12月4日公示、16日投票の総選挙で「原発問題」が最大の争点になっている。朝日新聞の調査・分析によれば、11月22~28日の1週間に総選挙関係のつぶやき(ツイッタ-)約84万件のうち原発関係のつぶやきが11万件余と圧倒的に多く、TPP関連、憲法関連、経済政策関係、消費税問題、日中・日韓問題などを3倍以上上回ったという(11月30日付朝刊1面)。いま政治が解決しなければならない課題は山ほどある。なのに、なぜ原発だけがクローズアップされるのか ?
はっきり言えば、自民が優勢な状況下において、反自民の合言葉になるのが「脱{卒}原発」しかないと自民以外の政党(10を数える)が考えているからだ。
自民支持者も原発がなくても日本国民の生活や産業界の国際競争力に影響がないというなら「脱原発」を支持するだろうが、次期政権与党がほぼ確実視されている自民としては無責任な「脱原発」を公約にするわけにはいかないのは当然である。
問題なのは現政権党の民主である。前回の総選挙でバラ色の夢をばらまいて自公連立政治にうんざりしていた国民の支持を集めて政権の座についたが、マニフェストのほとんどが「絵に書いた餅」に過ぎなかったことを「見通しが甘かった」と国民に謝っていながら、選挙になったら手の平を返すように30年代には原発ゼロにするといった、再び「絵に描いた餅」をマニフェストで謳うのはどういうことか。
日本列島を取り巻く海底は複数のプレートが複雑に絡み合って、いつ東日本大震災のような大地震が起きるかわからないことも事実だし、火山大国で日本列島には活断層が縦横に存在するわが国は、原発立地としてはきわめて不適な環境であることは私も否定はしない。
そういう意味では私も1日も早く原発を必要としない国になることを望んではいる。だが、現状では、原発をゼロにするということは、国の形を変えること以外に方法がないのも事実である。
現在の日本という国の形は、諸外国に比べ相対的に高いエネルギーコストに苦しみながら、世界の最先端を行く省エネ・省力の技術力でかろうじて「ハイテク立国」を維持しているのが偽らざる実態である。その「国の形」を変えるということは、電力消費が大きいハイテク工業立国への歩みをやめて、ほかに活路を見出すしかないということを意味する。他の活路としていちおう考えられるのは第三次産業立国(情報通信・金融・運輸・小売り・サービス・観光など非物質的生産業)への転換だが、この分野では日本は現在でも世界の先進国にかなり後れを取っており、それに失敗すると第1次産業国、つまり農業・水産業・林業などを中心とする「発展途上国」に後退するしかなくなる。そうなれば日本のGDPも大きく下がり、食糧自給も可能になれば、時間当たり労働賃金も「発展途上国並み」に下がり、高度な技術的基盤はあるのだからエネルギー消費の少ない工業分野では世界の工場として、ある程度の経済復興も可能になる。そういう「国の形」を国民が総意として選ぶのであれば、それはそれでもいいと私は思っている。
日本という国がそういう状況にあることを前提にして、仮に現時点で原発の稼働をすべてストップしたらどうなるか、を考えてみよう。
ちょっと データは古いが、2008年の発電エネルギー源構成と、同年度版の経産省『エネルギー白書』によれば、1kwh当たりの発電コストは以下のとおりである(ただし、この構成比と1kwh当たりコストは全電力会社11社の平均値)。
① 石 油 12.9% 10.0~17.3円 (単純平均単価:13.65円)
② 石 炭 26.8% 5.0~ 6.5円 (同:5.75円)
③ LNG 26.3% 5.8~ 7.1円 (同:6.45円)
④ 原子力 24.0% 4.8~ 6.2円 (同:5.5円)
⑤ 水 力 3.0% 8.2~13.3円 (同:10.75円)
⑥ その他 7.0%
この発電エネルギー源構成とそれぞれの単純平均コストを前提に、日本の発電所の平均発電コストを計算してみよう。ただし、四季が明確にある日本の場合、発電量は季節によって大幅に異なる。そこで1kwhの発電量の平均を基準にして計算してみる。
① 石 油 13.65×0.129=1.76円
② 石 炭 5.75×0.268=1.54円
③ LNG 6.45×0.263=1.70円
④ 原子力 5.5× 0.24 =1.32円
⑤ 水 力 10.75×0.03= 0.3円
⑥の「その他」の計算はやや面倒だが、根気よくやれば小学生でも単純平均コストの計算はできる(なぜか一流大学を卒業している大新聞社の記者にはこの計算ができない)。
「その他」には11も発電方式があるが、それぞれの発電シェアは不明なので、すべてを合計しても全発電量の7%しか占めていないため、それらの発電コストの単純平均を基に計算することにする。ただし太陽光発電は最低でも11の発電方式の約50%は占めていると想定できるので、それを加味して単純平均コストを計算する。
では、その他(主に再生可能な新エネルギー)のそれぞれの発電単価(1kwh当たり)はどうなっているのか。
① 太陽光 46円
② 風力 10~14円(単純平均12円)
③ ソーラーシステム 6~7円(同6.5円)
④ 太陽熱温水器 4~5円(同4.5円)
⑤ コージェネレーション産業用 9~10円(同9.5円)
⑥ コージェネレーション民生用 15~20円(同17.5円)
⑦ 産業廃棄物発電 9~15円(同10.5円)
⑧ 産業物熱利用 8~12円(同10円)
⑨ 温度差エネルギー 8~12円(同10円)
⑩ 地熱 21円
⑪ 燃料電池 28円
「その他」の中で太陽光は0.5kwh当たり23円を占める。太陽光以外の発電方式のコストは、
(12+6.5+4.5+9.5+17.5+10.5+10+10+21+28)÷10=12.95円。
したがって0.5kwh当たりのコストは12.95÷5≒2.6となり、これと太陽光の発電コストを加えると 2.6+23=24.6円 というのがほぼほぼ正確に近いコストとみていいだろう。
つまりたった7%の発電をするのに「その他」の発電コストは24.6円もかかるのだ。「脱(あるいは卒)原発」を実現するには原発発電をすべて「その他」の再生可能な自然エネルギーで補う場合、1kwh当たりの発電コストは
原発コストの 5.5×0.24=1.32円 が、
「その他」コスト 24.6×0.24=5.88円 に膨れ上がってしまう。
その差はなんと 5.88-1.32=4.56円 にもなるのだ。
たかが4.56円と言うなかれ、これはたった1kwhの発電コストの増大料金なのである。このデータは経産省が発表している2008年度のものだが、高野雅夫・名大准教授によれば2009年の10電力会社(原発を持っていない沖縄電力を除く)の年間総発電量は957Twhで、うち原子力発電量は278Twhだったという(データは電気事業連合会が発表したものによる)。1Twhは10億kwhだから、この原子力発電量を太陽光など他のエネルギー源(石油・石炭・LNG・水力を除く基本的には再生可能な自然エネルギー)で代替するとすれば、発電コストはなんとなんと 4.56×2780=1兆2676億8000万円 余計にかかることになる。
国勢調査によれば2010年10月1日現在の日本総人口(日本在住の外国籍の人も含む)は約1億2800万人だから、一人あたりの負担増は年に 12676.8÷1.28≒9900円 も増えることになる。4人家族だと 3万9600円 の負担増になる。
「脱{卒}原発」を公約(あるいはマニフェスト)で謳っている政党はこうした小学生でもできる計算をしたうえで主張されているのでしょうかね ?
