今次総選挙での最大の争点になるべきは「原発問題」でもなければ「消費税増税問題」でもない。もちろんこの二つは明日(16日)の投票の結果によって成立する新しい政権の枠組みの中で、今後も十分な時間をかけて議論を尽くすべき問題ではある。私もそのことを否定しているわけではない。
しかし、総選挙は今後最大4年間の間に、日本という国のかたちをどうつくるかという喫緊の問題に対する国民の民意(「民意」というのは「全国民の共通した意志」という意味ではない。国民の価値観が多様化している現在、「大多数の同意」を得ることすら難しい状況にある。そういう状況においては「国民の民意」とは最低限「国民の過半数の同意」を持って「民意」と認めざるを得ないのが民主主義の大原則である。
そういう意味で考えれば「原発」問題や「消費税」問題は確かに「国民の民意」を問うべき課題であることは間違いない。だが、総選挙の争点になるべきもっと重要な喫緊の問題に日本は直面している。それはTPP(太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否かという問題と、中国や北朝鮮の軍事的脅威が無視できない状況になりつつある現在、日本の安全保障の枠組みをどう再構築するべきかという二つの問題である。が、この二つのテーマが総選挙の争点にならなかったのはなぜか。各政党がこの二つのテーマは票に結びつかないと考えたからにほかならない。で、とりあえず、投票が明日に迫った中で、原発問題と消費税問題について最後のブログを書くことにする。
歴史的には日本は戦前から原子力の研究を密かに行っていた。もちろん平和利用のためではなく原子爆弾の開発のためだった。が、敗戦によって日本の原子力研究はいったん全面的に禁止される。が、1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると同時に日本の原子力研究も解禁された。それを受けて日本の「原子力の父」とのちに言われる正力松太郎(読売新聞のオーナーであり、読売巨人軍の父でもある)が、親交のあった中曽根康弘(当時は改進党に属して「青年将校」と呼ばれ、若いながら政界に強力な人脈を形成していた)に働きかけ、中曽根が稲葉修、斎藤健三らを語らって54年3月、国会に原子力研究開発予算を提示し、戦後の原子力研究開発が承認されたのが原子力平和利用研究の嚆矢とされている。それを受けて55年12月19日に国会で原子力基本法が成立し「民主・自主・公開」の「原子力3原則」がいちおう確立された。「いちおう」と書いたのは、この3原則が政界・通産省(当時)・電力会社・原発メーカー・原子力研究の専門家(主に大学教授。ただしすべてではない)の間で癒着が定着いく過程で有名無実化していったからである。
日本で最初の原子力発電がおこなわれたのは63年10月26日で、東海村の動力試験炉(日本原子力研究所、いわゆる「原研」が開発)が初めて原子力発電に成功した。この日10月26日が政府により「原子力の日」と制定された。
当時はまだ日本の発電は石炭・石油による火力発電に頼っていたが、日本のエネルギー対策が大きく転換するきっかけとなったのは2度にわたる石油ショックだった。
第1次石油ショックは73年10月に勃発した第4次中東戦争を契機にOPEC(石油輸出国機構)加盟のペルシャ湾岸6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げることを一方的に発表し、石油輸入国を中心に先進工業国の経済は大混乱に陥った。この時期、エネルギー源だけではなく化学産業も原料を石油精製の過程の産物であるナフサを重要な原料としており、この石油ショックで生活必需品が大幅に値上がりし、74年には我が国の消費者物価は一気に23%も上昇、「狂乱物価」という流行語が生まれたほどである。この年日本の経済は戦後初めてマイナス成長(-1.2%)を記録し、高度経済成長時代は終焉した。ちなみに堺屋太一氏が通産官僚時代に書いた処女作『油断』は石油ショックによる日本経済の大混乱を予測した近未来小説とされているが、『油断』が刊行されたのは75年であり、「検証小説」と言うべきだろう。ただ78年末には再びOPECが翌79年から4回に分けて原油公示価格を14.5%に値上げすることを決定した直後の79年にはイラン革命が勃発してイランの石油生産が中断し、イランから大量の原油を購入していた日本の産業界は再び大混乱に陥った。そうした事情もあって堺屋の『油断』が石油ショックを予測した近未来小説と高い評価を受ける要因になったと思われる。
なお、「結果論」と言われてしまえばそれまでだが、この2度の石油ショックのおかげで日本の技術力は一躍世界のトップに躍り出ることになる。私はこの2度にわたる石油ショックは日本産業界にとって「神風」のようなものだったと考えている。第2次石油ショックの直後から日本のエレクトロニクス産業が急速に成長し、世界をリードしていたアメリカを追い抜いて世界のトップに劣り出た事情について92年11月に上梓した『忠臣蔵と西部劇』(日本の経済活動の歩みを独自の視点で解明した私の代表作)で私はこう書いた。
半導体を中心とするエレクトロニクス技術の急速な進展は、我が国技術革新の流れを決定し、三つの流行語を生みだした。
省エネ省力。
軽薄短小。
メカトロニクス。
