさん、荷物はなるべく少な目に!上着もバスに置いていきましょう!」
「女性も、服は脱いでいけるだけ脱いでいきましょう。誰も見ている余裕なんてありませんから、だいじょうぶ!」
「貴重品とタオルだけ持って降りて下さい」
と重ねてガイドさんは言います。
バスツアーでそこまで念押しをされたことがないため、(なぜ?)と、なにやら不安になってきます。
「入り口で杖を持って行きましょう」と言われても「邪魔になるからいいわ」と持たなかった人たちもいましたが、バスガイドさんの様子を見て(この先何がどうなるかわからないから)と感じた私は、受け取りました。
初めのうちはなだらかな山中の道で、それほどでも大変ではありませんでしたが、じきに傾斜がきつくなり、大変な行程にがらりと変わりました。
ごつごつとした、登りにくい石段を登っていきます。
不安定な石を避けて、登りやすい足場を探すため、石段の傾斜を確かめながら、一足一足登って行きます。
ヒールの人は、もう引き返すしかありません。
はじめは一列になって歩いていたツアーメンバーでしたが、体力の差で、次第に間隔があき、バラバラになっていきます。
登っても登っても、まだ石段は続きます。
みんな息が上がっていますが、石段は延々と続いて、どこまで続くのかもわからないほど。
じきに先のことは考えられなくなり、ひたすら目の前の石に足をかけて、うんせうんせと登っていくだけ。
もはや修行でしかありません。
足場が悪く傾斜が厳しい乱積みの石段。
杖と手すりを頼りに上っていく、険しく長い道のりです。
杖が無い人は、両手で手すりにすがりつきながらそろそろと上がっています。
これは鬼が一夜で積み上げた石段だと言われているそうです。
たしかにこの荒ぶりようは、鬼が作ったっぽい感じ。
でももうちょっと歩きやすく作って~。
みんな必死に登っているため、前を歩く人がバランスを崩して落ちてきたら、支えきれずに重なり合って一緒に落ちてしまいそう。
持っている杖で、よろめく身体をなんとか支えます。はじめにもらっておいて、本当によかったです。
○ 豊後の磨崖仏
250m登ったところに、ようやく磨崖仏がありました。
そりゃもう、ドドーンと!
山肌に彫りこまれた、8mもの巨大な不動明王(画像)と、6.8mの大日如来像。
普段だったら怒った顔つきをしている不動明王が、穏やかな柔らかい表情をしていました。
ハーハーと息を整え、汗を拭きながら見上げます。
平安末期の作だそうですが、保存状態がいい、すばらしいものでした。
豊後磨崖仏の代表的な作品だそう。
臼杵もすごかったですが、豊後も負けていませんね。
○ 石段を登りきったら
石段はさらに上へ続いているため、ひと休みしたのちに再び登っていきました。
一番上には、熊野神社がありました。
木を組んだ簡素な祠。みんなが「がんばって登った割には…あれれ」と拍子抜けした様子で、あっさり降りていく中で、私は辺りをちょっと散策してみます。
すると、先ほど正面を見た大日如来像の横顔が、木立の先に見えました。
わあ、巨大石仏の斜め上からのアングルなんて、貴重だわー。
みんな、すぐに下りちゃわないで、辺りを探検しようよー。
でもそこは崖が近い、足元注意の場所だったので、声は上げずに一人でひっそり見るにとどめました。
○ ガクガクの下り道
さて、石段を全て登り終えたので、後は帰るだけ。
帰りは下りになるので楽だわ~。って、そんなことはありません。
下りの方が脚は疲れるんですよね。
石段の石が平坦ではないため、バランスを崩しやすく、帰りも杖は離せません。
登りでずいぶん脚力を使ったため、疲れも出るのか、下りの方がよろめく感じ。
緊張しながら一足一足進むため、下りもおっかなびっくりです。
日光をさえぎるほどに木立が深い山の中なのに、登山ですっかり暑くなりました。
「わあ、もう無理かと思った!」「こんなにキツいなんて知らなかった!」
ツアーの初めはみんな静かでしたが、一緒に声を掛け合いながら登山をした後は、参加者同士でうちとけた会話をしています。
○ ピカピカの仏像たち
石段を下まで降りきって、杖を戻したところに、石の仁王が立っています。
718年開基という古い歴史を持つ胎蔵寺。
12世紀頃にここの住職が熊野を訪れた後に、山肌に磨崖仏を彫ったことから、ここのお寺を今熊野山胎蔵寺、山腹の石仏を熊野磨崖仏というのだとか。
お寺には黒い袈裟姿の尼さんがおり「これを自分の干支に貼って」と、爪ほどの小さな金のシールを数枚もらいました。
梵字が印刷されています。
境内を見回すと、日の光を受けて、なにやらそこかしこがピカピカまばゆく光っています。
わー、まぶしい!なにこれ?
