昨年末に読んだ東儀秀樹さんの雅楽の本がおもしろかったので、もう1冊読んでみました。「雅楽のこころ 音楽のちから」(東儀秀樹 著 大正大学出版会)という本で、前回読んだ内容と重なる部分もありましたが、やはり興味深い内容でした。
その中で、著者の体験としてこんなことが書かれていました。「フランスに旅に行った時に、ものすごく広い牧場があって、気持ちがいいから笙を吹いたんですよ。そしたら、地平線の向こうから何十頭もの牛がざわざわざわざわ集まってきて、食餌か何かの時間なのかなと思ったら、そうじゃない。全部の牛が僕の所まで来てぴたっと止まった。何十頭もの牛が止まって、こっちを見ている。「風の谷のナウシカ」で、あのとんでもない数の生き物が来てぴたっと止まっている感じを思い出した。牛が聴いていてくれるんだっていう感じが僕にはすごくよく分かったんですよ。動物ってのは正直だし、嫌なものだったらすぐに逃げるだろうし、ほえて追い立てて威嚇するだろう。だけど、のどの音一つ出さずにじっとこっちに顔を向けている。しばらく吹いてから、笙をやめたんです。吹き終えた途端に、今までこっちを向いてた牛が急にみんな後ろを向いて、ゆっくり帰っていったんです。」(本文より引用)
これを読んで、モンゴルのむかしばなしに似たような話があったのを思い出しました。モンゴルのおはなしなので、楽器は馬頭琴です。草原で息子がひく馬頭琴の音色に牛たちが聞き惚れて、草を食べることを忘れてしまい、どんどんやせてしまいます。どうして牛がやせてしまうのか不思議に思ったおじいさんとおばあさんが草原へ様子を見にいったところ、おじいさんもおばあさんも日が暮れるまで聞き惚れてしまいます。家に帰っておじいさんが息子に、牛が草を食べるのを忘れてしまっては困ると話したところ、次の日から息子は、牛が草をおなかいっぱい食べてから馬頭琴をひくようにします。そうすると、牛たちは前よりももっともっと太って、めでたしめでたし。というようなおはなしでした。きっと昔から牛が楽器に耳を傾けていると思われるようなことがあったのでしょう。それが極端な内容となって、むかしばなしとして語りつがれてきたのでしょうね。日本のむかしばなしでは、このような内容のおはなしをあまり聞いたことがないのですが、どなたか知っていらっしゃったら教えてくださいね。
1ヶ月ほど前に「カエルのギロ」のところで文章を引用させていただいた「雅楽ー僕の好奇心」 (東儀秀樹 著 集英社新書)をもう一度ゆっくり読んでみました。以前読んだのは何年前だったでしょうか、たぶん、私がオカリナを始めるずっとずっと前だったと思います。
雅楽の起源や種類についてわかりやすく説明している他に、著者の音楽体験や、雅楽器のルーツを探るシルクロードの旅で出会った民族楽器のことが書かれており、民族楽器の好きな私にはとても興味のある内容ばかりでした。早速、著者のオリジナル曲を収録したCDと、古典雅楽のCDを購入して聴いてみたのですが、その時は「篳篥(ひちりき)の音ってこういう音なんだぁ」と思った程度で、特に雅楽の世界に惹かれたということもなく、CDの存在も忘れていました。
今回、ブログにカエルのギロのことを載せようと思ってもう1度本を読んでみたところ、やはり興味深い内容ばかりで、また雅楽を聴いてみたくなりました。「そういえばCDを持っていたような・・・」と思い出し、早速聴いてみました。東儀秀樹さんのオリジナル曲では篳篥でメロディーを演奏しているのですが、篳篥の音の揺らぎがとても心地よく感じられました。篳篥は音を出すこと自体難しい楽器だそうです。唇の感じや息の使い方で音の高さが大きくかわるそうで、音の高さを定めることも難しいそうです。そういう点ではオカリナも同じですが、オカリナは音を出すだけなら誰にでも簡単にできますし、同じ指使いで出せる音はせいぜい半音上から半音下ぐらいまで。篳篥はちょっとしたことで、3度も4度も変わってくるそうなので、オカリナよりもずっと難しい楽器のようです。音の高さを定めるのが難しいということは、反対に言えば、微妙な音の揺らぎを表現できるということで、その点もオカリナと同じですね。揺らぎの幅がオカリナよりも篳篥の方が広いということになるのでしょうか。
以前CDを聴いた時はオカリナを始める前で、ピアノという1つの決まった高さの音しか出せない楽器を中心に生活していました。なので、篳篥の音の揺らぎに身を任せることができなかったのだと思います。もちろん、ピアノは1つの決まった高さの音しか出せないけれども、その1つの音で、さまざまな違った響きの音を作り出す喜びがあるのですが。オカリナを始めたことによって、音の揺らぎに身をまかせることができるようになり、それが心地よいと感じるようになったのかもしれません。東儀秀樹さんのオリジナル曲だけでなく、古典雅楽のCDを聴いても、やはり同じように感じることができました。東儀秀樹さんは著書のなかで「雅楽は抽象画のようなものだと思って聴いてみてください」というようなことを書かれていますが、確かに心に残るメロディーがあるわけでもないので、感覚的に音の世界に浸るという感じで聴くと、今までとは違って聴こえてくるような気がします。お正月は1年の中で雅楽を耳にすることが1番多い時だと思います。みなさんも、音の揺らぎに身をまかせてみてくださいね