すでに述べたように私自身原発のない日本を望んでいる。それは私だけでなく、原発建設や建設後のメンテナンス工事で潤う原子力ムラの大企業の経営者を除けば、電力会社の人たち(経営者以下全社員を含め)ですら、おそらく望んでいることだろう。だが、これだけの負担増に日本国民や産業界が耐えられるかどうか。日本の場合、電気料金体系は家庭用は国の認可が必要だが、産業用は原則自由化されている。しかしネットで得られる情報には限度があり、建前として家庭向けの電気料金は低めに抑えられているようだが、産業用のエネルギーコストの増加分は結局商品価格に転嫁されるわけだから、家庭用、産業用と料金体系が分けられていても、原発を廃止した場合、最終的に日本に住む人の負担増は以上のような結果になる。
再生可能な自然エネルギーの大本命と期待されている太陽光発電の問題はコストだけではない。「寿命」と「経年劣化」「性能(発電効率)の向上」が、歴史が浅いだけにまったく不明なのだ。まったく無名のベンチャー企業が長期保証を宣伝しているが、大企業ならともかく、吹けば飛ぶような規模のベンチャー企業の保証など安易に鵜呑みにするわけにはいかない。大企業だったら逃げ出すわけにはいかないが、いざとなったらベンチャー企業など儲けるだけ儲けたら、長期保証が単なる紙切れに過ぎなかったことが判明した途端、さっさと逃げ出してしまうのは目に見えている。公取委が、こうした詐欺まがいの宣伝を放置しているのが解せない。「長期保証できる、データに基づいた科学的根拠の提示」を求めるべきだ。もっとも、そんな根拠などありっこないのだ。あったら、大企業がとっくに情報開示している。
わかりやすいケースで説明しよう。ガソリンエンジンというと、まず思いつくのは自動車である。ガソリンエンジンを使用する機器はほかにもいろいろあるが、自動車に使われなければ技術の進歩は遅々として進まなかったであろう。
実は最初の自動車は1769年にフランス人のニコラ・ジョセフ・キュニョーが発明した蒸気自動車である。皆さんもご存じのように蒸気機関は産業革命の立役者だった。列車の歴史も蒸気列車から始まっている。キュニョーが蒸気自動車を発明して約100年後の1870年にユダヤ系オーストリア人のジークフリート・マルクスが世界で初めてガソリン車を発明した。以来142年間にわたりガソリン車はさまざまな技術革新が行われてきたが、実はこれほどの年月をかけても燃費の向上は遅々として進んでいないのが現実である。
「熱勘定」という言葉がある。燃料が燃焼する際の熱を100%とした場合、その熱がどのように使われるかを示す言葉のことだ。ウィキペディアからガソリンエンジンの熱勘定の一例を引用する(実際にはエンジンの性能差や動作環境によりこの割合は異なる)。
① 燃焼時の全エネルギー 100%
② そのうちの有効仕事 20~30%
③ 機械的損失 5~10%
④ 放射損失 1~5%
⑤ 排気損失 30~35%
⑥ 冷却損失 30~45%
エンジンでガソリンを燃焼させた場合、③~⑥の損失が生じるため、燃焼時の全エネルギーの20~30%しか有効に使われていないのである。140年以上かけてもガソリンエンジンの有効活用率はこの程度なのだ。そのことを考えると、太陽光発電に原発の代替を期待するのはほとんど不可能と言ってもいいだろう。現に、先進国の中でいち早く「脱原発」政策を世界に向かって宣言し、太陽光エネルギーに依存する体制をいったん確立したドイツは、完全に太陽光エネルギー依存政策が破たんした。「脱{卒}原発」を主張している政党はその事実を知りながら、国民に知らせず「脱{卒}原発」を選挙運動の看板に掲げている。そんな政党に、ドイツの政策破たんを知っている国民は貴重な1票を果たして投じるだろうか。
ドイツの失敗をご存じない方のために、なぜドイツが失敗したのかお知らせしておこう。ドイツのGDP(国内総生産)は、アメリカ、中国、日本に次ぐ第4位。EU加盟国では最大の経済力を有する。第1次産業である農業・林業・鉱業の生産高はGDPのわずか1%前後に過ぎない(国土の大半が海に面していないため水産業はほとんどない)。食料自給率は90%と極めて高いが、農業従事者の大半は旧東ドイツ人で、旧西ドイツの高度な農業生産技術を導入した結果生産性は極めて高く、全産業に占める農業人口比率は2%を切っている。
ドイツ経済の主要産業は工業で、主な分野は自動車・化学・機械・金属・電気製品などである。日本と同様、特に科学技術力に優れ、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人、現在宇宙ロケットの主流である液体ロケット{スペースシャトル・ソユーズ・アリアン・H‐ⅡA}は戦時中にナチスが開発したロケット技術が基礎となっている。当然エネルギー消費量も多く、世界で5番目、しかもその2/3は輸入に頼っている。
日本が食料自給率を高めるのに必死になっているのと同様、ドイツはエネルギー自給率の向上に力を注いできた。その結果「脱原発」の手段として力を入れたのが太陽光発電だった。ドイツは太陽光発電産業を育成するため全量固定価格買い取り制度を設けたが、その結果電力料金が高騰し、またドイツ最大の太陽光発電メーカーが中国製品との価格競争に負けて倒産、産業育成政策が失敗に終わったため太陽光発電の買い取りは、結局中止に追い込まれた。
日本もドイツの失敗の経験から経産省が09年2月には1kwhあたり48円の固定価格買い取り制度を見直し、初期投資の回収年数を10年程度に短縮することを決め、さらに発電効率の向上を見込み(ただし机上の計算。つまり科学的根拠は全くない、単なる期待)、11年度に新たに設置した太陽光発電の買い取り価格を42円程度に大幅ダウンすることにしている。だが、ガソリンエンジンの有効活用率が140年以上かけてもやっとガソリン燃料の有効活用率が20~30%にとどまっていることを考えると、太陽光の全エネルギーをどれだけ電力に有効変換できるか、見通しは決して明るくないと言わざるを得ない。結局、太陽光発電の全量買い取り制度の廃止に追い込まれるのは、ドイツの例から見ても時間の問題である。「国が全量買い取りを約束しているから安心」などという太陽光発電装置の販売に総力を挙げている量販店の営業マンの口説き文句を間に受けていると痛い目にあうのは消費者である。
