某国破壊工作団体幹部氏 へ

某破壊工作団体と某被害者とのごく内輪の遣り取りの場所です。

19/8/23 若者達へ 其の三

2019年08月23日 | 日記


撤収うんぬんで、、私の『大きな』苦しみが始まってから、実に十一時間になる。

途中、断続的に止んだり、弱いものとなったりもしたが、、大きな苦しみは十一時間の「殆どの」時間で行われ続けた。


私の母の時もそうだったが、、貴様らのどうしようもないクズ・ワルな部分は、『どこまでもどこまでも拙宅を大きく苦しめることを止めないこと。』

『どんなに凄いことが起こっても』、この菅原のバカ一家を苦しめる方針だけは決して止めないこと。


私の母がああいうことになり、貴様らの家族も凄いこととなっているであろうのに、、それでも本日十一時間の殆どで、私を苦しめに苦しめること。

母であれだけ私を苦しめた上に、更にこうして日々苦しめることを『追加』していくこと。


19/8/23 若者達へ 其の二

2019年08月23日 | 日記


午前四時半頃に、、私ですらが撤収するのかと思う程の動きがあった。

しかし、結局撤収は行われなかった。


そして、、午前五時過ぎ(?)頃から騒動が開始した。

いかにも撤収「準備」が進行中、と言った騒動ではある。


ここで一寸した高血圧攻撃も始まっている。

しかし、度重なる極限の苦しみにこれをやられると、今に母に次いで今度は私が貴様らに殺害されるであろう。



ただ、、非常に問題となるのは今の騒動の「目的」は何か? と言うことである。

最近、この時間帯になると毎朝繰り返されるものと『同じ』ことを貴様らはやっているのだ。


となると、、この今の騒動の目的は、「撤収をしている様にバカ菅原に見せかけ、バカの気を抜かせて、、今度こそ帰ってくるだろう俺達の車・黒いセダンの帰宅をバカから守るのだ!!」


どんな方でもいいですから、貴様ら二人を嬲り殺しにして頂きたい、、と真剣に私は願います。


19/8/23 若者達へ 其の一

2019年08月23日 | 日記


実の母親を目の前で時間をかけて嬲り殺される、と言う今こうして記していてもおぞましい限りの経験を貴様らで私はした。


その 『後も』 貴様らでこうして苦しみ続けて来た理由が、私には全く解らない。


特に昨晩からここまでの苦しみの理由が解らない。

昨晩八月二十二日午後十一時頃から、だったろうか強めの電磁波が始まった。

「いよいよ撤収なのだろう。」と我慢を続けた。


ところが、、なかなか撤収は実行されず、苦しい電磁波は続いた。

「撤収への踏ん切りがつかないのだろう。」と我慢を更に続けた。



しかし、、電磁波は「より」強いものとなり、一種強烈的な電磁波にまでそれはなった。

苦悩の日々に疲れていた私は遂にたまらず床に横になった。

そこへも「強烈的な」電磁波は情け容赦なく電磁波が襲い続け、やがてどうも出入りがあったらしいことが、私にも解った。


それでも電磁波が「強い」ものが続き、やがて私は眠ってしまった。

眠りの中で、怖いものから子供達と一緒に逃げ回る恐ろしい夢を見た。
夢の中でも、「母の時についで今度も」と自分が情け無かった。


目が開くと、「早く起きろ」と言う意味なのであろう、苦しい電磁波が私を襲い続けた。

やがて体の特定の部位が痛みつけられ、「これを、しかも強度にやられた母はどれだけ辛かっただろう。」、と陰惨な気持ちになった。



疲れた体を無理して起したが、『準備』、とやらがあるらしく、、思いの外「すぐに」撤収は実行されず、私の苦しみは長々と続き、、ここまでで合わせて三時間以上に及ぼうとしている。


     『どこまでも、どこまでも、自分達はお偉さん』

     『バカ菅原母子は偉大なるコンツェルンの自分達のもの』


弱者である私を、見下し威嚇する音が先ほどから、ずっと続いている。


後二時間程で、母の死亡を確認し、私が恥も外部もなく泣き喚いて丁度一週間となる。