金銀のシールを貼られた金ぴかの仏像がずらりと並んでいました。
龍神も干支もいるし、七福神もいます。
初めて見る光景に、あっけにとられて固まりかけましたが、ミャンマーなどで、金箔をお布施として仏像に貼る習慣と同じことかなと考えて、我にかえりました。
うーん、どれに貼ろうかな。
自分の干支と、本堂前の大きな不動明王の心臓部分、あとは鰐口などに貼ってきました。
○ 両子寺じっくり散策
その後、両子寺(ふたごじ)へ。国東半島で一番高い両子山の中腹にあるお寺です。
山門に続く石段の両脇に、立派な石造の金剛力士(仁王)像が立っていました。
とても絵になりましたが、撮影者が大勢いたので私はパス。ツアーだとみんな一緒で順番になってしまうんですよね。
(あれ、ふたごじって?)とふと思いましたが、別に二体の仁王様が双子というわけではなさそうです。
ここの絵馬は、身体守護絵馬といって、人型をくりぬいて飾る仕組み。
自分の身体の調子の悪い部分を、くりぬいた型にチェックして奉納すると、護摩炊きでご祈祷してもらえるそう。
グリコのガムみたいですね。(わかる人、いる?いて~!)
奥の院には千手観音像が祀られていました。
この観音様は、九州西国三十三箇所にも選ばれているんだそう。
奥ノ院の奥の洞窟では湧き水も飲めると聞いて、洞窟内に入ってみましたが、暑い日だったからか、残念ながら水は湧いていませんでした。
自然の恵みは、そういうこともあるものです。
こちらの仁王像は、境内最古のもの。
仁王らしからぬ小ささが、なんだかかわいらしさも感じます。
まさに小さな巨人!
○ 風吹きぬける参道
自由行動時間中に、境内から出て、ひとり参道に戻ってみました。
先ほどみんなで通ってきた道ですが、この時はもう誰もいません。
静かに風が吹き抜けていき、サラサラとした風の音が聴こえるだけ。
まっすぐな雰囲気のある参道に、ひとりきり。
こんな広々とした空間を独り占めできるなんて。
静かに目をつぶって深呼吸すると、緑の香りが身体の中に入ってきて、安らいだ気持ちになります。
このまま風景に溶け込みそう…。千の風になって~♪(まだ早いか)
今回の旅はけっこうダイナミックに動きましたが、最後にこんなおだやかな時間を体感できるなんて。
明日からせわしない都心に戻って、ちゃんと復帰できるのか、心配になってしまうほどでした。
今は、青々とした紅葉が日光に照らされて輝いていましたが、もう少ししたら紅葉が見事に映えることでしょう。
○ 空港でサヨナラ
バスに集合して、そこから30分ほどで、大分空港に到着。
飛行機に乗るために降りたのは、私を含めて3名。
残った人は、別府や大分に戻って旅を続ける人たち。
誰もが旅行者で、ツアー中、楽しく会話を交わしたので、皆さんに挨拶をし、バスに手を振って、お別れしました。
さて、これで今回のすべての旅程が終了。あとは帰るだけ。
ただ、フライト時間とうまく合わず、4時間ほどこの空港で過ごします。
アカネちゃんには「大分空港、なんにもないけど、そんなに長い時間いて大丈夫?」とかなり心配してもらいましたが、「空港内を探検するから、大丈夫」と笑って答えました。
しかーし、空港内探検は、ものの20分程度であっさり終了!
