ひざしのあたたかさに、今年の桜も咲きはじめた。
もっと若い頃には、
春が来て桜が咲くだけでうきうきと心が躍ったものだが、
いまは、この季節が来るたびに、
もうこの世の桜をともに見ることができない人たちのことを
思わずにはいられない。
一昨年には父が、
その前の年と昨年には身近な友人がふたり、
そして今年は、であう前にお別れがきてしまった鰹さんが…
この世から旅立ってしまった。
ほんとうの憂いというものを、
これまで自分は知らずにいたのだなと感じる。
うまることのない喪失感。
それを抱えたまま、それでも前を向いて生きていく。
笑ったり泣いたり、季節の移り変わりを感じながら
おいしいものを食べて、うたを歌って、きれいな景色をみつけて。
昨日3月20日は、亡くなった父の誕生日だった。
生きていれば、75さいを迎えていた。
春分にうまれた父が旅立ったのは、
一昨年の立秋の日。
日付が変わってまもない頃の時間だった。
その年の、暑い夏いっぱいを生きてくれた父は
わたしの目の前で、この世でのさいごの呼吸をしてくれた。
ほんのわずかのふたりきりの時間、
父に感謝とお別れを告げて、それから、
かたわらで眠りについていた母を起こし、
2階にいた弟を呼んだ。
父にいつもしっかり守られていたわたしたち家族。
その父は、住み慣れた自宅で、家族の見守りのうちに生涯を終えた。
愛し愛され、しあわせな夫婦、親子、家族であったと思う。
おとうさん、ことしも桜が咲いたよ。
わたしたちも元気に生きているよ。
空からも咲いた桜がみえますか
ともにみることのできない桜咲く
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