週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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ボツ

2012-02-22 02:56:11 | 法話のようなもの

この数ヶ月、考え続けていた原稿がボツになりました(泣)
せっかくなので、ここに載せておこうと思います。



誰の前にも訪れる死という現実と、愛しい存在との別れ。
「愛別離苦」という苦しみは、ときに死について考えることを私から遠ざけてしまいます。

しかし、その苦しみを感じられる存在と出会えたことを喜び、そして愛する存在と過ごすことのできる、この一瞬一瞬を迷うことなく大切に生きて欲しい・・・。
それが今、あなたと縁ある方が死をもって教えてくださっていることではないでしょうか。

仏教では、人が亡くなることを「往生する」と言います。
「往生」とは「往(ゆ)きて生まれる」ということです。

私たちは、どこで亡くなろうと、どのように亡くなろうと、ともに阿弥陀如来という仏さまが用意してくださった「お浄土」に往き生まれます。
そして、阿弥陀さまのはからいによって、誰もが分け隔てられることなく「仏」と成らせていただくのです。

お浄土とは、自他を超えた世界をいいます。
それは誰かの喜びが自分の喜びとなり、誰かの悲しみが自分の悲しみになる世界のことです。
仏と成るということは、その心をもって無常の世界に残してきた、つながりあうものたちの喜びや悲しみに、寄り添い続けていくということでもあります。

愛しい人とのお別れは、涙を流すだけでは癒されないかもしれません。
しかし、あなたの悲しみには必ず寄り添ってくださる仏さまがいらっしゃいます。
死ですべてが終わりになるのではありません。
あなたも私も、誰もがお浄土へと続いていく尊いいのちを生かされているのです。

阿弥陀さまは、どのようなときも決してあなたを一人にしません。
あなたに寄り添う阿弥陀さまのお話に、そして「死」によって気づかされる「つながり」に、心を傾けてはみませんか?



以上です。
そのうち、なんらかの形で使うことができたらいいなぁ。
とりあえず気持ちを切り替えて、次は寺報に取り掛かることにしましょう。