思ったよりもはるかに小さ・・・いえ、コンパクトでかわいらしい空港だったんです。
○ 大分空港で過ごす
せっかくの待ち時間を使って、どこかを観光したい気持ちにもなりましたが、この空港は市街地までずいぶん離れた場所にあるため、無理に動くのはやめて、のんびり過ごすことにします。
ふたたびじっくり探検再開。
お土産屋さんでおもしろいアイテムを見つけたので、撮らせてもらいました。
諭吉さんの学習帳。勉強の効果よりもなぜかお金がたまりそうな気がします。
地獄の閻魔帳と書かれているのに、全く怖そうじゃないのがツボでした。
しかも閻魔って書いているのに、描かれているのは赤鬼。ちょっと関係ないんじゃなーい?
さらに「毎日地獄です」Tシャツを発見!
人気なのか、色違いシリーズになっていました。
これ、別府だったらウケ狙いで着られますが、都心で着たら、みんなに気の毒がられちゃいますね。
よーし、たくさん買って帰ろう。(いえ、やめておきましたよ)
屋上の送迎ゲートからは、海がすぐそばに見えました。
私がやってきた愛媛の佐田岬も、佐賀関港も、一望できるはずなのですが、この日は水平線が霞んでいて、目を凝らしても見えませんでした。
確かにあの辺にあるんだけれど。
そういえば、私が九州に初めて降り立ったのは、ここ大分空港だったなあと思い出しました。
誰かに「大分空港は板張りなんだよ」と教えられて、素直にそう信じていたら、アカネちゃんに「ちょっと、そんなはずないでしょ!!」と言われたことを思い出します。
私としては板張りの空港が、楽しみだったんですが。
大分のホバークラフトにも、一度乗ってみたいと思っていましたが、もうなくなってしまったと聞いて、残念でなりません。
九州にはハキハキとした人が多いようなイメージですが、大分と佐賀の人はおっとりしているといた印象を勝手に持っています。
夕焼けが見え始めてきた空港から飛び立って、帰途につきました。
○ epilogue
今回は、四国から佐田岬を通って九州へ海路で渡るという目的に加えて、愛媛と大分の気になる場所を訪れた旅になりました。
行き帰りのフライトは一人でしたが、愛媛の宿ではシシ鍋を囲んで知り合いが増えたし、大分では友人にガイドをしてもらい、最終日にはバスツアーの参加者同士で交流したので、旅行中寂しい思いはしませんでした。
以前は、ツアー旅行がメインでしたが、最近ではフリー旅行ばかりしています。
観光地を巡ることだけが、目的ではなくなったからです。
今回も、アカネちゃんに何度も「普通とは違うリクエストするね」「観光客が行く場所じゃないところばっかり」「パワースポット巡りとも言いきれないよね」などと言われ、そのたびに「そうかなあ、あはは」と笑っていました。
松山と大分、気づけばどちらも温泉どころ。お湯に困ることはありませんでした。
海あり山あり、食も充実しており、葉が色づき始めた初秋の自然を楽しめました。
ゆっくりした時間を味わうには、温泉地がいいですね。
天候にも恵まれた、思い出に残る旅でした。
○ 人の名みたいな真木大堂
食後、のどかな田園風景の中を、バスは真木大堂(まきおおどう)に向かいました。
(真木といったら、マイク、蔵人、よう子...人の名前みたいなお寺だなあ)なーんて思っていたのは、バスの中で私くらいだったかもしれません。
この日巡るお寺は、すべて天台宗。国東半島では密教が盛んだったようです。
ミステリアスね―。
入り口には、どことなくユーモラスな仁王さんがいました。
おなかにはめ込まれたご意見箱は、ちょっと前までは公衆電話だったそうです。
仁王を見上げながら電話したら、迫力に気おされて、話したいことを忘れてしまいそう。
先程訪れたばかりの富貴寺のような古めかしいお寺を連想していましたが、シェルターのような近代的な建物に保管されていました。
