前回からの続きをお話しさせて頂きます。
回天基地跡を後にした私は、その後、回天記念館へ向かいました。
回天記念館へ続く道も人影は無く、寂しい道です。
少しばかり長い坂道もありました。
この坂は「回天坂」とも言われているそうです。
坂道を上がりきったところに回天記念館がありました。
とても静かな場所です。
門から記念館までは石畳の道が続き、その脇には戦死者の名前を刻んだ石碑が並んでいます。
また、敷地内には平和記念の鐘や、回天の碑(いしぶみ)がありました。
私は回天碑の前に立ち一礼・・・。
「本当にご苦労様でした。」と言葉をかけました。
近くには森繁久彌さん(俳優)の詩碑があります。
詩の内容は、下の画像をみていただければと思います。
不思議に思ったのが、上の画像を見ていただけるとお分かりになると思いますが、
何故か古めかしい腕時計が置かれていました・・・。
忘れていったものなのか? 捨てられたものなのか? それとも故意に置かれたものなのか?
故意に置かれたものならば、どんな物語があったのだろうか・・・。
針が折れて時を刻めない腕時計・・・。
でも、閉じられた時間の中で腕時計は静かに存在し、誰かを待っているように思えます。
そっとしておこう・・・。
私はこの場を離れました。
記念館の前には実物大の回天のレプリカが展示されていました。
潜航艇というよりも、これはやはり魚雷です・・・。
決して人が乗る物では無いと思う・・・。
私は記念館へ入りました。
入館料300円を払い、スタッフに「館内は撮影可能ですか?」と訊ねました。
すると「展示物を個々に撮影しなければ大丈夫ですよ」との返事をいただきました。
館内は思ったほど広くは無い・・・、
ただ、展示されている内容が深い・・・。
まずは遺影写真に写る若者達を拝見させていただきました。
遺影の数と、少年の面影を持った若者達が多かったことに驚きました。
年齢を見ると殆どが20歳前半です。
この回天による戦没者は145名(搭乗員、整備員など)で、
没時の平均年齢は21.1歳と記念館のパンフレットに記載されていました。
彼等の遺影を見て、私の口からでる言葉はやはり「ご苦労様でした」・・・それだけです。
館内には回天の操縦席のレプリカが展示されていました。
このレプリカは映画の撮影用として、実際の回天よりすこし大きめに作られているそうです。
佐々部清監督の「出口のない海」で使用されたものです。
他にもじっくり見てみたい展示品が沢山あったのですが、徳山へ戻る船の時間が迫っていました。
後ろ髪を惹かれる思いで、私は仕方なく記念館を後にしました。
きっとまた訪ねようと思います。
「天を回らし、戦局を逆転させる!」この言葉から「回天」の歴史がはじまりました。
人が操縦して敵艦隊に体当たりするという特攻兵器「回天」。
その多くは欠陥品だったと言われています。
欠陥品と分かっていて、出撃させていたのです。
だから多くの若者は、敵艦に体当たりする事なくこの世を去っているのです。
だからと言って、彼等が無駄死にしたとは思っていません。
彼等の「死」があったから、現在の平和があるのです。
彼等はしっかりと時代を繋げてくれました。
戦争はいつも若者に「戦え!」と叫びます。
若者は無理やり家族と離され、すべてが戦争に奪われていきます。
「今日」も「明日」も戦争に奪われます。
やがて若者は、顔も人生も知らない相手の命を奪います・・・。
また、顔も人生も知らない相手に命を奪われます・・・。
家族の知らない土地で、若者の命は絶えます。
多くのものを戦争に奪われた若者たち・・・。
でも、信じたいのです・・・心だけは彼等のものだったと・・・。
島を離れる間際、また雨が降り出しました。
さよなら・・・回天の島。
8月15日は終戦の日です。
前回と今回の記事を、是非とも読んでほしい・・・。
この回天の記事が、ほんの少しでも戦争の事を考えるきっかけとなれば本望です。
住所 山口県周南市大津島1960
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定休日 水曜日
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