冒頭で述べたように、安易に「脱(卒)原発」を公約(マニフェスト)に謳うことは、日本の将来に対して無責任極まりない主張なのである。概して公約(マニフェスト)は、政権の座から遠い政党ほど非現実的な夢物語を語り、国民に「約束」して1票でも増やそうとする傾向が強くなる。総選挙で一躍「争点」になってしまった原発問題について11党首討論会(11月30日)での主な政党代表者の主張(要旨。したがって発言内容が事実と異なっていた場合の全責任は朝日新聞にある)を12月1日付朝日新聞朝刊から転載する。
自民党・安倍総裁 昨年の原発事故を我々は真摯に受け止めた。安全神話に寄りかかってきたことについては、反省しなければならないし、私たちに責任がある。その一方で、なぜ我々は原発を選択したのか、1973年の石油ショックで、自前のエネルギーを持っていないという、命にもかかわる経験をした。以来安くて安定したエネルギーとして原発を推進した。中国なども原発稼働を続ける中、日本だけが原発を止め、もし事故が起こった時、大丈夫なのか(※この発言にある「もし事故が起こった時」とは何を意味するのか、意味不明。朝日新聞の記者の発言要旨のまとめ方に問題があると思われる)。使用済み核燃料の最終処分という世界的課題もある。この課題にも日本は貢献するため、技術者の確保・育成をする必要がある。未開発の再生可能エネルギーにすべて依存するわけにはいかない。だが、そのためのイノベーションが起こるべく、我々はこの3年間、国家資本を集中投入していく(この発言要旨には問題がある。その点は後述)。
民主党・野田総理 民主党は2030年代に原発ゼロを目指し、そのためにあらゆる政策資源を総動員する。この方向性は閣議決定しており、これを着々と進めたい。(自民党が公約に掲げる)今後10年間立ち止まって考えるというのは、「続原発」だ。昨年の原発事故を受け、今の国民の皆さんの声と覚悟は「原発は将来ゼロにする。稼働させない」ということだ。これを受け止め、現実的な施策を推進していかなければならない。廃炉に当たっては、逆に技術や人材も必要だ。国が責任をもってその努力をしていかなければならない。
日本維新の会・石原代表 電力を食う、基幹産業の利益が減る可能性も想定する必要がある。エネルギーをどう配分するかも考えずに原発を全廃すると言っても一種の願望だ。(「原発を2030年代までにフェードアウト」とした維新の公約で)日本が核保有オプションを失うことは困る。(※副代表で実質的に維新を立ち上げた橋下副代表との温度差が明確化した発言。維新が野合政党であることの明白な証拠)
日本未来の党・嘉田代表 原子力安全神話の中で、国、経済界、電力事業者の三位一体で「原子力ムラ」の構造をつくったことが、今回の原発事故の遠因となった。手塩にかけて育てた牛を手放し、ふるさとを追われ、命の不安におびえる福島の人たちに、自民党はいかに謝罪し、どう責任をとるのか。私たちが示す「卒原発」プログラムは、エネルギーのベストミックスをどうつくるか、ということだ。一つは(エネルギーの)総量を節約することだ。それから同じ生産品をつくるのでも効率化を進めること。そして原子力以外の代替エネルギー、効率的なエネルギーの仕組みを提案していきたい。
この4党の中で、最も現実的な政策を述べているのは、やはり次期政権が事実上約束されている自民・安倍氏だ。原発依存度を低めていくため再生可能エネルギー開発に3年間、国家資本を集中投下していく、と表明している。「3年間」と期限を区切っているのは多少気になるが、3年間は国の総力を挙げて再生可能エネルギーの事実上の実用化の可能性の見通しを探る期間という意味ではないか。つまりコスト的に許容できるレベルまでの期間と投下資本の見通しを付けることができれば、4年目以降も実用化レベルに達するまで国家資本を集中投下する、と解釈するのが妥当だろう。
維新・石原氏も参議院議員1期、衆議院議員8期(その間、環境庁長官、運輸大臣を歴任)、東京都知事を3期(4期目半ばで国政に復帰すべく新党・太陽の党を立ち上げたのち維新に合流)という輝かしい政歴と責任ある立場についてきただけあって、やはり現実的な主張を展開している。ただ「基幹産業の利益が減る」と言う発言は一般国民の反感を買いかねない。そこは「基幹産業がどんどんエネルギーコストの安い海外に逃げ出し、産業の空洞化と技術開発力の喪失、失業率の増大につながる」と主張すべきだったと思う。この人はプロの物書きでありながら、文章を書く時の言葉の使い方の慎重さが、発言の場になると失われる傾向がしばしばみられる。こうした「失言」で国民の反感を買ったら、せっかくの正論が却ってあだになる。気をつけていただきたい。
民主・野田氏は、短期間ではあったが総理を務め、連合系の輿石幹事長と党の主導権争いを演じ、最後の最後の土壇場で主導権を輿石氏から奪い取っただけあって、それなりに見識ある主張をされたと思う。ただ2030年代に原発ゼロを目指すというのは、脱原発グループの中では多少現実性を帯びるかに見えるが、その根拠が定かでない。2030年代までは最大でも26年間の余裕しかない。太陽光発電の技術開発が飛躍的に進んで事実上の実用化レベルの発電コスト(原発並みとまではいかなくても最低火力発電並み)に達した途端、需要は一気に世界中に広まる。世界の各国が日本だけを特別扱いしてくれるわけもなく、また第一26年間で実用化レベルの発電コストに到達するかどうかも不明だ。太陽光発電の実用化にはブレークスルーしなければならない大きな課題がいくつかあって(後述する)、ただ一見「現実」そうに見える期限の設定は詐欺師のやることだ。
未来・嘉田氏の主張については馬鹿馬鹿しくて論評のしようがない。ただひたすら小学生並みの作文に相当する愚劣極まる「工程表」なるものを、何の科学的根拠もなくでっち上げただけのものでしかない。こんな「工程表」を一体だれが信じると言うのか。ま、「死に体」になった「小沢の声が第一」なる政党(これはジョークではない)をでっち上げた小沢一郎くらいなものだろう。総選挙での未来の当選者が二桁に乗ったら「奇跡」である。と同時に私は日本国民の民度に対する見方を大きく変えなければならなくなる。
太陽発電システムの研究開発をコツコツ始め、黎明期の第一人者として一時マスコミからもてはやされたのは三洋電機・機能材料研究室長(当時)の桑野幸徳氏である。のち同社代表取締役を経て太陽光発電技術研究組合理事長に就任する。桑野氏が太陽光発電の研究に取り組みだしたのは80年代に入ってから。機能材料の研究を任され、海のものとも山のものとも分からない太陽光電池の研究に取り組み、世界で初めて集積型アモルファスシリコン太陽電池の工業化に成功し、科学技術庁長官賞などを受賞している。桑野氏は三洋電機で一貫してアモルファス(非結晶)半導体の研究だった。が、電機メーカーだったということもあり、当初は電子デバイスへの応用しか考えていなかったという。とうとう壁にぶつかり、「研究対象を変えたい」と当時の研究室長・山野大氏に相談に行ったところ、「研究目的をエネルギー素材に変えて見ろ」というアドバイスを受け、それが彼の発明につながったという。(このエピソードはウィキペディアを隅から隅まで調べても載ってまへんでぇ)
