Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

酒田をちょっと散歩 30(大浜工場地帯を行く)

2021-06-18 19:21:31 | 散歩
酒田は北前船で栄えた町ですが、海辺の町ということで、戦前から化学工場があった場所でもあり、その多くが存在するのが海に近い大浜地区です。
今回はそんな大浜地区を歩いてみました
まずは2014年に稼動した新工場で、ここでは紙おむつを作っているとか
こちらは昔からある花王酒田工場、昔、二度ほど見学した記憶があります
工場の外側

最近でもちゃんと見学ができるようです
ここの前の通りを南へ進むと運河があり、ここにヨットやらプレジャーボートが多く停泊していますが、持ち主以外は入れないようです
この運河の西側は東北東ソーの昔から(鉄興社)の持ち物のようで、戦前のものと思われる建物が残っています
古い倉庫に近代的な風力発電の巨大な風車が不思議に映えます
この運河の西側から道路と運河を越えて大きなパイプラインが通っています
運河の向こうは広大な東北東ソー化学の工場があります
水素の巨大なタンク
運河の手前にある線路の跡、昔は貨車輸送が中心でしたので、このあたりまで線路が引かれていたんですね
これもかなり古いと思われる東北東ソーの三棟並んだ倉庫
ず~つと遥か運河のところまで工場の敷地です
運河の西側ですが、この白い山はなにかというと「塩」でありまして、この「塩」を電気分解して様々な製品を作っています。
ちなみに、30年ほど前に亡くなったウチの親父殿は、戦中に東北東ソー化学の前身である「鉄興社」に勤めており(15~17歳頃)
米軍の爆撃にあった話などをしてくれました。

この小高い山は今でこそ草木で緑ですが、実はこの近くで操業している「日本重化学工業の廃棄した「ボタ山」で
草木は生えておらず、しかも山に登って遊べたように記憶しています。
あの時代(昭和40年代前半)はまだ公害対策が行き届かない時代で、このあたりは結構な大気汚染地域だったように思います。


回想の古伊万里 133(染付唐獅子文八角小皿)

2021-06-17 23:29:58 | 古伊万里
古伊万里の文様の中でも、「鷺」、「鮎」、「鶉」、「鹿」、「虎」等に代表される動物文様はかなり人気が高いように思います。
「龍」も人気が高いですが、ワタシとしては「唐獅子」の方が好きだったりします。
今回の品は中期(元禄~享保)あたりと思われる唐獅子文の小皿です
「染付唐獅子文八角小皿」

八角形に整形された13cmほどの小皿で、見込みには唐獅子、そして縁の部分には草花文が絵付けされています
筆致はそれなりに細かく、白く良い土を使っていますので、扱っていた業者さんは、「元禄藍柿」と称して売っておりました。

裏面を見ると、「宣嘉年製」の落款、そして十六個の七宝文が描かれています
これだけ見ると、中期の上手の小皿という評価は出来なくもありませんが、主文様である唐獅子文を拡大したのが下の画像です。
中期の品らしいユーモラスな唐獅子がバランス良く描かれており、皿のサイズを考えると上手い絵付けではあるんですが
そこは古美術の世界でありまして、上には上が存在します。
下の画像は以前に紹介した「花唐草に唐獅子文皿」の唐獅子のアップです。
唐獅子そのものの実際のサイズは、今回の品の2/3程度であることを考えると、当時の職人さんの圧倒的な技量が判ります。
この二つの唐獅子は時代的には30年程度の違いなのかも知れませんが、盛期伊万里の魅力と凄さの一端を感じさせてくれるように思います。

回想の古伊万里 132(染付丸文小皿2客)

2021-06-15 20:27:48 | 古伊万里
以前はヤフオクをよく見ていたんですが、最近は見る機会が減りました
というのも、画像で見る限り「立派な贋作」と思われる品が結構な数出品されており(同じ業者が多いようですが)
そんな品を見ていると、「立派な本物」まで贋作に見えてくるという悪循環に陥ったことが原因のひとつだったりします。