中に入ると、ガラス張りの向こうに仏像が安置されています。
保存上の問題で、数年前に改築した時にガラスの仕切りを入れたのだそう。
国東半島には無人のお寺が多くて、仏像ブームの今は、盗難に逢うものが多いのだとか。
ここは市が管理しているため、その問題はないそうです。
この地方では、宇佐神宮を中心とする八幡信仰と山岳信仰が融合して、神仏習合の山岳仏教文化が形成されました。
かつて国東半島にたくさんあった寺院の中でも中心格のお寺が所蔵していた仏像が、ここに安置されています。
藤原時代に作られた9体の大きな仏像は、すべて国宝級の国指定重要文化財。
どれもすばらしい出来で、見とれました。
ご本尊は、東西南北に四天王を従えた阿弥陀如来坐像。
その両横に明王像が2体あります。
片方には白い水牛にまたがった、六面・六臂・六足、つまり手足と顔がたくさんある大威徳明王像。
頭から湯気を出していそうなほどに、怒った表情です。
見ているだけで「すみません」と謝りたくなります。
日本一大きな大威徳明王の像で、乗っている水牛は、富貴寺を建てたカヤの木の残りで彫られたと言われているそうです。
動物の木造彫刻としても珍しいくらいの大きさだとか。
反対側に立つ不動明王像は、大火焔を背に立ち、燃え盛っていました。
両脇の2人の童子と共に、存在感たっぷり。
とても見がいがありました。
○ カカシだらけ
敷地の外には、たくさんのカカシがありました。
私が見ただけでも、20体くらいあったでしょうか。
どれもなかなかのクオリティ。上の画像なんて、本当に畑帰りの人かと思っちゃいました。
ゴルゴ30や峰富士子もいましたが、中でもお気に入りは、これ。
竹久夢二の「黒船屋」だと、一目でわかりました。黒猫は黒くてよくわからなかったけど…。
バスでの移動中に「この道の先には双葉山の実家があります」とガイドさん。
この辺りから横綱が出たんですね。
しかし私は、双葉山と二子山の区別がついていないレベル…。(似てますよね!?)
大分の力士は、ほかに佐伯市出身の嘉風(よしかぜ)雅継がいるそうです。
国東半島のお寺の前には、石製の仁王像がいるのが特徴的。
仁王といったら、仁王門の中にいるものというイメージが強いもの。
吹きさらしの外に立つ石の仁王像は、ほかに星の井観音(座間)との岩瀬不動尊(千葉)と鬼子母神(雑司ヶ谷)で見たことがあります。
珍しいので覚えていましたが、この辺りはこのスタイルがメジャーなんですね。
○ 鬼の作った石段
次に向かったのは、熊野磨崖仏。
二日前に、アカネちゃんに臼杵の磨崖仏を見せてもらっている私は、(もう国宝のすごいのを見ちゃったからねー)と、こちらは正直チェックしていませんでしたが、実は今回の隠れたハイライトと言えるほど、えらくハードな場所でした。
「みなさん、荷物はなるべく少な目に!上着もバスに置いていきましょう!」
「女性も、服は脱いでいけるだけ脱いでいきましょう。誰も見ている余裕なんてありませんから、だいじょうぶ!」
「貴重品とタオルだけ持って降りて下さい」
と重ねてガイドさんは言います。
バスツアーでそこまで念押しをされたことがないため、(なぜ?)と、なにやら不安になってきます。
「入り口で杖を持って行きましょう」と言われても「邪魔になるからいいわ」と持たなかった人たちもいましたが、バスガイドさんの様子を見て(この先何がどうなるかわからないから)と感じた私は、受け取りました。
初めのうちはなだらかな山中の道で、それほどでも大変ではありませんでしたが、じきに傾斜がきつくなり、大変な行程にがらりと変わりました。
ごつごつとした、登りにくい石段を登っていきます。