読者は意外に思われるかもしれないが、メカトロニクスという言葉は外来語ではない。もともとは、九州の安川電機がPRのためのキャッチフレーズとしてつくり、商標登録もしていたが、あまりにも急速に一般化してしまったため、商標権を放棄したといういきさつがある。
(※中略:この三つの合言葉で日本の半導体産業、自動車産業、鉄鋼産業、工作機械産業がどうやってアメリカを追い抜いて一躍世界をリードする技術革新を成し遂げたかのエピソードを書いた)
戦後もしばらくの間は石炭は、鉄とともに日本の二大基幹産業であった。実際、石炭産業はかつて、東大や京大など天下の秀才をより選り取り見取りで集めていた。
だが60年ごろ、石油との競争に敗れ、見る影もなくなってしまう。天下の秀才の頭脳は、この時何の役にも立たなかったのである。
石炭が石油との競争に敗れたのは、エネルギー分野だけではない。化学の分野でも、石炭化学から石油化学へのドラスチックな転換が行われ、石炭化学の担い手は何らなすすべもなく、自らの拠って立つ基盤が崩壊するのを眺めていたのである。
戦後日本経済の復興を支えた花形産業ですら、新しい技術革新の流れの前にはまったく無力でしかなかったことを、すべての産業人が知った。
この学習効果があったからこそ、石油ショックという未曽有の危機に対して、日本企業は必至のサバイバルに挑んだと言えよう。
一方、アメリカは石油ショックによって抱いた危機感が、日本企業に比べてはるかに希薄だった。石油消費量の99.7%を輸入に依存していた日本と異なり、万一のときには何とか国産の石油で国内需要はまかなえるという事情が(※現在は不可能である)、アメリカ産業界の危機対応力を鈍感にした。
エネルギー対策でも日本は石油ショック後、原子力や天然ガスへの多様化を図り、またサンシャイン計画など新エネルギー開発に力を入れ、石油産業自身がサバイバルのためにこれらの計画に積極的に参加したし、石油化学も石炭を原料とするC1化学の研究開発に力を入れた。
日本が原子力をエネルギー源の主軸に移行していったのはこの二つの石油ショック以降である。石油の備蓄にも力を入れたが、石油備蓄施設をいくら増やしても何十年分もの石油を備蓄するような場所が第一ない。現在日本の備蓄量は、民間が国内消費量の83日分、国が94日分で、合計しても177日分、つまり半年分にしか満たないのである。しかも石油基地建設を行おうとした場合、常に地元住民の反対運動にさらされ、これ以上備蓄基地を増設することは事実上不可能である。
「未来」などが原発の代替エネルギーとして太陽光などの再生可能な新エネルギーを有力視しているが、これらの新エネルギー開発計画はすでに石油ショック以後すぐに始まっていた。政府は74年7月には「サンシャイン計画」を発足、新エネルギー開発に取り組んできた。その時すでに太陽光発電は石油に代わる新エネルギーの柱として位置づけられている。さらにその4年後には「ムーンライト計画」を発足、サンシャイン計画を実現させるための補助的技術開発の目標として省エネ技術・燃料電池発電技術・ヒートポンプ技術・超伝導応用の蓄電池開発など4項目の開発目標も定めた。またサンシャイン計画の終了とともに93年には「ニューサンシャイン計画」を発足、新エネルギー・省エネ・地球環境保全(温暖化防止)の3分野に絞り込んで研究開発を進めてきた。11年3月11日の東日本大震災を受けて、同年5月、当時の管総理が20年までに太陽光発電のコストを現在の1/3に、30年までに1/6に低減化し、20年までに太陽光パネルを全世帯の50%に設置、30年までに100%設置の目標とした「サンライズ計画」を打ち出している。
しかしこれらの政権与党が作成した計画は所詮ある種の政治的目的をもった「机上の計画」に過ぎない。目標は高く設定されているが、その裏付けとなる科学的根拠は全く示されていない。まだ霞が関の官僚が作成する「予算案」の方がいちおう「根拠」となる数字(必ずしも合理的とは言えないが)を示している。実際この手の「夢物語」で実現したためしは一度もない。あったら教えてほしい。つまり、将来のことをちゃんと考えていますよ、という政権与党のアリバイ作りのための「計画」以外の何物でもないのだ。
しかし「夢物語」が結果的に実現したケースが一度だけあった。60年安保騒動の責任をとって退陣した岸内閣を踏襲して総理になった池田勇人氏が就任直後にぶち上げた「所得倍増」計画である。この「所得倍増」なる言葉はのちに大宅壮一ノンフィクション賞など数々の賞を受けたノンフィクション作家・小説家の沢木耕太郎氏が「戦後最大のコピー」と評したほどだった。そしてまたこの言葉は戦後世界の奇跡とまで言われた日本の高度経済成長時代を象徴するキャッチフレーズでもあった。
池田氏は歴代総理の中で最もエピソードが多い政治家の一人としても有名である。東大を卒業した後大蔵省に入ったものの、若くして奇病にかかって5年間の闘病生活を送った。2年間の休職期間を過ぎていたため本人は民間企業への転身を考えていたが、格別の計らいで大蔵省に「新規採用」された。その後は病気明けということもあって比較的楽な税制調査などの楽な仕事を与えられたが、それを奇貨として池田は諸外国の税制を猛勉強、大蔵省髄一の税の専門家として名を馳せた。こうして「失われた5年間」を取り戻すや出世街道の一躍トップに躍り出て、主税局長から主計局長を経ず事務次官に「二階級特進」、1948年(昭和23年)に大蔵省を定年で退官、政治家への転身を図る。翌49年の総選挙で初当選、第3次吉田内閣のもとでいきなり大蔵大臣に起用されて周囲を驚かせたが、大臣就任の2年目(50年)に歴史的に有名となった二つの「失言」(語録)を残している。
