今回の品はつい最近入手した品ですので、「回想の」ではないんですが、今更新しいカテゴリーにするのも面倒なので
とりあえず「回想の古伊万里シリーズ」に入れてみた品です。
「染付藻文蓋茶碗」
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横からの画像だと何のこっちゃ判りませんが、どうやら梅花藻のような藻を絵付けした品のようです
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高さ直径9.5cmX高さ7cm(蓋を含まず)程度の小ぶりな蓋茶碗で、絵付けは品よくまとまっています
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この品は「後期鍋島」として安い値段で売られていたんですが、確かに文様の描き方は後期鍋島の蘭文の小皿などに近いようには感じます
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とは言え、これが鍋島かどうかと言えばワタシには全く判断できません
しかし、薄作りであること、土の感じなどから平戸(三川内)の品であろうという感じはします。
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時代については全く判らず、幕末~明治ならいいな、といった希望的な観測しかできません
結局のところ、ワタシにとって鍋島は「図録の載っていて、信頼できる業者が扱っている品」
という一点でしか判断できないカテゴリーなんだと思います。
だんだんぼやけてきて、何が鍋島なのかわからなくなりました。
いつ頃まで鍋島が続いたんでしょうか。
その点、大聖寺なんかは、案外、本歌を意識していたのかも知れませんね。
これなども、後期鍋島といえるのかどうか、ちょっと微妙になりますよね。
私は、後期鍋島には、「明治に入っても、まだ残っていた藩窯用の半製品を仕上げて完成品とされたもの、大川内山から四散した大川内崩れの職人達に依って作られたものも、はたまた、鍋島宗藩の補助を得て設立された「精巧社」なる会社で作られもの」なども含まれるのではないかと考えています。明治に入っても、相当数が作られ続けていたと思うんです。
これが、幕末なのか、明治に入ってから作られたのかは判りませんが、かなり、ぼやけてはきていますよね。
しかも、困ったことにそんな幕末期の鍋島にも中国出来(たぶん)の贋作が混じっています
そんなこともあって、ワタシは長い間、「鍋島だけは手を出したらアカン!」と思っていました。
鍋島の歴史については、基本は明治維新で終わりなんですが
ドクターさんも書いておられるように、鍋島の職人が江戸期の鍋島の「写し?」をそのまま作っていた可能性は高いように思います。
素人にわかる種類のものではないのかも知れません。
明治維新以降も、旧鍋島の職人はそれ相応にいたでしょうから、精巧社に至る以前
さららにはそれ以降も「旧鍋島職人による鍋島写し」みたいなものが作られていたと考えるのが妥当なんでしょうね。