昨日の夕ご飯は餃子でした。
もう日本の国民食と言ってもいいくらいの餃子。
若住職はもちろん、龍くんも大好物のメニューです。
子供にはいっぱい食べて欲しいと思うのが、作り手の願いです。
そしてバランスよく食べて欲しいというのも、母の願いです。
でも、子供はやっぱり好きなものばかりを食べたがるもの。
昨日の献立は、餃子・ブロッコリーとトマトのサラダ・小松菜の中華スープでした。
餃子ばかり食べたがる龍くんに、私は「ブロッコリーを食べたら餃子を食べていいよ」と言います。
すると龍くんは、「ブロッコリーを食べないから、餃子を食べるの」と返します。
なぜブロッコリーを食べなければならないのか。
なぜ餃子を食べようとする前に、違うものを食べさせられようとしているのか。
その真意が分からない子供にとって、交換条件は何の意味もなさいないようです。
けれど、好きなものだけでお腹を満たせたら、どんなに幸せなことでしょう。
甘いものだけ食べ続けていたいと、何度思ったことか。
揚げ物を思う存分食べたいと、何度思ったことか。
でも、なぜそれをしないのかと考えれば、太るからとか、ニキビができるからとか・・・ただの罪悪感からのストッパーしかなかったことに気がつきます。
そんな罪悪感と無縁の子供にとって、大好きな食べ物の前に違うものを食べさせられるということは、大人が思う以上に苦痛なことなのかもしれないと思ったりしました。
母の願いと子供の望みが合致することなんて、滅多にないのかもしれません。
自分の思い通りにならないことを、今から学ばせて行くことも大切なのかもしれません。
それでも、自分もまた子供だった頃があったはずであり、その頃に感じていたであろう理不尽さについて思いを巡らせながら、我が子と向き合う「ゆとり」も大切なんだろうなと思いました。