ひとつは、金融引き締め政策の断行に当たり3月、国会の答弁で「中小企業の一部倒産もやむを得ない」(新聞は「中小企業の一つや二つ倒産しても構わない」と報じた)との発言が物議をかもした。二つ目は12月にマスコミが池田氏の発言として「貧乏人は麦を食え」と喧伝した発言だが、これは池田氏の発言を限度を超えて短絡化したもので、実際には衆院予算委員会で社会党議員の質問に対し、「所得の少ない人は麦を多く食う。所得の多い人は米を食う」という、所得に応じた当たり前の生活格差を説明したに過ぎない内容だった。一般常識とはかけ離れた永田町の論理には、1年生議員の大蔵大臣が付いていけなかったと言うしかない。
さて沢木氏が「戦後最大のコピー」と絶賛した「所得倍増」計画だが、沢木氏の意図が伝わっていないので、「絶妙なジョーク」なのか、本気でそう思ったのかはわからないが、いずれにせよ池田総理は国民の所得を倍増させるための具体的政策は何も提起していない。池田氏が提唱したのは「60年度のGNP(国民総生産)13兆6000億円を10年で26兆円に増大させる」という、言うなら民主党が2009年の総選挙のマニフェストで「霞が関埋蔵金の活用で年4.3兆円の財源を生み出す」とホラを吹いたのと同類だった。
ただ民主党が政権をとって調べてみたら、そんな霞が関埋蔵金などは全くなかったが、池田氏の掲げた所得倍増計画は結果的には計画より早く達成してしまった。ただ大蔵省官僚のトップの職にあった池田氏が、GNPの倍増を「国民所得の倍増」とすり替えたのは、まだGNPという概念が国民に理解されていなかった時代とはいえ、限りなく「詐欺」っぽい言い方だったと言えよう。だから私は沢木氏の「戦後最大のコピー」は皮肉を込めた「絶妙なジョーク」だったのではないかと思う。結果的に池田内閣の「所得倍増計画」は、GNPは6年で、国民所得は7年で倍増し、余裕をもって達成できたし、それはそれなりの理由があったのだが(このブログで「なぜ所得倍増計画が実現できたのか」を解明することはしない。知りたい人は『忠臣蔵と西部劇』を読んでいただきたい)、池田内閣の所得倍増計画があったから実現できたことではない。
似たような話に共産党や社会党などが主張している「憲法9条があったから日本は戦後平和だった」という、全く根拠のない主張と、池田内閣の所得倍増計画は同類だということだけご理解いただければ十分である。つまり、全く関連性はなかったが、結果的にはそうなったというだけの話である。
なぜこの話を持ち出したかというと、いったい「脱(卒)原発」は本当に可能なのか、という問題を論理的に皆さんに考えていただきたいというのが、回りくどい話を書いてきた理由であった。
すでに書いたように太陽光発電はコスト的に従来の発電(火力・水力・原子力)に到底太刀打ちできない。しかし原発2基で今年の猛暑の夏を国民は乗り切った。国民も工場も、スーパーもそれぞれ工夫して節電対策を行った。原発がなくてもみんなが努力すれば何とかやっていけるという貴重な学習を我々日本人はした。
「原発の電力コストが安い、という政府の説明はウソだ」という反原発派のこれまでの主張の方がウソだったことは、原発なしで電気を供給してきた電力会社が、軒並み10%前後電気料金の値上げに踏み切らざるを得なかったことで明らかになった。しかも電力会社は人件費を20%以上カットしたうえでの値上げだったことを考慮に入れると、いかに原発のコストが火力に比べて安かったかを証明している。電力会社の社員の給料が世間常識をはるかに超えた水準だったことも、この間の一連の騒動で明らかになったが、電力会社が原発コストを正確に計上すると利益が出すぎるため、意図的に原発コストをかさ上げする目的で社員の人件費を世間並み以上に高くしてコストアップの要因にしてきたのではないかと思う。そうでなければ人件費を20%カットしても電力料金を10%前後値上げしないと経営的にやっていけないという理由の説明がつかない。
そのようなもろもろの要素を考慮に入れると、一番現実的な解決策は原子力規制委員会がほぼ安全であることを確認した原発を除き、残りの原発は即廃炉にすることである。原発も工業製品である以上100%安全ということはありえない。「ほば」ということは危険性がまだ残っているということを意味する。だからどういう場合に危険性が現実化するかの検証を徹底的に行って、限りなく「ほぼ」を100%に近づける努力が必要となる。素人発想だが、万一に備えて原子炉や配管を現在最強の金属であるチタン合金で被覆するのも一つの方法かもしれない。
少なくとも太陽光発電を全量固定価格で電力会社に買い取らせるなどという方法は、まったく愚かな政策だったことは「脱原発」の先進国だったドイツが早々と太陽光発電の固定価格買取制を中止したことからも明らかである。大きな痛手をこうむる前に「ごめんなさい」と頭を下げて固定価格買い取り制を廃止すべきである。
第一原発を1基も稼働しなかった東電が、今年の猛暑の夏を「計画停電」を一度も行わずに乗り切れたこと自体が、もし太陽光発電の全量を固定価格で買い取って電気料金が高くなったら、産業界も国民も今年の夏以上の節電に取り組み、電力が余ることになることは目に見えている。そうなったら電力会社は太陽光発電の固定価格での買い取りを拒否するか、拒否できない場合は損失補てんを国に要求する権利が生じる。電力会社が国を相手取って裁判を起こしたら、間違いなく国は負ける。
