すずか川柳会でお世話になっております、
会長たかこさんの「たかこの世界」13号に
またまたエッセイで参加させていただきました。
今年3月の、とある1日のおはなしです^^
「振袖その後~幸せな一日」
前々回に書かせていただいた振袖のエッセイの、その後のお話。
袖丈を詰め訪問着となった、もと振袖に再び手を通す
ことができた、私の幸せな一日のことを書こう。
着物の手直しができあがってきた日、
たまたまご一緒していた着付けの教室の先生は、
そのエッセイも読んでくださっていた。
そして言われたことには、
「素敵なお話ね。お着物、ぜひ着てあげないとね。
よかったら近いうちに、私に着付けさせてもらえないかしら?
私自身のお勉強にもなるしね」
それはもう、願ってもないうれしいお話で、
ぜひお願いします!となり、具体的な日も決まる。
昨年の十二月に、その楽しみな日は予定されていた。
ところが、なんということだろう。
十一月末、自転車に背後から追突され転倒するという、
思わぬ事故に遭った私は、左膝を骨折。
年内は休職を余儀なくされ、自宅療養の身となった。
楽しみにしていた着付けの予定は、もちろん延期で、
いくつかほかの予定もキャンセル。残念なことが続く。
まあ、治るケガでよかった、入院や手術も必要なかったし…
頭も打撲していたので、ひとつ間違えば命を落としていたかも
しれないのだからと自分をなぐさめた。
幸い回復は順調で、年明けからぶじ仕事も再開でき、
着物のお稽古にもそろそろと通い始めた。
そして春も近い頃、川柳マガジンに書く記事の依頼があり、
表紙に載せる写真を撮りに来てくださるとのこと。
もったいないお話だ。
そうだ、この機会にぜひあの着物を着せていただこう!
うまく合う日があるかしら。
編集部の松岡さんご提案のうちの一日は、
私の休日を考慮してくださった水曜日。
場所を貸してくださる教室のおかみさんも、
着付けてくださる先生もOKで、幸運にも都合がついた。
ケガをして延期になったからこそのめぐりあわせ。
「怪我の功名」とは、まさにこのこと??
うれしいめぐり合わせに、私は感謝した。
まだ肌寒い時期だったが、あたたかくお天気に恵まれた当日は、
「見学させてください、今度娘の着付けがあってね」
と来られるかたや、
「どれどれ、見せてくださいな~」
と集まったお仲間さんたちで、思いのほか賑わった。
私の顔立ちに合うように、アップの髪やメイクがととのえられ、
手際よく、気持ちよく進んでゆく着付け。
お太鼓でなく、ちょっと華やいだ文庫結びに仕上げられた帯も、
きれいに決まる。
帯や小物も、若かりし二十代の頃に、この着物と一緒に
身につけた懐かしいもの。
ただ帯締めは、鮮やかな朱色だったものを、
おかみさんのアドバイスで薄いブルーにする。
そして、
「これも使ってね」と添えてくださった真珠の帯留め。
「櫛はこれがいいわよ。角度はこうよ」
「はいかんざし。これが似合うと思うわ」
いつのまにか、重ね襟や帯揚げの色に合わせた、
ブルーの縁どりのある扇子まで帯に納まり、
仕上げには、
「はい、このバッグを持って!」
真珠の帯留めに、美しい桜の装飾のある櫛や、赤い玉かんざし。
素敵なビーズ刺繍のセカンドバッグ。
壊したり汚したりしてしまったらどうしよう、
と思いつつも、ありがたく感謝しながらお借りした。
撮影は、表紙になった「すっぽん料理遠山」前のほか、
場所を変えては臨んだが、カメラマンの松岡さんに続き、
おかみさんや、お仲間さんたちが各々スマホを構え、
着付けてくださった先生も、たえず私の髪の乱れや櫛の位置、
襟元などを直しながら練り歩く。
お祭りのような騒ぎの一行に、ご近所の人には
「今日は何かあるんですか? 」とたずねられ、
「いえ、ちょっとした記念撮影でして…」
と、照れながら答える私だった。
生まれ変わった振袖は、めったとないハレの日に、
また私の晴れ着となってくれた。
数年後には還暦という身になって、この着物を再び着られるとは、
むかしには想像もしなかったことだ。
こんな若々しいピンクだが、ここは大目に見てもらおう。
多くの人のあたたかい心に包まれ、忘れがたく幸せなこの日は、
誕生月三月の素敵なプレゼントだった。
父と母も、見てくれているといいな。
晴れの日の着物こころにサクラサク さくら
会長たかこさんの「たかこの世界」13号に
またまたエッセイで参加させていただきました。
今年3月の、とある1日のおはなしです^^
「振袖その後~幸せな一日」
前々回に書かせていただいた振袖のエッセイの、その後のお話。
袖丈を詰め訪問着となった、もと振袖に再び手を通す
ことができた、私の幸せな一日のことを書こう。
着物の手直しができあがってきた日、
たまたまご一緒していた着付けの教室の先生は、
そのエッセイも読んでくださっていた。
そして言われたことには、
「素敵なお話ね。お着物、ぜひ着てあげないとね。
よかったら近いうちに、私に着付けさせてもらえないかしら?
