某国破壊工作団体幹部氏 へ

某破壊工作団体と某被害者とのごく内輪の遣り取りの場所です。

19/8/20 若者達へ 其の二

2019年08月20日 | 日記


午前三時半辺り頃から私でも解る凄い動きが始まった。

しかし、、結局若者達はたらたらとやり、撤収は実行とはならずに、朝を迎えることとなった。


母が亡くなってから気力が無くなっていたのが、初めて「怒る」ことを若者達に私は朝過ぎに行った。

遂に疲れて眠ったのが実に午前九時。

完全に起床したのは午前十時半頃のことであったが、途中睡眠を「意図的に」切られ、、「約一時間半睡眠」「約一時間」、、となってしまった。


私が疲れ果てているのもあり、今日「も」役所に母の死去の手続きに行くことはできないこととなった。


朝方過ぎに、、「ホレッ!」、、の元気な掛け声と共にやられた歯の部位がいまだに痛い。

痛み・苦しみを訴え続けた母の声を忘れることはないだろう。自分を一生懸命に育ててくれた母親の声だ。


御前達や大越の母親は幸せで、本当に本当にうらやましいよ。

無力な息子である自分が、母にひたすらに申し訳ない。


19/8/20 若者達へ 其の一

2019年08月20日 | 日記


極限をも超える様な思いを母に関して貴様らで経験をさせられた。

せめてその後、穏やかに思い出と共に四十九日と言う最後の日々を母と共に過ごそうと思っていた。



ところが、その後も苦しみは続いた。

昨日の睡眠時間は、「一時間半」「一時間半」「(たぶん)一時間」


母の死去の件で役所にも嫌々ながら早く行かなければならないが、「一体何時になったら行けるのであろう?」、と期限の迫ってくる日々の中、緊張して生きている。


午前三時半辺り頃から凄いことが始まった。今度こそ、と私ですら思わせるものだった。

しかし、あれから三時間が経過し、「出入りもないのに」、苦しい電磁波が私に、生ける屍の私に打たれ続けている。



田舎の普通のお兄さんに過ぎない御前らが、どうして何時までもこんなに傍若無人にふるまうのであろうか?