もちろん太陽光発電の発電効率の向上の研究開発には官民挙げて今後も取り組む必要がある。環境にやさしく、危険性もゼロの理想的なエネルギーだからである。そして人類の英知が、いつの日か太陽光発電が従来のすべてのエネルギーコストを下回る時が来ることに期待しようではないか。私たちの世代はもちろん、次の世代でも無理だろうが、次の次の世代には再生可能な自然エネルギーで電力のすべてをまかなえるよう、気が遠くなるくらいの長期的視点で研究開発に取り組もうではないか。
次に消費税問題について考えてみよう。
日本人の民度の高さは、消費税増税問題に対する反応にも表れている。1989年の参院選では日本社会党が議席を大幅に増大して、非改選組を含めても自民を過半数割れに追い込んだことがある。自民党の消費税導入に反発した国民が政局を大きく動かした選挙で、当時の日本社会党・土井たか子党首は開票速報番組の中で「山が動いた」と発言、流行語になったほどであった。実際、その直後の参議院で消費税廃案を決議、衆議院で否決されたが、消費税導入に対する国民の怒りはこの時だけではなかった。
そもそも消費税導入は自民党にとって悲願ともいえる税制改革だった。歴史的に消費税に関する主な状況を振り返ってみよう。
① 78年、大平内閣が一般消費税導入を計画したが、総選挙の結果を受け撤回。
② 86年、中曽根内閣時に売上税構想。マスコミは反発。
③ 88年、竹下内閣が3%の消費税導入を決定、翌89年4月1日消費税法施行。
④ 89年、参院選で日本社会党が大躍進、参議院で消費税法廃案を決議。
⑤ 94年、細川総理が独断で消費税を廃止し国民福祉税(7%)導入構想を発表
したが、政府内で反対され即日撤回。
⑥ 97年4月1日、橋本内閣が消費税を5%に増税実施。翌98年の参院選挙で
自民議席大幅減。
⑦ 03年、消費税課税業者の免税点が売り上げ3000万円から1000万円に引き
下げられた。
⑧ 課税表示の「税込表示」が義務付けられた。
⑨ 野田内閣により社会福祉制度目的のための消費税増税法案が成立(14年4
月に8%へ、15年10月に10%へ引き上げ予定)
過去の歴史が示すように消費税増税は政権党にとってタブーであった。小泉総理が長期政権を維持できたのも小泉氏が「私の総理在任中は消費税を増税しない」と公約して国民の信任を受けてきたからでもあった。そういう意味では今次総選挙で野田総理が「選挙のことを考えれば消費税増税はすべきでなかったかもしれないが、日本の将来のことを考えると消費税増税に踏み切らざるを得なかった」と述べた胸中は察するに余りあると言えよう。実際消費税増税に反発した民主党議員から多くの離脱者が出たことは、「消費税増税に反対した方が自分の選挙にとって有利だ」という、手前勝手が見え見えの行為であったと言えよう。
しかし今回の消費税増税はこれまでの消費税導入・増税とは意味が全く違う。竹下内閣の消費税導入は高額所得者への最高課税率(所得税・地方税を合算)85%を60%に引き下げるための税税収不足分を消費税で補うための税制であり、橋本内閣時の増税は高額所得者への最高課税率を50%に引き下げることによる税収不足分を補うためのものであった。だが、今回の消費税増税は少子高齢化に歯止めがかからず、社会保障制度が崩壊しかねない状況の中でのやむを得ざる増税であり、年々増加を続ける生活保護者や就職難にあえぐ若者たちが増大の一途を続ける中での増税であるにもかかわらず、国民の30%近くが消費税増税に賛成を表明しており(NHKによる世論調査)、自分たちの生活を直撃する消費税増税にこれほど多くの国民の理解が得られていることは、日本国民の民度が非常に高くなりつつあることを示していると、私は日本人であることにこれほど誇りを持てたことはかつてない。
そのことを考えると、日本最大の発行部数を誇る読売新聞の論説委員たちの感覚の非常識さを憂いざるを得ない。読売新聞は2度にわたって社説で「新聞は非課税あるいは低率課税にすべきだ」と主張した。新聞が不要だとまでは私も言わないが、読売新聞が消費税増税を容認し、「国民に負担を強いる以上まず自らが血を流すべきだ」と主張してきたことを、自らがまず実践すべきではないか。消費税が増税されようがされまいが、国民とくに若年層の活字離れは少子高齢化が社会問題になる以前から生じていた現象であり、そこに消費税増税が追い打ちとなれば、新聞社にとっては大きな逆風になることは間違いない。かといって新聞購読料を値上げすれば国民の新聞離れはますます進行する。そういう時代を生き残るためには読売新聞社の人件費をまず大幅に削減すること(社員の給与カット、企業年金の廃止など)で自ら血を流し、それでも経営が困難になった場合は金融業界が生き残りのために行ったように大リストラを伴う新聞社間の統廃合で徹底的な合理化を行うことだ。それでも経営が成り立たないということになったら、新聞が果たしてきた社会的使命は終わりを告げた、と潔く解散すればよい。新聞だけが特別扱いすべきだと、非課税か低率課税を主張するのはあまりにも身勝手すぎるのではないか。そういう新聞社がほかの件でいくら「正論」を述べてもだれも支持しないことを肝に銘じた方がいい。
読売新聞の手前勝手な「懇願」はさておき、NHKが12月10日のニュース7で発表した政党支持率の世論調査の結果を見れば日本国民の民度の高さと政治家の政治感覚のレベルの低さがよくわかる。NHKが発表した順番ではなく、支持率の高い順から各政党の支持率を見てみよう。
