今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

イエスをためす者たち

2013-11-20 00:02:42 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ17:24-27)

[ また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。](24節)

本文ではイエス様を罪に定めようとする働きがありました。まるでイエス様が冨を無視したかのように噂を広めて、結果的に神殿冒涜罪をかぶせて殺そうとする計画がありました。

本来ならば イエス様は神の子として神殿の主人であるので 決して宮の納入金を払う必要はありません。それにもかかわらず、イエス様が宮の納入金を納めた理由は、大いなる働きを前にして不必要な誤解や摩擦を避けるためでした。

イエス様は 宮の納入金を払うことによって、かえってユダヤ宗教指導者たちが持ってある邪悪さと高慢を暴露しました。

(ヘブル3:13 -- 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて かたくなにならないようにしなさい。)


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イエスの受難予告

2013-11-19 00:04:05 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ17:22-23)

[ 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。 「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。]


聖徒たちは世的な祝福と栄光に執着するよりは 永遠の神の国の祝福と栄光を慕い求める人でなければなりません。主から受難の予告を聞いた弟子たちが非常に悲しんだ理由は 地上メシヤ王国で受けると思っていた地位、冨、権力に対する自分たちの期待が 水の泡になる危機に直面したからでした。

しかし天にある永遠の住まいを待ち望みながら、そこで受ける祝福と報いを期待する人は、この世でどんな苦難があっても、決して落胆することがありません。

(第2コリント4:8 -- 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。)


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信仰によって出来る

2013-11-18 00:03:59 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ17:14-21)

[ ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。](21節)

悪霊にとりつかれた少年から悪霊を追い出そうと弟子たちは祈りましたが、追い出すことができませんでした。しかしイエス様は少年から悪霊を追い出し直してあげました。

弟子たちの質問は 「なぜ私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」でした。

それに対してイエス様はこう答えました。 「あなたがたの信仰が薄いからです。」と 21節のことばでした。

神様の助けに頼らず、自らの努力で霊的な問題を解決しようとしても失敗しかありません。弟子たちが失敗した理由は自分たちが持ってある癒しの力だけに頼って、神の助けを求め 頼る姿がありませんでした。

それは信仰の欠如から来たことでした。そのため主は 「あなたがたの信仰が薄いからです。」と語りました。祈りと断食は 神を求め神に頼る姿です。

(マルコの福音書9:23 -- するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。)


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3人の弟子の同行

2013-11-17 00:02:11 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ17:1-8)

[ それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。](1節)

イエス様は十二弟子の中でも 特に3人の弟子、すなわちペテロ、ヤコブとヨハネだけを別に選んで同行したことが多かったです。

ペテロはイエス様の愛弟子で ヤコブは最初の殉教者になり、ヨハネは一番長く生きながら みことばを伝えた使徒であった点からも彼らは使徒たちの中でも特別に重要な使徒たちでした。

それらのことを事前に知っておられた主が 機会あるたびに彼らを特別訓練したことが それによってよくわかります。

多くの訓練なしに大きな働きはできません。大きな働きはしたいけど、訓練は嫌だと思ってはいませんか。

(ヘブル12:11 -- すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。)


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弟子の道

2013-11-16 00:01:44 | マタイの福音書

(聖書箇所:マタイ16:21-28)

[ その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。](21節)

キリストの生涯が十字架の苦難と栄光の復活に集約されてありますように、主に従っていく弟子たちの生涯も同じであります。ですから、最初から弟子たちに対して「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。」とはっきりと語りました。

それなのに、「私も弟子になって主について行きます。」と言いながらも、十字架の苦難なしの栄光だけを求める姿ではありませんか。

(第2テモテ2:9-10 -- 私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。)


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