不安定な石を避けて、登りやすい足場を探すため、石段の傾斜を確かめながら、一足一足登って行きます。
ヒールの人は、もう引き返すしかありません。
はじめは一列になって歩いていたツアーメンバーでしたが、体力の差で、次第に間隔があき、バラバラになっていきます。
登っても登っても、まだ石段は続きます。
みんな息が上がっていますが、石段は延々と続いて、どこまで続くのかもわからないほど。
じきに先のことは考えられなくなり、ひたすら目の前の石に足をかけて、うんせうんせと登っていくだけ。
もはや修行でしかありません。
足場が悪く傾斜が厳しい乱積みの石段。
杖と手すりを頼りに上っていく、険しく長い道のりです。
杖が無い人は、両手で手すりにすがりつきながらそろそろと上がっています。
これは鬼が一夜で積み上げた石段だと言われているそうです。
たしかにこの荒ぶりようは、鬼が作ったっぽい感じ。
でももうちょっと歩きやすく作って~。
みんな必死に登っているため、前を歩く人がバランスを崩して落ちてきたら、支えきれずに重なり合って一緒に落ちてしまいそう。
持っている杖で、よろめく身体をなんとか支えます。はじめにもらっておいて、本当によかったです。
○ 豊後の磨崖仏
250m登ったところに、ようやく磨崖仏がありました。
そりゃもう、ドドーンと!
山肌に彫りこまれた、8mもの巨大な不動明王(画像)と、6.8mの大日如来像。
普段だったら怒った顔つきをしている不動明王が、穏やかな柔らかい表情をしていました。
ハーハーと息を整え、汗を拭きながら見上げます。
平安末期の作だそうですが、保存状態がいい、すばらしいものでした。
豊後磨崖仏の代表的な作品だそう。
臼杵もすごかったですが、豊後も負けていませんね。
○ 石段を登りきったら
石段はさらに上へ続いているため、ひと休みしたのちに再び登っていきました。
一番上には、熊野神社がありました。
木を組んだ簡素な祠。みんなが「がんばって登った割には…あれれ」と拍子抜けした様子で、あっさり降りていく中で、私は辺りをちょっと散策してみます。
すると、先ほど正面を見た大日如来像の横顔が、木立の先に見えました。
わあ、巨大石仏の斜め上からのアングルなんて、貴重だわー。
みんな、すぐに下りちゃわないで、辺りを探検しようよー。
でもそこは崖が近い、足元注意の場所だったので、声は上げずに一人でひっそり見るにとどめました。
○ ガクガクの下り道
さて、石段を全て登り終えたので、後は帰るだけ。
帰りは下りになるので楽だわ~。って、そんなことはありません。
下りの方が脚は疲れるんですよね。
石段の石が平坦ではないため、バランスを崩しやすく、帰りも杖は離せません。
登りでずいぶん脚力を使ったため、疲れも出るのか、下りの方がよろめく感じ。
緊張しながら一足一足進むため、下りもおっかなびっくりです。
日光をさえぎるほどに木立が深い山の中なのに、登山ですっかり暑くなりました。
「わあ、もう無理かと思った!」「こんなにキツいなんて知らなかった!」
ツアーの初めはみんな静かでしたが、一緒に声を掛け合いながら登山をした後は、参加者同士でうちとけた会話をしています。
○ ピカピカの仏像たち
石段を下まで降りきって、杖を戻したところに、石の仁王が立っています。
718年開基という古い歴史を持つ胎蔵寺。
12世紀頃にここの住職が熊野を訪れた後に、山肌に磨崖仏を彫ったことから、ここのお寺を今熊野山胎蔵寺、山腹の石仏を熊野磨崖仏というのだとか。
お寺には黒い袈裟姿の尼さんがおり「これを自分の干支に貼って」と、爪ほどの小さな金のシールを数枚もらいました。
梵字が印刷されています。
境内を見回すと、日の光を受けて、なにやらそこかしこがピカピカまばゆく光っています。
わー、まぶしい!なにこれ?