一方、太陽光発電装置に欠かせないのが小型大容量の蓄電池である。その大本命と目されているのが(現時点では)リチウムイオン電池である。これも実は日本人が発明している。発明者は現在旭化成フェローの吉野彰氏。吉野氏は1981年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏(筑波大名誉教授)が発見した導電性高分子ポリアセチレンの応用研究の過程で、この物質が2次電池のマイナス電極として使えることを発見、その後ポリアセチレンの代わりに炭素材料を使用し、プラス電極にはリチウムイオン含有金属酸化物を用いて発明したのがリチウムイオン電池である。現在私たちの身近な製品としては携帯電話(スマホを含む)やモバイル、電動アシスト自転車等のバッテリーとして広く利用されている。充電タイプの蓄電池としては現在もっとも性能面で優れているが、経年劣化が激しく(たとえば電動アシスト自転車の場合、通常5年が寿命とされている)、また太陽光発電用の蓄電池としては最低でも寿命を20年くらいに延ばすこと、また小型化、大容量化が普及のための大きな開発課題になっている。
以上述べたように太陽光発電が原発に代替できるようになるにはかなりのブレークスルーが必要で、安易に再生可能な自然エネルギーに頼るというのは政党として無責任すぎる。「脱原発」を主張している政党で、ゆいつ再生可能な自然エネルギーへの幻想を振りまいていないのは「みんなの党」だが、「みんな」が公約で謳っている代替エネルギーのLNGは、なぜか日本は欧米に比べ輸入価格がべらぼうに高く、「脱原発」の主役と位置付けた途端、足もとに付け込まれ、さらに輸入価格が高騰する可能性も否定できない。またLNGを原料とする場合、当然発電方法は火力発電ということになり、排ガス対策が重要になる。自動車関係の排ガス対策は法規制の強化もあって技術的にもかなり進んできたが、火力発電の排ガス対策はまだ全く手を付けていない。というより、手の付けようがない、というのが現実である。京都議定書の提唱国としては90%以上の発電方法を火力に頼るというのはいかがなものか、という感じがする。
以上述べてきたように、原発問題はこの総選挙では本来争点になりえない問題である。もっと喫緊の課題で「日本という国の形」を決めなければならない、待ったなしの大きな問題がある。TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否か、参加する場合、例外なき関税障壁の撤廃を認めるか、あるいは条件付きでとりあえず交渉に参加するか、それこそ、今直ちに国民の総意を問うべき問題が、全く争点になっていないのはどういうわけか。
TPP問題は次のブログで書く予定だが、なぜ原発問題が最大の争点になってしまったのか、の分析をして今回のブログを終えたい。自民党を除いて他のすべての政党が多少の温度差はあれ「脱(卒)原発」を公約で謳い、しかも最大の争点にしたのには、当然それなりの理由がある(自民と連立している公明党すら「脱原発」を公約で謳っている)。
最大の理由は、自民との対立軸にするのに最もわかりやすいという点である。原発を国策としてきた自民に対し攻勢に出ることができるのは、福島原発の大事故が、票をかき集めるためには最も手軽な方法だったというだけのことだ。本気で「脱(卒)原発」を実現しようと言うのであれば、ドイツの脱原発政策が事実上破たんした原因を徹底的に分析し、ドイツの二の舞を踏まない工程表を作成しなければいけない。「工程表]らしきものをいちおう明らかにしたのは「未来」だけだが、エネルギー問題についての籐四郎(とうしろう。素人のこと)が科学的根拠を一切示さず(示しようがない、というのが真実)、砂の上に楼閣を築くがごとき手法ででっち上げたものでしかない。
二つ目の理由は、国民の最大の関心事になってしまったという点がある。他党がいくら自民との差別化を図ろうと頭をひねっても、肝心の国民が関心を持たない問題で差別化を図っても空振りに終わってしまう。このブログの冒頭で述べたように原発問題が総選挙での国民の最大の関心事になったということは、自民以外の政党にとってはもっけの幸いというわけだった。自民以外の政党が「脱(卒)原発」を総選挙の最大の争点にできたのはそういう面もあった。こういうのを「ポピュリズム(大衆迎合)政策」という。
最後にデフレ不況脱出策として各政党が足並みをそろえて主張しているのは(不況脱出策を謳っていない政党もあるが)、相も変わらずケインズ経済理論である「公共工事と金融緩和によるインフレ政策」である。ケインズがこの不況脱出策を唱えたのは、まだ一国経済が主流(もちろん輸出入は多少あったが)だった時代で、現代のように大国家、大経済圏の不況がたちまち全世界に波及する時代においてはケインズ政策はほとんど効力を発揮しえない。日本の現状において金融緩和と無意味な公共工事に不況脱出策を頼ると、残るのは膨大な財政赤字だけで、その結果悪性インフレが発生することは目に見えている。ここは国内経済政策でデフレ不況を退治しようなどと考えるべきではなく、EUの経済危機をアメリカや中国など比較的堅調な経済運営を保っている諸国と共同でEUにてこ入れすることを最優先すべきである。EUが立ち直れば、自然に日本のデフレ不況も脱失に向かう。政治家は経済学者である必要はないが、金科玉条のようにケインズ理論に寄りすがるのはもうやめた方がいい。そのくらいの見識は持っていただかないと、今の政治家に日本の未来を託すことはできない。
はっきり言えば、自民が優勢な状況下において、反自民の合言葉になるのが「脱{卒}原発」しかないと自民以外の政党(10を数える)が考えているからだ。
自民支持者も原発がなくても日本国民の生活や産業界の国際競争力に影響がないというなら「脱原発」を支持するだろうが、次期政権与党がほぼ確実視されている自民としては無責任な「脱原発」を公約にするわけにはいかないのは当然である。
