ここ数回、「初期柿右衛門」、「初期赤絵」、「柿右衛門」といったカテゴリーの品を取り上げてきましたが
正直なところ、典型的な柿右衛門様式を除くと、どんな特徴が?と訊かれても答えられないことを再認識した次第です。
そこで今回はウチにある品の中から、図録で同手を紹介する際に書かれた文章を紹介したいと思います。
「伊萬里色絵草花図皿」

直径14.3cmほどの小皿で、やや深めに成形されています
デザイン的には芙蓉手であり、赤、青、黄、緑の四色が使われており、色絵の発色、厚塗りである点は
古九谷様式に近いものがあるように思いますし、柿右衛門様式の余白を生かしたデザインとは大きく違う特徴を持っています。

裏面は赤の圏線のみというのは、初期柿右衛門にも見られますので、古九谷から柿右衛門への移行期の一群というのは間違いなさそうです

さて、この品ですが、栗田美術館創設時の豪華図録(1000部限定で定価八万円!)に同手が掲載されており
そこの栗田館長による紹介文が掲載されています。

107ページに掲載されています(といっても、この図録を見ることはないと思われますが)

以下は栗田館長による紹介文です
八角の見込のなかに草花を描き口縁にそって草花と宝模様連続して配置する、この図様を芙蓉手と称している。
これは寛文時代オランダ貿易の最盛期に於ける輸出伊萬里の花形であった。
これらの皿類は当時大量に輸出されたもので筆者はこれをロンドンで求めたものである。これら一連の初期伊萬里赤絵を
柿右衛門と呼ぶものが多いがこれは将に噴飯ものであり、無名の陶工、画工に対する冒涜である。
これらは陶商がオランダ商館から注文を受け有田の陶工画工が製作したものであって、柿右衛門と何等の関係がないものである。
この皿は大量に生産されたものだけに筆致はさすがに早く練達である。
この図録が発行されたのは1975年ですので、すでに45年近くが経過していますので、その間、伊万里についての研究が
進んだことを考慮すると、この栗田館長による文章が総て正しいのかは私には判りませんが、栗田館長の強烈な個性が伝わる文章ではあります。
正直なところ、典型的な柿右衛門様式を除くと、どんな特徴が?と訊かれても答えられないことを再認識した次第です。
そこで今回はウチにある品の中から、図録で同手を紹介する際に書かれた文章を紹介したいと思います。
「伊萬里色絵草花図皿」

直径14.3cmほどの小皿で、やや深めに成形されています
デザイン的には芙蓉手であり、赤、青、黄、緑の四色が使われており、色絵の発色、厚塗りである点は
古九谷様式に近いものがあるように思いますし、柿右衛門様式の余白を生かしたデザインとは大きく違う特徴を持っています。

裏面は赤の圏線のみというのは、初期柿右衛門にも見られますので、古九谷から柿右衛門への移行期の一群というのは間違いなさそうです

さて、この品ですが、栗田美術館創設時の豪華図録(1000部限定で定価八万円!)に同手が掲載されており
そこの栗田館長による紹介文が掲載されています。

107ページに掲載されています(といっても、この図録を見ることはないと思われますが)

以下は栗田館長による紹介文です
八角の見込のなかに草花を描き口縁にそって草花と宝模様連続して配置する、この図様を芙蓉手と称している。
これは寛文時代オランダ貿易の最盛期に於ける輸出伊萬里の花形であった。
これらの皿類は当時大量に輸出されたもので筆者はこれをロンドンで求めたものである。これら一連の初期伊萬里赤絵を
柿右衛門と呼ぶものが多いがこれは将に噴飯ものであり、無名の陶工、画工に対する冒涜である。
これらは陶商がオランダ商館から注文を受け有田の陶工画工が製作したものであって、柿右衛門と何等の関係がないものである。
この皿は大量に生産されたものだけに筆致はさすがに早く練達である。
この図録が発行されたのは1975年ですので、すでに45年近くが経過していますので、その間、伊万里についての研究が
進んだことを考慮すると、この栗田館長による文章が総て正しいのかは私には判りませんが、栗田館長の強烈な個性が伝わる文章ではあります。