午前三時半辺り頃から私でも解る凄い動きが始まった。
しかし、、結局若者達はたらたらとやり、撤収は実行とはならずに、朝を迎えることとなった。
母が亡くなってから気力が無くなっていたのが、初めて「怒る」ことを若者達に私は朝過ぎに行った。
遂に疲れて眠ったのが実に午前九時。
完全に起床したのは午前十時半頃のことであったが、途中睡眠を「意図的に」切られ、、「約一時間半睡眠」「約一時間」、、となってしまった。
私が疲れ果てているのもあり、今日「も」役所に母の死去の手続きに行くことはできないこととなった。
朝方過ぎに、、「ホレッ!」、、の元気な掛け声と共にやられた歯の部位がいまだに痛い。
痛み・苦しみを訴え続けた母の声を忘れることはないだろう。自分を一生懸命に育ててくれた母親の声だ。
御前達や大越の母親は幸せで、本当に本当にうらやましいよ。
無力な息子である自分が、母にひたすらに申し訳ない。