問題なのは現政権党の民主である。前回の総選挙でバラ色の夢をばらまいて自公連立政治にうんざりしていた国民の支持を集めて政権の座についたが、マニフェストのほとんどが「絵に書いた餅」に過ぎなかったことを「見通しが甘かった」と国民に謝っていながら、選挙になったら手の平を返すように30年代には原発ゼロにするといった、再び「絵に描いた餅」をマニフェストで謳うのはどういうことか。
日本列島を取り巻く海底は複数のプレートが複雑に絡み合って、いつ東日本大震災のような大地震が起きるかわからないことも事実だし、火山大国で日本列島には活断層が縦横に存在するわが国は、原発立地としてはきわめて不適な環境であることは私も否定はしない。
そういう意味では私も1日も早く原発を必要としない国になることを望んではいる。だが、現状では、原発をゼロにするということは、国の形を変えること以外に方法がないのも事実である。
現在の日本という国の形は、諸外国に比べ相対的に高いエネルギーコストに苦しみながら、世界の最先端を行く省エネ・省力の技術力でかろうじて「ハイテク立国」を維持しているのが偽らざる実態である。その「国の形」を変えるということは、電力消費が大きいハイテク工業立国への歩みをやめて、ほかに活路を見出すしかないということを意味する。他の活路としていちおう考えられるのは第三次産業立国(情報通信・金融・運輸・小売り・サービス・観光など非物質的生産業)への転換だが、この分野では日本は現在でも世界の先進国にかなり後れを取っており、それに失敗すると第1次産業国、つまり農業・水産業・林業などを中心とする「発展途上国」に後退するしかなくなる。そうなれば日本のGDPも大きく下がり、食糧自給も可能になれば、時間当たり労働賃金も「発展途上国並み」に下がり、高度な技術的基盤はあるのだからエネルギー消費の少ない工業分野では世界の工場として、ある程度の経済復興も可能になる。そういう「国の形」を国民が総意として選ぶのであれば、それはそれでもいいと私は思っている。
日本という国がそういう状況にあることを前提にして、仮に現時点で原発の稼働をすべてストップしたらどうなるか、を考えてみよう。
ちょっと データは古いが、2008年の発電エネルギー源構成と、同年度版の経産省『エネルギー白書』によれば、1kwh当たりの発電コストは以下のとおりである(ただし、この構成比と1kwh当たりコストは全電力会社11社の平均値)。
① 石 油 12.9% 10.0~17.3円 (単純平均単価:13.65円)
② 石 炭 26.8% 5.0~ 6.5円 (同:5.75円)
③ LNG 26.3% 5.8~ 7.1円 (同:6.45円)
④ 原子力 24.0% 4.8~ 6.2円 (同:5.5円)
⑤ 水 力 3.0% 8.2~13.3円 (同:10.75円)
⑥ その他 7.0%
この発電エネルギー源構成とそれぞれの単純平均コストを前提に、日本の発電所の平均発電コストを計算してみよう。ただし、四季が明確にある日本の場合、発電量は季節によって大幅に異なる。そこで1kwhの発電量の平均を基準にして計算してみる。
① 石 油 13.65×0.129=1.76円
② 石 炭 5.75×0.268=1.54円
③ LNG 6.45×0.263=1.70円
④ 原子力 5.5× 0.24 =1.32円
⑤ 水 力 10.75×0.03= 0.3円
⑥の「その他」の計算はやや面倒だが、根気よくやれば小学生でも単純平均コストの計算はできる(なぜか一流大学を卒業している大新聞社の記者にはこの計算ができない)。
「その他」には11も発電方式があるが、それぞれの発電シェアは不明なので、すべてを合計しても全発電量の7%しか占めていないため、それらの発電コストの単純平均を基に計算することにする。ただし太陽光発電は最低でも11の発電方式の約50%は占めていると想定できるので、それを加味して単純平均コストを計算する。
では、その他(主に再生可能な新エネルギー)のそれぞれの発電単価(1kwh当たり)はどうなっているのか。
① 太陽光 46円
② 風力 10~14円(単純平均12円)
③ ソーラーシステム 6~7円(同6.5円)
④ 太陽熱温水器 4~5円(同4.5円)
⑤ コージェネレーション産業用 9~10円(同9.5円)
⑥ コージェネレーション民生用 15~20円(同17.5円)
⑦ 産業廃棄物発電 9~15円(同10.5円)
⑧ 産業物熱利用 8~12円(同10円)
⑨ 温度差エネルギー 8~12円(同10円)
⑩ 地熱 21円
⑪ 燃料電池 28円
「その他」の中で太陽光は0.5kwh当たり23円を占める。太陽光以外の発電方式のコストは、
(12+6.5+4.5+9.5+17.5+10.5+10+10+21+28)÷10=12.95円。
したがって0.5kwh当たりのコストは12.95÷5≒2.6となり、これと太陽光の発電コストを加えると 2.6+23=24.6円 というのがほぼほぼ正確に近いコストとみていいだろう。
つまりたった7%の発電をするのに「その他」の発電コストは24.6円もかかるのだ。「脱(あるいは卒)原発」を実現するには原発発電をすべて「その他」の再生可能な自然エネルギーで補う場合、1kwh当たりの発電コストは
原発コストの 5.5×0.24=1.32円 が、
「その他」コスト 24.6×0.24=5.88円 に膨れ上がってしまう。
その差はなんと 5.88-1.32=4.56円 にもなるのだ。
たかが4.56円と言うなかれ、これはたった1kwhの発電コストの増大料金なのである。このデータは経産省が発表している2008年度のものだが、高野雅夫・名大准教授によれば2009年の10電力会社(原発を持っていない沖縄電力を除く)の年間総発電量は957Twhで、うち原子力発電量は278Twhだったという(データは電気事業連合会が発表したものによる)。1Twhは10億kwhだから、この原子力発電量を太陽光など他のエネルギー源(石油・石炭・LNG・水力を除く基本的には再生可能な自然エネルギー)で代替するとすれば、発電コストはなんとなんと 4.56×2780=1兆2676億8000万円 余計にかかることになる。
国勢調査によれば2010年10月1日現在の日本総人口(日本在住の外国籍の人も含む)は約1億2800万人だから、一人あたりの負担増は年に 12676.8÷1.28≒9900円 も増えることになる。4人家族だと 3万9600円 の負担増になる。
「脱{卒}原発」を公約(あるいはマニフェスト)で謳っている政党はこうした小学生でもできる計算をしたうえで主張されているのでしょうかね ?