金銀のシールを貼られた金ぴかの仏像がずらりと並んでいました。
龍神も干支もいるし、七福神もいます。
初めて見る光景に、あっけにとられて固まりかけましたが、ミャンマーなどで、金箔をお布施として仏像に貼る習慣と同じことかなと考えて、我にかえりました。
うーん、どれに貼ろうかな。
自分の干支と、本堂前の大きな不動明王の心臓部分、あとは鰐口などに貼ってきました。
○ 両子寺じっくり散策
その後、両子寺(ふたごじ)へ。国東半島で一番高い両子山の中腹にあるお寺です。
山門に続く石段の両脇に、立派な石造の金剛力士(仁王)像が立っていました。
とても絵になりましたが、撮影者が大勢いたので私はパス。ツアーだとみんな一緒で順番になってしまうんですよね。
(あれ、ふたごじって?)とふと思いましたが、別に二体の仁王様が双子というわけではなさそうです。
ここの絵馬は、身体守護絵馬といって、人型をくりぬいて飾る仕組み。
自分の身体の調子の悪い部分を、くりぬいた型にチェックして奉納すると、護摩炊きでご祈祷してもらえるそう。
グリコのガムみたいですね。(わかる人、いる?いて~!)
奥の院には千手観音像が祀られていました。
この観音様は、九州西国三十三箇所にも選ばれているんだそう。
奥ノ院の奥の洞窟では湧き水も飲めると聞いて、洞窟内に入ってみましたが、暑い日だったからか、残念ながら水は湧いていませんでした。
自然の恵みは、そういうこともあるものです。
こちらの仁王像は、境内最古のもの。
仁王らしからぬ小ささが、なんだかかわいらしさも感じます。
まさに小さな巨人!
○ 風吹きぬける参道
自由行動時間中に、境内から出て、ひとり参道に戻ってみました。
先ほどみんなで通ってきた道ですが、この時はもう誰もいません。
静かに風が吹き抜けていき、サラサラとした風の音が聴こえるだけ。
まっすぐな雰囲気のある参道に、ひとりきり。
こんな広々とした空間を独り占めできるなんて。
静かに目をつぶって深呼吸すると、緑の香りが身体の中に入ってきて、安らいだ気持ちになります。
このまま風景に溶け込みそう…。千の風になって~♪(まだ早いか)
今回の旅はけっこうダイナミックに動きましたが、最後にこんなおだやかな時間を体感できるなんて。
明日からせわしない都心に戻って、ちゃんと復帰できるのか、心配になってしまうほどでした。
今は、青々とした紅葉が日光に照らされて輝いていましたが、もう少ししたら紅葉が見事に映えることでしょう。
○ 空港でサヨナラ
バスに集合して、そこから30分ほどで、大分空港に到着。
飛行機に乗るために降りたのは、私を含めて3名。
残った人は、別府や大分に戻って旅を続ける人たち。
誰もが旅行者で、ツアー中、楽しく会話を交わしたので、皆さんに挨拶をし、バスに手を振って、お別れしました。
さて、これで今回のすべての旅程が終了。あとは帰るだけ。
ただ、フライト時間とうまく合わず、4時間ほどこの空港で過ごします。
アカネちゃんには「大分空港、なんにもないけど、そんなに長い時間いて大丈夫?」とかなり心配してもらいましたが、「空港内を探検するから、大丈夫」と笑って答えました。
しかーし、空港内探検は、ものの20分程度であっさり終了!
思ったよりもはるかに小さ・・・いえ、コンパクトでかわいらしい空港だったんです。
○ 大分空港で過ごす
せっかくの待ち時間を使って、どこかを観光したい気持ちにもなりましたが、この空港は市街地までずいぶん離れた場所にあるため、無理に動くのはやめて、のんびり過ごすことにします。
ふたたびじっくり探検再開。
お土産屋さんでおもしろいアイテムを見つけたので、撮らせてもらいました。
諭吉さんの学習帳。勉強の効果よりもなぜかお金がたまりそうな気がします。
地獄の閻魔帳と書かれているのに、全く怖そうじゃないのがツボでした。
しかも閻魔って書いているのに、描かれているのは赤鬼。ちょっと関係ないんじゃなーい?
さらに「毎日地獄です」Tシャツを発見!
