実家から食べきれないから取りに来い とメールがあり、在宅勤務の息子に
取りに行ってもらった。
札幌市の端と端に住んでいるので、簡単に来いと言われても遠いんですよ!
立派なシャインマスカット。
みずみずしくてたいへんおいしゅうございました。
ぷりっぷりですね。
お裾分けありがとうございました。
実家から食べきれないから取りに来い とメールがあり、在宅勤務の息子に
取りに行ってもらった。
札幌市の端と端に住んでいるので、簡単に来いと言われても遠いんですよ!
立派なシャインマスカット。
みずみずしくてたいへんおいしゅうございました。
ぷりっぷりですね。
お裾分けありがとうございました。
車を走らせていたら、たまたま見つけたんです。
炭鉄港カードになった鉄道橋梁です。
日本遺産構成文化財 炭山川橋 展望広場に行ってきました。
旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁
●規模・構造:橋長 L=94m、川床からの高さ H=32m
橋梁構造~鋼板桁上路6連(緩やかな曲線を描く)
鉄橋 ~鉄筋コンクリート造円柱5本及び2連アーチ橋
●竣工年月:1945(昭和20年)年12月
●沿革:1940(昭和15年)年
三井鉱山(株)が芦別駅~西芦別駅間L=4.1kmを結ぶ三井芦別炭鉱の
石炭運搬専用鉄道を敷設した。
1944(昭和19年)年に軍需省から石炭増産要請を受けた三井鉱山(株)
は、第2坑(頼城)緊急開発の一環として、同年中に線路の延長工事に
着手した。
工事の下請業者は、日本人や朝鮮人の労働者を使役し難工事に当たった
が、炭山川と芦別川の二つの橋梁が完成し、芦別駅~頼城駅間L=9.11km
が開通したのは、終戦後の1945(昭和20年)年12月であった。
1960(昭和35年)年には三井芦別鉄道(株)が独立、1989(平成元年)年
3月に廃線となるまで、延べ3600万トン以上の石炭を運搬したという。
●文化財:平成21年1月に国の登録有形文化財に登録され、令和元年5月には、文化
庁の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財の一つに認定された。
立入禁止でフェンスの向こう側には行けませんが、
橋梁の様子は見ることができます。
橋上のディーゼル機関車と石炭貨車セキ3820は文化財ではないとのこと。
炭鉄港カードが作られなければ、存在すら知らなかった橋梁です。
芝刈りされ、きれいに整備されていました。
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁
芦別市西芦別町・中の丘町