さくら・ことのは~川柳の部屋

言の葉はこだまことだまものおもひ…五七五の部屋へようこそ。

変容していくこと その2

2016-03-16 | つれづれに

  (画像の写真はいずれも「花の庵」さなえさんよりおかりしています)

昨日と今日では、自分の変化を自覚することはなかなかできない。
けれど、
自分の経てきた道を線でつないで長い目でみてみれば、
変化してきた自分を実感できることもある。

過去の句をみて、今ならこの句はつくれないな
と思うことがある。
純粋だったとか素直だったとかいう意味にしろ、
未熟だという意味にしろ、
過去の自分にしかつくれなかった句。

そして、未来の自分がつくるであろう句を、
いまのわたしはまだつくることができない。

そのかわり、今でしかつくれない句があるのだろう。

過去のわたしは、たしかにおなじわたしという人間だけれど、
何らかの変化をしたいまのわたしとは別人ともいえる。
そして、未来の自分に、いまのわたしはまだなれない。

今しかつくれない句を、今つくる。
二度とおなじ日はない今日という日をたいせつに生きることと、
意味はおなじなのかも知れない。

つくる句が自然に変化するように、
自分のこころに、より響く句が、
その時々でちがってくるのも自然なこと。

たとえば、そのひとの人生において、

病を経験する前と、そのあととでは。

子をなす前と、そのあととでは。

震災にみまわれる前と、そのあとのいまとでは。

たいせつなひとがこの世にいた頃と、去ってしまったあととでは…

たとえ大きな出来事がないと思える日々のあいだにも、
自分はどこか変容している。
ごく自然に、自分でも気づかぬうちに。
ひとつずつとしをとるということひとつをとっても。

つらいお別れもたくさんあるけれど、
そんなあたりまえのあれこれを、自然に受けとめ受け容れていければと思う。


  過去すべていまのわたしの血肉骨

  間をおいてみればすんなり出るこたえ



変容していくこと という記事を以前に書いたが、なんだかその続きのような内容になった。
考えていることが、あまり変わっていないなあ(笑)





  
   
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コメント (4)
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