私自身のお勉強にもなるしね」
それはもう、願ってもないうれしいお話で、
ぜひお願いします!となり、具体的な日も決まる。
昨年の十二月に、その楽しみな日は予定されていた。
ところが、なんということだろう。
十一月末、自転車に背後から追突され転倒するという、
思わぬ事故に遭った私は、左膝を骨折。
年内は休職を余儀なくされ、自宅療養の身となった。
楽しみにしていた着付けの予定は、もちろん延期で、
いくつかほかの予定もキャンセル。残念なことが続く。
まあ、治るケガでよかった、入院や手術も必要なかったし…
頭も打撲していたので、ひとつ間違えば命を落としていたかも
しれないのだからと自分をなぐさめた。
幸い回復は順調で、年明けからぶじ仕事も再開でき、
着物のお稽古にもそろそろと通い始めた。
そして春も近い頃、川柳マガジンに書く記事の依頼があり、
表紙に載せる写真を撮りに来てくださるとのこと。
もったいないお話だ。
そうだ、この機会にぜひあの着物を着せていただこう!
うまく合う日があるかしら。
編集部の松岡さんご提案のうちの一日は、
私の休日を考慮してくださった水曜日。
場所を貸してくださる教室のおかみさんも、
着付けてくださる先生もOKで、幸運にも都合がついた。
ケガをして延期になったからこそのめぐりあわせ。
「怪我の功名」とは、まさにこのこと??
うれしいめぐり合わせに、私は感謝した。
まだ肌寒い時期だったが、あたたかくお天気に恵まれた当日は、
「見学させてください、今度娘の着付けがあってね」
と来られるかたや、
「どれどれ、見せてくださいな~」
と集まったお仲間さんたちで、思いのほか賑わった。
私の顔立ちに合うように、アップの髪やメイクがととのえられ、
手際よく、気持ちよく進んでゆく着付け。
お太鼓でなく、ちょっと華やいだ文庫結びに仕上げられた帯も、
きれいに決まる。
帯や小物も、若かりし二十代の頃に、この着物と一緒に
身につけた懐かしいもの。
ただ帯締めは、鮮やかな朱色だったものを、
おかみさんのアドバイスで薄いブルーにする。
そして、
「これも使ってね」と添えてくださった真珠の帯留め。
「櫛はこれがいいわよ。角度はこうよ」
「はいかんざし。これが似合うと思うわ」
いつのまにか、重ね襟や帯揚げの色に合わせた、
ブルーの縁どりのある扇子まで帯に納まり、
仕上げには、
「はい、このバッグを持って!」
真珠の帯留めに、美しい桜の装飾のある櫛や、赤い玉かんざし。
素敵なビーズ刺繍のセカンドバッグ。
壊したり汚したりしてしまったらどうしよう、
と思いつつも、ありがたく感謝しながらお借りした。
撮影は、表紙になった「すっぽん料理遠山」前のほか、
場所を変えては臨んだが、カメラマンの松岡さんに続き、
おかみさんや、お仲間さんたちが各々スマホを構え、
着付けてくださった先生も、たえず私の髪の乱れや櫛の位置、
襟元などを直しながら練り歩く。
お祭りのような騒ぎの一行に、ご近所の人には
「今日は何かあるんですか? 」とたずねられ、
「いえ、ちょっとした記念撮影でして…」
と、照れながら答える私だった。
生まれ変わった振袖は、めったとないハレの日に、
また私の晴れ着となってくれた。
数年後には還暦という身になって、この着物を再び着られるとは、
むかしには想像もしなかったことだ。
こんな若々しいピンクだが、ここは大目に見てもらおう。
多くの人のあたたかい心に包まれ、忘れがたく幸せなこの日は、
誕生月三月の素敵なプレゼントだった。
父と母も、見てくれているといいな。
晴れの日の着物こころにサクラサク さくら