今日は酒田市のお隣、遊佐町にある石原莞爾の墓所へ行ってきました。
良く知られているように石原莞爾は酒田のお隣、鶴岡市の出身で満州事変の首謀者でありながら
その後、東条英機と対立して左遷、戦後、東京裁判では戦犯に指定されず(このあたりのいきさつはネットで検索して下さい)
高瀬村(現在の遊佐町吹浦西浜)の西山開拓地へ入植、体調が悪化する中、村づくりを指導しました。
そんな訳で、石原莞爾の墓所は遊佐町の七号線吹浦バイパスの横にあります。
こちらは平成6年に吹浦バイパスの着工に伴い移転した新墓所になります。


こちらの碑には、「都市解体 農工一体 簡素生活」とあります

裏側にも細かく書いてあります

こちらの碑には、「私はただ仏様の予言と、日蓮上人の霊を信じているのです」という、石原自身の言葉が刻まれています。

この記帳所は今年の五月に建て替えられたばかりで、費用はクラウドファンディング等で賄われたようです。

この墓所がある場所は小高い丘のようになっており、鳥海山がよく見えます

この道は左折で急カーブを曲がらないと入れず、しかも右側に側溝がありますので、大きな車では行けません。
私らの世代は石原莞爾や大川周明といった戦争に関連した地元の人物について教育されたいませんので
興味を持つようになったのはずっと後になってからです。