読み始めてすぐは、仕事をしていた頃に、子育てをしていた頃に、この本と出会っていたらよかったなと思いましたが、読み進めるうちに、今出会ってよかったのかな、今だからわかるのかなと思いました。
「勉強」とは何か、・・・
何が得られるのかといえば、それはまず「広い視野」であり、俯瞰による客観的な「観察力」、そしてまた、あらゆるものを遠望できる「予測力」である。
「学ぶ」というのは、あるときは知らないうちに自分の頭に入っていて、それによって自分が変化することでもある。それは、知ったり、気づいたり、連想したり、思い直したり、理屈を考えたり、そんなさまざまな頭脳活動をするうちに、以前にはできなかったことが、いつの間にか可能になるような変化を伴うもの、といえる。
勉強が楽しく感じられる条件とは、つまり「知りたい」がさきにあって、そのために勉強をする、この順番の問題なのである。
自分が何を知らないのかを知ることが、すなわち勉強である、・・・
自分の好きなことを見つけて、自分の好きなことを深く学ぶこと。それが勉強の本質である。
本来、勉強によって到達する高みというのは、そんな理性による「優しさ」ではないだろうか。
知らないことを知ることが成長ではなく、自分なりの考えを持つ能力こそが、人間の価値だといえる。
「思う」は、最初に浮かべる像であり、「考える」は、それに作用が伴う。これら両者を合わせて「思考」という行為になる。この思考の過程で、ふと別のところから浮かび上がってくるものがある。これを「気づく」と表現している。「気づき」は、ある像について「思う」ときに、予期しないところから湧き上がる別の「思い」があり、それらを関連づけることをいう。
自分の楽しみを見つけることが「勉強」といえる。
「何をしようか」と選択するのも楽しいが、もっと楽しいのは「何ができるだろう?」という可能性をゼロから考えることである。今はできなくても、少し工夫すればできそうな気がする。そういった「予感」が、すべての勉強のモチベーションとなるのではないか。
他者と自分を比較することばかり終始し、妬んだり、僻んだりして、結局は自分の役に立つものを見逃している。「勉強の価値」とは、そんな雑念や煩悩を理性で抑え、自分というものを見つめ直すことだと思われる。
勉強は、生きる方法を学ぶことではなく、生きる人間の価値を高めるものである。
老眼を言い訳にして本を読まなくなっていたのですが、森博嗣さんの本を知ってから本を読むようになり、頭が少し働くようになってきました。
「何ができるだろう?」と考えながら、楽しみを見つけていきたい。