① 自 民 26.6%
② 民 主 16.1%
③ 維 新 4.7%
④ 公 明 4.1%
⑤ 共 産 2.7%
⑥ みんな 2.1%
⑦ 未 来 1.6%
⑧ 社 民 0.7% (他党はすべて0.1%)
⑨ とくになし 33.5%
このうち消費税増税法案を成立させた3党の合計支持率は 46.8%に達する。無党派層の33.5%を単純比例配分すると約15.7%が3党支持率に上乗せできることになる。つまり62.5%が3党のいずれかに投票する可能性が高いことを意味している。消費税増税は3党合意で成立したのだから、今さら消費税増税反対をいくら叫んでも廃案にすることは不可能なのだ。
そもそも選挙における公約(マニフェスト、みんなの党は「アジェンダ」と称している)は、政権与党を現実的に目指しうる政党と、どう転んでも政権与党になりえない政党とでは、公約の持つ意味合いがまったく違う。政権与党を目指しうる政党は自民、自民と連立を組んでいる公明、自民との連立(あるいは政策協定)の可能性がある民主、維新の4党は公約に責任をもたざるを得ない。絶対に政権の座に就けない党は徹底的に票集めのための実現不可能な政策を並べても「公約違反」を選挙民から問われる心配がないから、好き勝手な公約を並べ立てることが出来る。その違いを、有権者はきちんと見極める必要がある。
政権を取る可能性が現にある政党が、実際に政権の座についたら公約の実現のために死に物狂いで政策の実現のために努力しなければならない。民主党が甘かったのは、ありもしなかった埋蔵金をあてにして社会保障制度を充実させようとしたことだった。その場合、何を根拠に埋蔵金なるものをあてにしてしまったのかの説明をきちんと国民に説明すべきだった。ただ「読みが甘かった」という謝罪だけでは国民は納得しない。なぜ読みを誤ったのかの徹底的な検証をしない限り、今後も「読みを誤る」ことを重ねることは疑いを容れない。
昨日ここまで書いて、今朝(14日)朝日新聞の朝刊を見たら、1面トップで総選挙中盤の情勢調査の結果が発表された。前回の調査{6日発表)では257~272~285だった自民当選者予想が、今回は270~285~297とさらに伸び、連立相手の公明の25~30~34(前回は27~31~35)を加えると、すでに300議席を突破する勢いだった。一方民主当選者予想は前回の68~81~95だったのが、今回の調査では63~76~88とさらに低下した。公示前議席数の民主230からみると、凋落が際立っている。また第三極として政局の焦点になっていた維新は前回の42~49~57から38~46~55とやや減少、未来に至っては9~14~20から5~10~15と激減した。前回11~18~23と公示前議席を倍増する勢いをほぼ維持した。8日に投稿したブログ『総選挙序盤線「自民大勝」の世論調査は自民に不利に働く可能性も !?』で私は、アナウンス効果には別々の二つの側面があり、バッドワゴン効果(勝ち馬効果)とアンダードッグ効果(負け犬効果)があり、中盤での世論がどちらに傾くかはふたを開けるまで分からないと書いたが、どうやらバッドワゴン効果が流れになったようだ。朝日新聞の調査によると、まだ小選挙区で5割弱、比例区で4割がまだ投票態度を明確にしていないようだが、勝負はほぼついたと言っていいだろう。バッドワゴン効果の典型的なケースは小泉劇場だが、今次総選挙の自民の勢いを見ると小泉劇場の再現と言えるかもしれない。
さて今次総選挙の本来の争点はTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加するか否か、また中国や北朝鮮の軍事的脅威が増す中で日本の安全保障の枠組みをどう再構築すべきかの二つだ、と私は一貫してブログで書いてきた。だが、ほとんどの政党がこの問題に対する態度をあいまいにしてきた結果のつけ、どの政党が政権を握ろうと、新政府の肩に重くのしかかることは間違いない。この二つの政治課題こそ今後の日本の国のかたちを選ぶ争点であるべきだったのに、世論に大きな影響を与える大新聞社は、この「2大争点」を置いてきぼりにしてしまった。
今次総選挙で原発問題と消費税増税問題が事実上最大の争点になってしまった状況に対して警告を発するべきなのに、逆に朝日新聞はこの仮想二大争点を容認した上で。朝日新聞は15日付朝刊の1面トップで「国のかたち 選ぶ」という大見出しをつけ、この仮想二大争点が投票の選択肢になったことを無批判的に書いている。この記事のリードで朝日新聞はこう主張した。
衆院総選挙の投票が16日に迫った。東日本大震災が起きて初の本格的な国政選挙になる。とりわけ「原発」「税と社会保障」は震災後の日本をどうつくっていくかを決める大切な争点だ。選挙結果によってはその流れが大きく変わっていく。
私ならこういうリードを書く。