すでに述べたように私自身原発のない日本を望んでいる。それは私だけでなく、原発建設や建設後のメンテナンス工事で潤う原子力ムラの大企業の経営者を除けば、電力会社の人たち(経営者以下全社員を含め)ですら、おそらく望んでいることだろう。だが、これだけの負担増に日本国民や産業界が耐えられるかどうか。日本の場合、電気料金体系は家庭用は国の認可が必要だが、産業用は原則自由化されている。しかしネットで得られる情報には限度があり、建前として家庭向けの電気料金は低めに抑えられているようだが、産業用のエネルギーコストの増加分は結局商品価格に転嫁されるわけだから、家庭用、産業用と料金体系が分けられていても、原発を廃止した場合、最終的に日本に住む人の負担増は以上のような結果になる。
再生可能な自然エネルギーの大本命と期待されている太陽光発電の問題はコストだけではない。「寿命」と「経年劣化」「性能(発電効率)の向上」が、歴史が浅いだけにまったく不明なのだ。まったく無名のベンチャー企業が長期保証を宣伝しているが、大企業ならともかく、吹けば飛ぶような規模のベンチャー企業の保証など安易に鵜呑みにするわけにはいかない。大企業だったら逃げ出すわけにはいかないが、いざとなったらベンチャー企業など儲けるだけ儲けたら、長期保証が単なる紙切れに過ぎなかったことが判明した途端、さっさと逃げ出してしまうのは目に見えている。公取委が、こうした詐欺まがいの宣伝を放置しているのが解せない。「長期保証できる、データに基づいた科学的根拠の提示」を求めるべきだ。もっとも、そんな根拠などありっこないのだ。あったら、大企業がとっくに情報開示している。
わかりやすいケースで説明しよう。ガソリンエンジンというと、まず思いつくのは自動車である。ガソリンエンジンを使用する機器はほかにもいろいろあるが、自動車に使われなければ技術の進歩は遅々として進まなかったであろう。
実は最初の自動車は1769年にフランス人のニコラ・ジョセフ・キュニョーが発明した蒸気自動車である。皆さんもご存じのように蒸気機関は産業革命の立役者だった。列車の歴史も蒸気列車から始まっている。キュニョーが蒸気自動車を発明して約100年後の1870年にユダヤ系オーストリア人のジークフリート・マルクスが世界で初めてガソリン車を発明した。以来142年間にわたりガソリン車はさまざまな技術革新が行われてきたが、実はこれほどの年月をかけても燃費の向上は遅々として進んでいないのが現実である。
「熱勘定」という言葉がある。燃料が燃焼する際の熱を100%とした場合、その熱がどのように使われるかを示す言葉のことだ。ウィキペディアからガソリンエンジンの熱勘定の一例を引用する(実際にはエンジンの性能差や動作環境によりこの割合は異なる)。
① 燃焼時の全エネルギー 100%
② そのうちの有効仕事 20~30%
③ 機械的損失 5~10%
④ 放射損失 1~5%
⑤ 排気損失 30~35%
⑥ 冷却損失 30~45%
エンジンでガソリンを燃焼させた場合、③~⑥の損失が生じるため、燃焼時の全エネルギーの20~30%しか有効に使われていないのである。140年以上かけてもガソリンエンジンの有効活用率はこの程度なのだ。そのことを考えると、太陽光発電に原発の代替を期待するのはほとんど不可能と言ってもいいだろう。現に、先進国の中でいち早く「脱原発」政策を世界に向かって宣言し、太陽光エネルギーに依存する体制をいったん確立したドイツは、完全に太陽光エネルギー依存政策が破たんした。「脱{卒}原発」を主張している政党はその事実を知りながら、国民に知らせず「脱{卒}原発」を選挙運動の看板に掲げている。そんな政党に、ドイツの政策破たんを知っている国民は貴重な1票を果たして投じるだろうか。
ドイツの失敗をご存じない方のために、なぜドイツが失敗したのかお知らせしておこう。ドイツのGDP(国内総生産)は、アメリカ、中国、日本に次ぐ第4位。EU加盟国では最大の経済力を有する。第1次産業である農業・林業・鉱業の生産高はGDPのわずか1%前後に過ぎない(国土の大半が海に面していないため水産業はほとんどない)。食料自給率は90%と極めて高いが、農業従事者の大半は旧東ドイツ人で、旧西ドイツの高度な農業生産技術を導入した結果生産性は極めて高く、全産業に占める農業人口比率は2%を切っている。
ドイツ経済の主要産業は工業で、主な分野は自動車・化学・機械・金属・電気製品などである。日本と同様、特に科学技術力に優れ、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人、現在宇宙ロケットの主流である液体ロケット{スペースシャトル・ソユーズ・アリアン・H‐ⅡA}は戦時中にナチスが開発したロケット技術が基礎となっている。当然エネルギー消費量も多く、世界で5番目、しかもその2/3は輸入に頼っている。
日本が食料自給率を高めるのに必死になっているのと同様、ドイツはエネルギー自給率の向上に力を注いできた。その結果「脱原発」の手段として力を入れたのが太陽光発電だった。ドイツは太陽光発電産業を育成するため全量固定価格買い取り制度を設けたが、その結果電力料金が高騰し、またドイツ最大の太陽光発電メーカーが中国製品との価格競争に負けて倒産、産業育成政策が失敗に終わったため太陽光発電の買い取りは、結局中止に追い込まれた。
日本もドイツの失敗の経験から経産省が09年2月には1kwhあたり48円の固定価格買い取り制度を見直し、初期投資の回収年数を10年程度に短縮することを決め、さらに発電効率の向上を見込み(ただし机上の計算。つまり科学的根拠は全くない、単なる期待)、11年度に新たに設置した太陽光発電の買い取り価格を42円程度に大幅ダウンすることにしている。だが、ガソリンエンジンの有効活用率が140年以上かけてもやっとガソリン燃料の有効活用率が20~30%にとどまっていることを考えると、太陽光の全エネルギーをどれだけ電力に有効変換できるか、見通しは決して明るくないと言わざるを得ない。結局、太陽光発電の全量買い取り制度の廃止に追い込まれるのは、ドイツの例から見ても時間の問題である。「国が全量買い取りを約束しているから安心」などという太陽光発電装置の販売に総力を挙げている量販店の営業マンの口説き文句を間に受けていると痛い目にあうのは消費者である。
