週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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合同法要・追悼法座

2011-04-05 01:16:27 | 法話のようなもの

今回の法要の布教師さんは、万行寺ご住職の本多靜芳先生でした。

   

本多先生は、東洋大学で講師として教鞭をとられている他、築地本願寺にある東京仏教学院の講師でもあり、私の恩師でもあります。
永代経法要に併せ、追悼法要をするとの知らせを受け、先生は急遽追悼法座のご用意をしてくださいました。

本多先生は、3月11日の震災を飛行機の中で体験し、着陸後もなかなか降りることができなかった上、携帯もつながらず、事態の把握に時間がかかったとのこと。
奥様は築地本願寺にいらっしゃって、羽田空港から車で迎えに行くも、大渋滞に巻き込まれ、奥様とそのまま築地本願寺に留まり、翌朝まで過ごされたという帰宅難民者の一人だったそうです。

築地本願寺では、帰宅難民者を率先して受け入れ、職員(全員僧侶)がおにぎりを握り、スープを作り、毛布を配って、300人以上の方々に温かな場所を朝まで提供し続けました。
そこで本多先生は、設置されたテレビを見て、ようやく事態の深刻さを知ったとのことでした。

テレビでは映さないように配慮されていましたが、実際は無数のご遺体が折り重なっていたと聞きます。
その光景は、疫病や飢饉や戦乱に満ちていた、親鸞聖人が生きられた時代において日常的に見られるものでもありました。
そのような状況を、親鸞聖人は『御消息』と言われるお手紙の中で、こう記されています。


去年今年と、老少男女、多くの人々が亡くなっていることを、とても悲しく思います。
しかし、生まれれば死す、出逢えば別れるという生死無常のことわりは、すでにお釈迦さまが説いていらっしゃることであり、驚くことではありません。
自分自身の身の上から言えば、命が終わるときの状況の善悪は関係なく、阿弥陀さまただ一仏に全てをおまかせすると決めた人の心には疑いがないので、案ずることなく仏としてお浄土に往生することでしょう。  
 (超意訳)


仏教は「ことわり」を明らかに見る宗教です。
「ことわり」とは「道理」であり、「真理」であり、「法」のこと。
「法」の漢字の辺に「さんずい」があるのは、水はどんな場所でも上から下へと流れる様に、決して変わることのない「ことわり」を示しているとの説明がありました。

災害を天罰と言った人がいます。
ピアノだけが無事だったことを、音楽の神さまが守ってくれたと喜んだ人もいます。

ニュアンスは違えど、災害の背景に神仏がいると、無意識に言っている。
ならば、その人たちの言葉に、天罰を受けたと感じた人は、音楽の神に見放されたと感じた人は、災害を前にして自分を責めるしかないのでしょうか。

それは違います。
神仏を自分の都合の良いように扱う言葉に、「ことわり」はありません。
御消息にもある「ことわり」は、畢竟依(究極の拠り所)となるもの。
そこには、原因と結果という明らかな因縁のないものはありません。
「不思議な力が働いた」というような、現実を歪めるようなことも説きません。

水が上から下へと流れるように、物事には道理がある。
災害の起きる原因に神仏はいません。
惑わされそうな自分に気づくこと、そして「生死無常のことわり」を拠り所とするところに念仏者の人生の指針がある。

指針を元に世界を広げ、自分を深めることで、社会と自分を知ることができる。
すると行動も変わっていく。
そこに、自分と他者が共に救われていく道が開けていく……というお話をいただきました。


最後の部分はボランティアに通じるお話でもあり、今できることを自分を見つめながら考え、行動していくことの大切さを改めて感じました。
そして、親鸞聖人の「案ずることなくお浄土に往生する」というお言葉が、今は何よりも有り難く身に染み入りました。

本多先生、ありがとうございました。


合同法要・表白について

2011-04-03 23:06:04 | 近況報告

本日、最乗寺永代経法要と東日本大震災追悼法要が勤まりました。

前日と打って変って肌寒い一日となり、お参りになられる方も少ないのではとヤキモキしていましたが、開会の頃にはその心配も杞憂に終わり一安心。

    