総選挙の投票が明日に迫った。今日1日しか立候補者は自らの声を有権者に伝える日は残っていない。立候補者は、最後の1日で有権者に何を訴えるべきか。従来のように立候補者名の連呼だけで終わらせていい選挙ではない。今次総選挙はとりわけ、いくつもの大きな政治的テーマについて民意を問うべき選挙だった。確かに福島原発事故後の最初の本格的な国政選挙であり、今後のエネルギー問題に日本はどう取り組むべきか、また少子高齢化に歯止めがかからない中で社会保障システムをどう構築して行くか、とりあえずそのための財源の一部は消費税増税で確保できたが、消費税率を2倍にしたからといって消費税収入が2倍に増えるわけではない。国民は生活費の節約に走るからだ。肝心の社会保障制度のかたちづくりを後回しにして消費税だけを先行増税したことへの国民が下す審判に総選挙で政権の座に就く政党はどう応えるかも問われる選挙だ。しかしこの二つが総選挙の二大争点になってしまったことも残念である。待ったなしの、それこそ国のかたちを選ばざるを得ない二つの大きな政治的テーマが争点にならなかったのはなぜか。ひとつはTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否かであり、その選択結果によっては日本は環太平洋地域で経済的に孤立化する可能性が生じる。もう一つは中国や北朝鮮の軍事的脅威が増す中で、日本の安全保障体制は現状維持でいいのか、それとも新たな安全保障の枠組みを模索すべきなのか。本来なら、待ったなしのこの二大問題を争点から各政党が意図的に外したのは、ポピュリズム(大衆迎合主義)選挙に終始したかったからと評されても仕方あるまい。そういう選挙のかたちは、この総選挙で最後にしてもらいたい。
リードとしては長すぎる、と言われるかもしれない。私もそう思う。しかし文章の長短はさておいて、読者は朝日新聞のリードに軍配を上げられるか、それとも私のリードに軍配を上げてくださるか、忌憚のないご意見を頂ければと思う。
しかし、総選挙は今後最大4年間の間に、日本という国のかたちをどうつくるかという喫緊の問題に対する国民の民意(「民意」というのは「全国民の共通した意志」という意味ではない。国民の価値観が多様化している現在、「大多数の同意」を得ることすら難しい状況にある。そういう状況においては「国民の民意」とは最低限「国民の過半数の同意」を持って「民意」と認めざるを得ないのが民主主義の大原則である。
そういう意味で考えれば「原発」問題や「消費税」問題は確かに「国民の民意」を問うべき課題であることは間違いない。だが、総選挙の争点になるべきもっと重要な喫緊の問題に日本は直面している。それはTPP(太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否かという問題と、中国や北朝鮮の軍事的脅威が無視できない状況になりつつある現在、日本の安全保障の枠組みをどう再構築するべきかという二つの問題である。が、この二つのテーマが総選挙の争点にならなかったのはなぜか。各政党がこの二つのテーマは票に結びつかないと考えたからにほかならない。で、とりあえず、投票が明日に迫った中で、原発問題と消費税問題について最後のブログを書くことにする。
歴史的には日本は戦前から原子力の研究を密かに行っていた。もちろん平和利用のためではなく原子爆弾の開発のためだった。が、敗戦によって日本の原子力研究はいったん全面的に禁止される。が、1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると同時に日本の原子力研究も解禁された。それを受けて日本の「原子力の父」とのちに言われる正力松太郎(読売新聞のオーナーであり、読売巨人軍の父でもある)が、親交のあった中曽根康弘(当時は改進党に属して「青年将校」と呼ばれ、若いながら政界に強力な人脈を形成していた)に働きかけ、中曽根が稲葉修、斎藤健三らを語らって54年3月、国会に原子力研究開発予算を提示し、戦後の原子力研究開発が承認されたのが原子力平和利用研究の嚆矢とされている。それを受けて55年12月19日に国会で原子力基本法が成立し「民主・自主・公開」の「原子力3原則」がいちおう確立された。「いちおう」と書いたのは、この3原則が政界・通産省(当時)・電力会社・原発メーカー・原子力研究の専門家(主に大学教授。ただしすべてではない)の間で癒着が定着いく過程で有名無実化していったからである。
日本で最初の原子力発電がおこなわれたのは63年10月26日で、東海村の動力試験炉(日本原子力研究所、いわゆる「原研」が開発)が初めて原子力発電に成功した。この日10月26日が政府により「原子力の日」と制定された。
当時はまだ日本の発電は石炭・石油による火力発電に頼っていたが、日本のエネルギー対策が大きく転換するきっかけとなったのは2度にわたる石油ショックだった。
第1次石油ショックは73年10月に勃発した第4次中東戦争を契機にOPEC(石油輸出国機構)加盟のペルシャ湾岸6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げることを一方的に発表し、石油輸入国を中心に先進工業国の経済は大混乱に陥った。この時期、エネルギー源だけではなく化学産業も原料を石油精製の過程の産物であるナフサを重要な原料としており、この石油ショックで生活必需品が大幅に値上がりし、74年には我が国の消費者物価は一気に23%も上昇、「狂乱物価」という流行語が生まれたほどである。この年日本の経済は戦後初めてマイナス成長(-1.2%)を記録し、高度経済成長時代は終焉した。ちなみに堺屋太一氏が通産官僚時代に書いた処女作『油断』は石油ショックによる日本経済の大混乱を予測した近未来小説とされているが、『油断』が刊行されたのは75年であり、「検証小説」と言うべきだろう。ただ78年末には再びOPECが翌79年から4回に分けて原油公示価格を14.5%に値上げすることを決定した直後の79年にはイラン革命が勃発してイランの石油生産が中断し、イランから大量の原油を購入していた日本の産業界は再び大混乱に陥った。そうした事情もあって堺屋の『油断』が石油ショックを予測した近未来小説と高い評価を受ける要因になったと思われる。
