週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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『よろこび』

2012-02-27 01:00:35 | 近況報告

      

昨日、無事に佐川急便さんに引き取られていきました。

今回は世話人さん方に配っていただく分が多いので、業者さんにお願いするのはこれだけになりました。


さて、同封されている小冊子『よろこび』の中に、目に止まった一文がありました。
それは、最初に執筆されている西原祐治師の「ごめんなさい おかあさん」の中にあります。


この私の〝あって当たり前〟という思いを、どう壊していくか、それが仏教の歴史です。(中略)
ところが阿弥陀仏の救いを説く浄土真宗では、〝あって当たり前〟の心を壊していくのではなく、壊すことのできない者をそのまま認めていこうとする考え方に立っています。


〝あって当たり前〟の心を壊すのではなく、〝あって当たり前〟の心を持っているという自覚を促し、それでもなおその心を捨てることのできない自分に気づかされていく。
そして、その私の、そのままを認め、受け止めてくださるという阿弥陀さまの慈悲を聞いていくということ。

なるほど、なるほど。

私はこれまで、「念仏は殻を纏った自らが崩壊する音である」という言葉を大事にしてきました。
自分を絶対化することの危うさを、指摘してやまないはたらきが念仏であると・・・。

だから、〝あって当たり前〟も自分を絶対化することで生まれる価値観である以上、み教えの前では崩壊するもので、それでもその価値観を完全に捨てることのできない自分であるということに気づかされていく、というふうに受け止めていたのですが・・・・。

阿弥陀さまは隔てなく、壊せない人をも包んでいるのですね。
皆さまにも、いろんなことろで共感していただけたら嬉しく思います。

そして、この抜粋した文章の中に、「ところが」が「とろこが」になっているという誤植を見つけてしまいましたので、そちらも合わせてご確認くださいませ(笑)