法要では、多くの方々のお顔を拝見できることが何よりの歓びです。
その歓びを、今回の法要でも感じさせていただけたことに、ただただ感謝です。

      受付の龍くんはマイペースにお絵かき♪


さて、昨日の法要は例年行事の永代経法要に急遽、東日本大震災追悼法要の勤修が加えられての開催となりました。
実は、最乗寺において、二つの法要を一度に開催した前例がありませんでした。

前例がないということは、表白(ひょうびゃく)がないということ。
表白とはご本尊や僧侶、大衆に法要の主旨を説明する文章のことで、今回の法要で言えば、住職がジャバラ状の白い紙を読み上げていた、その文章が表白です。

僧侶向けの書籍に表白集というものはありますが、永代経と災害追悼の合同法要の表白は載っていません。
…載っていないのなら作るしかないっ!
というわけで、龍くんが寝静まってから文章を作り、和紙にプリントアウトし、ジャバラ状に折って貼り合わせるという、手作りの表白を完成させました。

多少、古い言葉が使われているので、聞いただけではお分かりいただけなかったかもしれないので、この機会に全文を転載しますので、皆さまにもお味わいいただけたら幸いです。



  敬って 大慈大悲の阿弥陀如来の御前に 白して言さく

  本日ここに うやうやしく仏前を荘厳して 懇ろに聖教を拝読して
  当山最乗寺 永代経法要 並びに東日本大震災追悼法要を勤修したてまつる

  それ おもんみれば 釈迦如来 諸行は無常なりと説きたもう
  まさしく 過ぐる三月十一日 
  突如として襲い来たりし 東日本大震災と津波によりて
  無慮十万余の家屋 一瞬にして押し流され 幾多の人命を奪い去る

  あるいは父 あるいは母
  あるいは夫 あるいは妻
  はたまた 我が身に勝りて愛しき子を失う

  悲しいかな 痛ましいかな
  嘆きても なお嘆くべし
  悲しみても なお余りあり

  しかれども 阿弥陀如来は はかりなき昔
  苦悩の民を憐れみて 安楽浄土を建立し
  限りなき慈悲の御心をもって 一切の衆生を救い給う

  されば 災害にいのちを断ちし人
  今は浄土に生まれ 麗しき仏となり
  後に残れる人々の心に還り来たりて
  我を導き 我を励まし 念仏の日々に誘い給う

  希(ねが)わくは 今日 ここに集える人々 先を訪ね 後を導き
  念仏相続を誓わん永代経法要を機縁として
  故人の威徳を偲びては ますますの聴聞を深め 報恩謝徳のまことを尽くさんことを

  伏して請う 如来 深く大悲を垂れて哀民納受したまえ
   


以上が今回の法要の表白です。
いかがでしたしょうか?
普段は聞き流しがちの表白ですが、お坊さんは法事でもこのようなことを読んでいるので、今度からは耳を澄ませて聞いてみてください。

なんだか長くなりましたので、布教師さんのお話はまた次回に。
話の途中ではありますが、ご参拝くださった方々に厚く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。


永代経・東日本大震災追悼 合同法要

2011-04-02 01:16:21 | 行事のご案内

明日4月3日午後1時30分より、最乗寺永代経法要本堂にて勤まります。

今回の永代経法要は、3月11日の地震と津波による多数の犠牲者への哀悼の意を表する思いから、併せて東日本大震災追悼法要を勤修させていただくことに致しました。

未だ行方不明のまま、遺体が見つからない方や、見つかっても僧侶に読経されることもないままに、火葬・土葬にされる方がほとんどと聞きます。
手厚い見送りをしたくても、できない現状に、心を痛めているのは私たち僧侶だけではありません。
誰よりも心を痛め、涙を流されているのは、自らも被災されたご遺族の方々です。

遠く離れた場所にいる私たちにできることは、少ないかもしれません。
何ができるかを懸命に考えても、本当に力になれているのか不安になることもあるでしょう。

しかし、ご遺族の方々がしたくてもできなかった読経による見送りを、私たちが心を込めて勤めること、それは今の私たちができる確かなことなのではないでしょうか。

皆さまのお心が寄り添う場所で、共に手を合わせましょう。
多くの方のお参りを、心よりお待ち申し上げます。