なお、「結果論」と言われてしまえばそれまでだが、この2度の石油ショックのおかげで日本の技術力は一躍世界のトップに躍り出ることになる。私はこの2度にわたる石油ショックは日本産業界にとって「神風」のようなものだったと考えている。第2次石油ショックの直後から日本のエレクトロニクス産業が急速に成長し、世界をリードしていたアメリカを追い抜いて世界のトップに劣り出た事情について92年11月に上梓した『忠臣蔵と西部劇』(日本の経済活動の歩みを独自の視点で解明した私の代表作)で私はこう書いた。
半導体を中心とするエレクトロニクス技術の急速な進展は、我が国技術革新の流れを決定し、三つの流行語を生みだした。
省エネ省力。
軽薄短小。
メカトロニクス。
読者は意外に思われるかもしれないが、メカトロニクスという言葉は外来語ではない。もともとは、九州の安川電機がPRのためのキャッチフレーズとしてつくり、商標登録もしていたが、あまりにも急速に一般化してしまったため、商標権を放棄したといういきさつがある。
(※中略:この三つの合言葉で日本の半導体産業、自動車産業、鉄鋼産業、工作機械産業がどうやってアメリカを追い抜いて一躍世界をリードする技術革新を成し遂げたかのエピソードを書いた)
戦後もしばらくの間は石炭は、鉄とともに日本の二大基幹産業であった。実際、石炭産業はかつて、東大や京大など天下の秀才をより選り取り見取りで集めていた。
だが60年ごろ、石油との競争に敗れ、見る影もなくなってしまう。天下の秀才の頭脳は、この時何の役にも立たなかったのである。
石炭が石油との競争に敗れたのは、エネルギー分野だけではない。化学の分野でも、石炭化学から石油化学へのドラスチックな転換が行われ、石炭化学の担い手は何らなすすべもなく、自らの拠って立つ基盤が崩壊するのを眺めていたのである。
戦後日本経済の復興を支えた花形産業ですら、新しい技術革新の流れの前にはまったく無力でしかなかったことを、すべての産業人が知った。
この学習効果があったからこそ、石油ショックという未曽有の危機に対して、日本企業は必至のサバイバルに挑んだと言えよう。
一方、アメリカは石油ショックによって抱いた危機感が、日本企業に比べてはるかに希薄だった。石油消費量の99.7%を輸入に依存していた日本と異なり、万一のときには何とか国産の石油で国内需要はまかなえるという事情が(※現在は不可能である)、アメリカ産業界の危機対応力を鈍感にした。
エネルギー対策でも日本は石油ショック後、原子力や天然ガスへの多様化を図り、またサンシャイン計画など新エネルギー開発に力を入れ、石油産業自身がサバイバルのためにこれらの計画に積極的に参加したし、石油化学も石炭を原料とするC1化学の研究開発に力を入れた。
日本が原子力をエネルギー源の主軸に移行していったのはこの二つの石油ショック以降である。石油の備蓄にも力を入れたが、石油備蓄施設をいくら増やしても何十年分もの石油を備蓄するような場所が第一ない。現在日本の備蓄量は、民間が国内消費量の83日分、国が94日分で、合計しても177日分、つまり半年分にしか満たないのである。しかも石油基地建設を行おうとした場合、常に地元住民の反対運動にさらされ、これ以上備蓄基地を増設することは事実上不可能である。
「未来」などが原発の代替エネルギーとして太陽光などの再生可能な新エネルギーを有力視しているが、これらの新エネルギー開発計画はすでに石油ショック以後すぐに始まっていた。政府は74年7月には「サンシャイン計画」を発足、新エネルギー開発に取り組んできた。その時すでに太陽光発電は石油に代わる新エネルギーの柱として位置づけられている。さらにその4年後には「ムーンライト計画」を発足、サンシャイン計画を実現させるための補助的技術開発の目標として省エネ技術・燃料電池発電技術・ヒートポンプ技術・超伝導応用の蓄電池開発など4項目の開発目標も定めた。またサンシャイン計画の終了とともに93年には「ニューサンシャイン計画」を発足、新エネルギー・省エネ・地球環境保全(温暖化防止)の3分野に絞り込んで研究開発を進めてきた。11年3月11日の東日本大震災を受けて、同年5月、当時の管総理が20年までに太陽光発電のコストを現在の1/3に、30年までに1/6に低減化し、20年までに太陽光パネルを全世帯の50%に設置、30年までに100%設置の目標とした「サンライズ計画」を打ち出している。
しかしこれらの政権与党が作成した計画は所詮ある種の政治的目的をもった「机上の計画」に過ぎない。目標は高く設定されているが、その裏付けとなる科学的根拠は全く示されていない。まだ霞が関の官僚が作成する「予算案」の方がいちおう「根拠」となる数字(必ずしも合理的とは言えないが)を示している。実際この手の「夢物語」で実現したためしは一度もない。あったら教えてほしい。つまり、将来のことをちゃんと考えていますよ、という政権与党のアリバイ作りのための「計画」以外の何物でもないのだ。
しかし「夢物語」が結果的に実現したケースが一度だけあった。60年安保騒動の責任をとって退陣した岸内閣を踏襲して総理になった池田勇人氏が就任直後にぶち上げた「所得倍増」計画である。この「所得倍増」なる言葉はのちに大宅壮一ノンフィクション賞など数々の賞を受けたノンフィクション作家・小説家の沢木耕太郎氏が「戦後最大のコピー」と評したほどだった。そしてまたこの言葉は戦後世界の奇跡とまで言われた日本の高度経済成長時代を象徴するキャッチフレーズでもあった。