人気なのか、色違いシリーズになっていました。
これ、別府だったらウケ狙いで着られますが、都心で着たら、みんなに気の毒がられちゃいますね。
よーし、たくさん買って帰ろう。(いえ、やめておきましたよ)
屋上の送迎ゲートからは、海がすぐそばに見えました。
私がやってきた愛媛の佐田岬も、佐賀関港も、一望できるはずなのですが、この日は水平線が霞んでいて、目を凝らしても見えませんでした。
確かにあの辺にあるんだけれど。
そういえば、私が九州に初めて降り立ったのは、ここ大分空港だったなあと思い出しました。
誰かに「大分空港は板張りなんだよ」と教えられて、素直にそう信じていたら、アカネちゃんに「ちょっと、そんなはずないでしょ!!」と言われたことを思い出します。
私としては板張りの空港が、楽しみだったんですが。
大分のホバークラフトにも、一度乗ってみたいと思っていましたが、もうなくなってしまったと聞いて、残念でなりません。
九州にはハキハキとした人が多いようなイメージですが、大分と佐賀の人はおっとりしているといた印象を勝手に持っています。
夕焼けが見え始めてきた空港から飛び立って、帰途につきました。
○ epilogue
今回は、四国から佐田岬を通って九州へ海路で渡るという目的に加えて、愛媛と大分の気になる場所を訪れた旅になりました。
行き帰りのフライトは一人でしたが、愛媛の宿ではシシ鍋を囲んで知り合いが増えたし、大分では友人にガイドをしてもらい、最終日にはバスツアーの参加者同士で交流したので、旅行中寂しい思いはしませんでした。
以前は、ツアー旅行がメインでしたが、最近ではフリー旅行ばかりしています。
観光地を巡ることだけが、目的ではなくなったからです。
今回も、アカネちゃんに何度も「普通とは違うリクエストするね」「観光客が行く場所じゃないところばっかり」「パワースポット巡りとも言いきれないよね」などと言われ、そのたびに「そうかなあ、あはは」と笑っていました。
松山と大分、気づけばどちらも温泉どころ。お湯に困ることはありませんでした。
海あり山あり、食も充実しており、葉が色づき始めた初秋の自然を楽しめました。
ゆっくりした時間を味わうには、温泉地がいいですね。
天候にも恵まれた、思い出に残る旅でした。
ご苦労様でした。
読み応えありましたよ。
今度大分行くときには
このブログがいいガイドブックになりそうです。
あの案山子、写真で見ると案山子に見えないですよ。
本物の地元のおばちゃんが野菜売ってるのかと思いました。
あの階段の坂も凄いですね。
登りは汗をかけば済むことですが
下りはもう大変!!
膝は笑うわ、翌日筋肉痛になるわで
大丈夫でしたか?
あと「毎日が地獄」
最高にうけるけど
着る勇気ないけど、着てる人見たいし
着てる人を見てる人のリアクションも
見てみたいです。
「毎日が天国」と「毎日が地獄」
どっちのTシャツのほうが売れるのかな?
関西では「毎日が地獄」でしょうね。
長々とすみませんでした。
応援 P
今思い返しても、いい旅でした!
あの案山子は等身大の大きさで、本当にクオリティが高かったです。
ただ、顔を覗き込んじゃうと「いやいや、ゴルゴじゃないよね」と思っちゃうんですが。っていってもゴルゴは現実にいない人だった(笑)!
あの熊野磨崖仏の石段は、ほんとにすさまじかったですよ。旅の最終日ということもあって、翌日は旅が終わった悲しさでしょんぼりしていて、筋肉痛のことを忘れていたかも!?
東京で「毎日が地獄」Tシャツを着たら、誰も笑えなくて遠巻きに気遣わしげな視線を送られそうです!あれはやっぱり別府だから着られるものじゃないかと(笑)
駄文におつきあいくださって、どうもありがとうございます。アネッティワールドさんに読んでいただけて、とってもはげみになりました!
佐田岬が「天地創造」っぽいことで、お知り合いになれてよかったでーす(*^▽^*)