冒頭で述べたように、安易に「脱(卒)原発」を公約(マニフェスト)に謳うことは、日本の将来に対して無責任極まりない主張なのである。概して公約(マニフェスト)は、政権の座から遠い政党ほど非現実的な夢物語を語り、国民に「約束」して1票でも増やそうとする傾向が強くなる。総選挙で一躍「争点」になってしまった原発問題について11党首討論会(11月30日)での主な政党代表者の主張(要旨。したがって発言内容が事実と異なっていた場合の全責任は朝日新聞にある)を12月1日付朝日新聞朝刊から転載する。
自民党・安倍総裁 昨年の原発事故を我々は真摯に受け止めた。安全神話に寄りかかってきたことについては、反省しなければならないし、私たちに責任がある。その一方で、なぜ我々は原発を選択したのか、1973年の石油ショックで、自前のエネルギーを持っていないという、命にもかかわる経験をした。以来安くて安定したエネルギーとして原発を推進した。中国なども原発稼働を続ける中、日本だけが原発を止め、もし事故が起こった時、大丈夫なのか(※この発言にある「もし事故が起こった時」とは何を意味するのか、意味不明。朝日新聞の記者の発言要旨のまとめ方に問題があると思われる)。使用済み核燃料の最終処分という世界的課題もある。この課題にも日本は貢献するため、技術者の確保・育成をする必要がある。未開発の再生可能エネルギーにすべて依存するわけにはいかない。だが、そのためのイノベーションが起こるべく、我々はこの3年間、国家資本を集中投入していく(この発言要旨には問題がある。その点は後述)。
民主党・野田総理 民主党は2030年代に原発ゼロを目指し、そのためにあらゆる政策資源を総動員する。この方向性は閣議決定しており、これを着々と進めたい。(自民党が公約に掲げる)今後10年間立ち止まって考えるというのは、「続原発」だ。昨年の原発事故を受け、今の国民の皆さんの声と覚悟は「原発は将来ゼロにする。稼働させない」ということだ。これを受け止め、現実的な施策を推進していかなければならない。廃炉に当たっては、逆に技術や人材も必要だ。国が責任をもってその努力をしていかなければならない。
日本維新の会・石原代表 電力を食う、基幹産業の利益が減る可能性も想定する必要がある。エネルギーをどう配分するかも考えずに原発を全廃すると言っても一種の願望だ。(「原発を2030年代までにフェードアウト」とした維新の公約で)日本が核保有オプションを失うことは困る。(※副代表で実質的に維新を立ち上げた橋下副代表との温度差が明確化した発言。維新が野合政党であることの明白な証拠)
日本未来の党・嘉田代表 原子力安全神話の中で、国、経済界、電力事業者の三位一体で「原子力ムラ」の構造をつくったことが、今回の原発事故の遠因となった。手塩にかけて育てた牛を手放し、ふるさとを追われ、命の不安におびえる福島の人たちに、自民党はいかに謝罪し、どう責任をとるのか。私たちが示す「卒原発」プログラムは、エネルギーのベストミックスをどうつくるか、ということだ。一つは(エネルギーの)総量を節約することだ。それから同じ生産品をつくるのでも効率化を進めること。そして原子力以外の代替エネルギー、効率的なエネルギーの仕組みを提案していきたい。
この4党の中で、最も現実的な政策を述べているのは、やはり次期政権が事実上約束されている自民・安倍氏だ。原発依存度を低めていくため再生可能エネルギー開発に3年間、国家資本を集中投下していく、と表明している。「3年間」と期限を区切っているのは多少気になるが、3年間は国の総力を挙げて再生可能エネルギーの事実上の実用化の可能性の見通しを探る期間という意味ではないか。つまりコスト的に許容できるレベルまでの期間と投下資本の見通しを付けることができれば、4年目以降も実用化レベルに達するまで国家資本を集中投下する、と解釈するのが妥当だろう。
維新・石原氏も参議院議員1期、衆議院議員8期(その間、環境庁長官、運輸大臣を歴任)、東京都知事を3期(4期目半ばで国政に復帰すべく新党・太陽の党を立ち上げたのち維新に合流)という輝かしい政歴と責任ある立場についてきただけあって、やはり現実的な主張を展開している。ただ「基幹産業の利益が減る」と言う発言は一般国民の反感を買いかねない。そこは「基幹産業がどんどんエネルギーコストの安い海外に逃げ出し、産業の空洞化と技術開発力の喪失、失業率の増大につながる」と主張すべきだったと思う。この人はプロの物書きでありながら、文章を書く時の言葉の使い方の慎重さが、発言の場になると失われる傾向がしばしばみられる。こうした「失言」で国民の反感を買ったら、せっかくの正論が却ってあだになる。気をつけていただきたい。
民主・野田氏は、短期間ではあったが総理を務め、連合系の輿石幹事長と党の主導権争いを演じ、最後の最後の土壇場で主導権を輿石氏から奪い取っただけあって、それなりに見識ある主張をされたと思う。ただ2030年代に原発ゼロを目指すというのは、脱原発グループの中では多少現実性を帯びるかに見えるが、その根拠が定かでない。2030年代までは最大でも26年間の余裕しかない。太陽光発電の技術開発が飛躍的に進んで事実上の実用化レベルの発電コスト(原発並みとまではいかなくても最低火力発電並み)に達した途端、需要は一気に世界中に広まる。世界の各国が日本だけを特別扱いしてくれるわけもなく、また第一26年間で実用化レベルの発電コストに到達するかどうかも不明だ。太陽光発電の実用化にはブレークスルーしなければならない大きな課題がいくつかあって(後述する)、ただ一見「現実」そうに見える期限の設定は詐欺師のやることだ。
未来・嘉田氏の主張については馬鹿馬鹿しくて論評のしようがない。ただひたすら小学生並みの作文に相当する愚劣極まる「工程表」なるものを、何の科学的根拠もなくでっち上げただけのものでしかない。こんな「工程表」を一体だれが信じると言うのか。ま、「死に体」になった「小沢の声が第一」なる政党(これはジョークではない)をでっち上げた小沢一郎くらいなものだろう。総選挙での未来の当選者が二桁に乗ったら「奇跡」である。と同時に私は日本国民の民度に対する見方を大きく変えなければならなくなる。