それはさておき、今回紹介する品はたぶん「伊万里」ではありません。
「染付丸文小皿2客」
直径10cmほどの小皿で、見込みには五個の丸文、縁の部分には窓絵で松竹梅が描かれています
丸文は二枚とも同じに見えますが、微妙にちがっています
一枚目
二枚目
釣りをしている人物、漁師、舟遊び、馬に乗る人物といった文様が、丸文の中に絵付けされています
落款は角福ですが、裏文様も鳳凰などが描かれています
この品は今から21年ほど前にヤフオクで数千円で落札した品ですが、当時は今よりずっと「伊万里初心者」でしたので(さして進歩してませんが)
業者さんの説明通り「幕末の伊万里」だと信じ込んでいました。
しかし、ある程度まともな古伊万里を入手できるようになると、「これはどう考えても変だ」と思うようになった訳です。
高台の拡大画像をご覧ください
ワタシの少ない経験でも、江戸後期伊万里でこんな土や高台の品は見たことがありません
正直なところ、この小皿がどこの焼物なのか特定できませんが、染付の発色、土の感じなどから想像されるのは
大聖寺の伊万里写しといったところでしょうか。(たぶん違っているとは思いますが)
まったく骨董という趣味は難儀なものだと実感する品でもあります。

清亀園再訪

2021-06-13 20:09:24 | 散歩
明治期に本間家と並び称せられた大地主、伊藤四郎右衛門家の別荘 である「清亀園」(明治24年建造)へ二年ぶりで行ってきました。
(以前はコチラでさらっとしか紹介していませんでした)
今回は管理人のおじさんに「ぜひ建物の中もどうぞ」と勧められ、初めて別荘の中を拝見させていただきました。(いつも公開しているとか)
入口に鎮座するワイルドな狛犬というか獅子(?)


まずはこちらの廊下をご覧ください
かなり長い廊下ですが、板に継ぎ目がありません。そうなんです、一本の木から切り出されているんですね。
管理人さん曰く、これだけの長さのものはなかなかない、ということでした
こちらの長い梁も当然のように一木造りですね
座敷の中で目立つのが、こちらの違い棚の豪華な絵でありまして、管理人さん曰く「狩野派の絵師だとか聞きました」だそうです。

天袋の端の方に○○○筆とありましたが、読めませんでした
地袋の鶏の絵はなかなかの出来栄えかと
画像では判りませんが、昔のガラスなので外が歪んで見えます
この見え方がいいということで、管理人さんと意気投合してしまいました。

この窓から見える景色も風流なものでしょうか
この窓がある場所は天井も凝った造りになっていました
50数名の門下を擁していた名庭師山田挿遊の手による庭園に出てみると、いろいろと発見があります
管理人さんによると、なんという何処の石かは知らないが、赤い石でしかも波の文様が彫られている、という縁側の石

こちらは管理人さん曰く、「滅多にない大きなサイズの石灯篭」
確かに近くで見ると相当な大きさであることが判ります
続いてはキノコのようなとてもユニークな形をした石灯篭
地震が来たら怖い感じもしますが、落ちたことはなさそうですね
これもシュールな形をした石灯篭ですね
続いてはこれまた大きなサイズの石灯篭です
多宝塔(?)
吉祥文である蝙蝠形に抜かれた灯篭(?)

清亀園は市の施設として管理されており、無料で見ることができます
管理人のオジサン曰く、散歩がてらにもっと来てくれればいいのに、ということでした。



石原莞爾墓所へ行く

2021-06-11 17:31:12 | 散歩
 今日は酒田市のお隣、遊佐町にある石原莞爾の墓所へ行ってきました。
良く知られているように石原莞爾は酒田のお隣、鶴岡市の出身で満州事変の首謀者でありながら
その後、東条英機と対立して左遷、戦後、東京裁判では戦犯に指定されず(このあたりのいきさつはネットで検索して下さい)
高瀬村(現在の遊佐町吹浦西浜)の西山開拓地へ入植、体調が悪化する中、村づくりを指導しました。
そんな訳で、石原莞爾の墓所は遊佐町の七号線吹浦バイパスの横にあります。
こちらは平成6年に吹浦バイパスの着工に伴い移転した新墓所になります。

こちらの碑には、「都市解体 農工一体 簡素生活」とあります
裏側にも細かく書いてあります
こちらの碑には、「私はただ仏様の予言と、日蓮上人の霊を信じているのです」という、石原自身の言葉が刻まれています。
この記帳所は今年の五月に建て替えられたばかりで、費用はクラウドファンディング等で賄われたようです。
この墓所がある場所は小高い丘のようになっており、鳥海山がよく見えます
この道は左折で急カーブを曲がらないと入れず、しかも右側に側溝がありますので、大きな車では行けません。
私らの世代は石原莞爾や大川周明といった戦争に関連した地元の人物について教育されたいませんので
興味を持つようになったのはずっと後になってからです。