太陽発電システムの研究開発をコツコツ始め、黎明期の第一人者として一時マスコミからもてはやされたのは三洋電機・機能材料研究室長(当時)の桑野幸徳氏である。のち同社代表取締役を経て太陽光発電技術研究組合理事長に就任する。桑野氏が太陽光発電の研究に取り組みだしたのは80年代に入ってから。機能材料の研究を任され、海のものとも山のものとも分からない太陽光電池の研究に取り組み、世界で初めて集積型アモルファスシリコン太陽電池の工業化に成功し、科学技術庁長官賞などを受賞している。桑野氏は三洋電機で一貫してアモルファス(非結晶)半導体の研究だった。が、電機メーカーだったということもあり、当初は電子デバイスへの応用しか考えていなかったという。とうとう壁にぶつかり、「研究対象を変えたい」と当時の研究室長・山野大氏に相談に行ったところ、「研究目的をエネルギー素材に変えて見ろ」というアドバイスを受け、それが彼の発明につながったという。(このエピソードはウィキペディアを隅から隅まで調べても載ってまへんでぇ)
一方、太陽光発電装置に欠かせないのが小型大容量の蓄電池である。その大本命と目されているのが(現時点では)リチウムイオン電池である。これも実は日本人が発明している。発明者は現在旭化成フェローの吉野彰氏。吉野氏は1981年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏(筑波大名誉教授)が発見した導電性高分子ポリアセチレンの応用研究の過程で、この物質が2次電池のマイナス電極として使えることを発見、その後ポリアセチレンの代わりに炭素材料を使用し、プラス電極にはリチウムイオン含有金属酸化物を用いて発明したのがリチウムイオン電池である。現在私たちの身近な製品としては携帯電話(スマホを含む)やモバイル、電動アシスト自転車等のバッテリーとして広く利用されている。充電タイプの蓄電池としては現在もっとも性能面で優れているが、経年劣化が激しく(たとえば電動アシスト自転車の場合、通常5年が寿命とされている)、また太陽光発電用の蓄電池としては最低でも寿命を20年くらいに延ばすこと、また小型化、大容量化が普及のための大きな開発課題になっている。
以上述べたように太陽光発電が原発に代替できるようになるにはかなりのブレークスルーが必要で、安易に再生可能な自然エネルギーに頼るというのは政党として無責任すぎる。「脱原発」を主張している政党で、ゆいつ再生可能な自然エネルギーへの幻想を振りまいていないのは「みんなの党」だが、「みんな」が公約で謳っている代替エネルギーのLNGは、なぜか日本は欧米に比べ輸入価格がべらぼうに高く、「脱原発」の主役と位置付けた途端、足もとに付け込まれ、さらに輸入価格が高騰する可能性も否定できない。またLNGを原料とする場合、当然発電方法は火力発電ということになり、排ガス対策が重要になる。自動車関係の排ガス対策は法規制の強化もあって技術的にもかなり進んできたが、火力発電の排ガス対策はまだ全く手を付けていない。というより、手の付けようがない、というのが現実である。京都議定書の提唱国としては90%以上の発電方法を火力に頼るというのはいかがなものか、という感じがする。
以上述べてきたように、原発問題はこの総選挙では本来争点になりえない問題である。もっと喫緊の課題で「日本という国の形」を決めなければならない、待ったなしの大きな問題がある。TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否か、参加する場合、例外なき関税障壁の撤廃を認めるか、あるいは条件付きでとりあえず交渉に参加するか、それこそ、今直ちに国民の総意を問うべき問題が、全く争点になっていないのはどういうわけか。
TPP問題は次のブログで書く予定だが、なぜ原発問題が最大の争点になってしまったのか、の分析をして今回のブログを終えたい。自民党を除いて他のすべての政党が多少の温度差はあれ「脱(卒)原発」を公約で謳い、しかも最大の争点にしたのには、当然それなりの理由がある(自民と連立している公明党すら「脱原発」を公約で謳っている)。
最大の理由は、自民との対立軸にするのに最もわかりやすいという点である。原発を国策としてきた自民に対し攻勢に出ることができるのは、福島原発の大事故が、票をかき集めるためには最も手軽な方法だったというだけのことだ。本気で「脱(卒)原発」を実現しようと言うのであれば、ドイツの脱原発政策が事実上破たんした原因を徹底的に分析し、ドイツの二の舞を踏まない工程表を作成しなければいけない。「工程表]らしきものをいちおう明らかにしたのは「未来」だけだが、エネルギー問題についての籐四郎(とうしろう。素人のこと)が科学的根拠を一切示さず(示しようがない、というのが真実)、砂の上に楼閣を築くがごとき手法ででっち上げたものでしかない。
二つ目の理由は、国民の最大の関心事になってしまったという点がある。他党がいくら自民との差別化を図ろうと頭をひねっても、肝心の国民が関心を持たない問題で差別化を図っても空振りに終わってしまう。このブログの冒頭で述べたように原発問題が総選挙での国民の最大の関心事になったということは、自民以外の政党にとってはもっけの幸いというわけだった。自民以外の政党が「脱(卒)原発」を総選挙の最大の争点にできたのはそういう面もあった。こういうのを「ポピュリズム(大衆迎合)政策」という。
最後にデフレ不況脱出策として各政党が足並みをそろえて主張しているのは(不況脱出策を謳っていない政党もあるが)、相も変わらずケインズ経済理論である「公共工事と金融緩和によるインフレ政策」である。ケインズがこの不況脱出策を唱えたのは、まだ一国経済が主流(もちろん輸出入は多少あったが)だった時代で、現代のように大国家、大経済圏の不況がたちまち全世界に波及する時代においてはケインズ政策はほとんど効力を発揮しえない。日本の現状において金融緩和と無意味な公共工事に不況脱出策を頼ると、残るのは膨大な財政赤字だけで、その結果悪性インフレが発生することは目に見えている。ここは国内経済政策でデフレ不況を退治しようなどと考えるべきではなく、EUの経済危機をアメリカや中国など比較的堅調な経済運営を保っている諸国と共同でEUにてこ入れすることを最優先すべきである。EUが立ち直れば、自然に日本のデフレ不況も脱失に向かう。政治家は経済学者である必要はないが、金科玉条のようにケインズ理論に寄りすがるのはもうやめた方がいい。そのくらいの見識は持っていただかないと、今の政治家に日本の未来を託すことはできない。