池田氏は歴代総理の中で最もエピソードが多い政治家の一人としても有名である。東大を卒業した後大蔵省に入ったものの、若くして奇病にかかって5年間の闘病生活を送った。2年間の休職期間を過ぎていたため本人は民間企業への転身を考えていたが、格別の計らいで大蔵省に「新規採用」された。その後は病気明けということもあって比較的楽な税制調査などの楽な仕事を与えられたが、それを奇貨として池田は諸外国の税制を猛勉強、大蔵省髄一の税の専門家として名を馳せた。こうして「失われた5年間」を取り戻すや出世街道の一躍トップに躍り出て、主税局長から主計局長を経ず事務次官に「二階級特進」、1948年(昭和23年)に大蔵省を定年で退官、政治家への転身を図る。翌49年の総選挙で初当選、第3次吉田内閣のもとでいきなり大蔵大臣に起用されて周囲を驚かせたが、大臣就任の2年目(50年)に歴史的に有名となった二つの「失言」(語録)を残している。
ひとつは、金融引き締め政策の断行に当たり3月、国会の答弁で「中小企業の一部倒産もやむを得ない」(新聞は「中小企業の一つや二つ倒産しても構わない」と報じた)との発言が物議をかもした。二つ目は12月にマスコミが池田氏の発言として「貧乏人は麦を食え」と喧伝した発言だが、これは池田氏の発言を限度を超えて短絡化したもので、実際には衆院予算委員会で社会党議員の質問に対し、「所得の少ない人は麦を多く食う。所得の多い人は米を食う」という、所得に応じた当たり前の生活格差を説明したに過ぎない内容だった。一般常識とはかけ離れた永田町の論理には、1年生議員の大蔵大臣が付いていけなかったと言うしかない。
さて沢木氏が「戦後最大のコピー」と絶賛した「所得倍増」計画だが、沢木氏の意図が伝わっていないので、「絶妙なジョーク」なのか、本気でそう思ったのかはわからないが、いずれにせよ池田総理は国民の所得を倍増させるための具体的政策は何も提起していない。池田氏が提唱したのは「60年度のGNP(国民総生産)13兆6000億円を10年で26兆円に増大させる」という、言うなら民主党が2009年の総選挙のマニフェストで「霞が関埋蔵金の活用で年4.3兆円の財源を生み出す」とホラを吹いたのと同類だった。
ただ民主党が政権をとって調べてみたら、そんな霞が関埋蔵金などは全くなかったが、池田氏の掲げた所得倍増計画は結果的には計画より早く達成してしまった。ただ大蔵省官僚のトップの職にあった池田氏が、GNPの倍増を「国民所得の倍増」とすり替えたのは、まだGNPという概念が国民に理解されていなかった時代とはいえ、限りなく「詐欺」っぽい言い方だったと言えよう。だから私は沢木氏の「戦後最大のコピー」は皮肉を込めた「絶妙なジョーク」だったのではないかと思う。結果的に池田内閣の「所得倍増計画」は、GNPは6年で、国民所得は7年で倍増し、余裕をもって達成できたし、それはそれなりの理由があったのだが(このブログで「なぜ所得倍増計画が実現できたのか」を解明することはしない。知りたい人は『忠臣蔵と西部劇』を読んでいただきたい)、池田内閣の所得倍増計画があったから実現できたことではない。
似たような話に共産党や社会党などが主張している「憲法9条があったから日本は戦後平和だった」という、全く根拠のない主張と、池田内閣の所得倍増計画は同類だということだけご理解いただければ十分である。つまり、全く関連性はなかったが、結果的にはそうなったというだけの話である。
なぜこの話を持ち出したかというと、いったい「脱(卒)原発」は本当に可能なのか、という問題を論理的に皆さんに考えていただきたいというのが、回りくどい話を書いてきた理由であった。
すでに書いたように太陽光発電はコスト的に従来の発電(火力・水力・原子力)に到底太刀打ちできない。しかし原発2基で今年の猛暑の夏を国民は乗り切った。国民も工場も、スーパーもそれぞれ工夫して節電対策を行った。原発がなくてもみんなが努力すれば何とかやっていけるという貴重な学習を我々日本人はした。
「原発の電力コストが安い、という政府の説明はウソだ」という反原発派のこれまでの主張の方がウソだったことは、原発なしで電気を供給してきた電力会社が、軒並み10%前後電気料金の値上げに踏み切らざるを得なかったことで明らかになった。しかも電力会社は人件費を20%以上カットしたうえでの値上げだったことを考慮に入れると、いかに原発のコストが火力に比べて安かったかを証明している。電力会社の社員の給料が世間常識をはるかに超えた水準だったことも、この間の一連の騒動で明らかになったが、電力会社が原発コストを正確に計上すると利益が出すぎるため、意図的に原発コストをかさ上げする目的で社員の人件費を世間並み以上に高くしてコストアップの要因にしてきたのではないかと思う。そうでなければ人件費を20%カットしても電力料金を10%前後値上げしないと経営的にやっていけないという理由の説明がつかない。
そのようなもろもろの要素を考慮に入れると、一番現実的な解決策は原子力規制委員会がほぼ安全であることを確認した原発を除き、残りの原発は即廃炉にすることである。原発も工業製品である以上100%安全ということはありえない。「ほば」ということは危険性がまだ残っているということを意味する。だからどういう場合に危険性が現実化するかの検証を徹底的に行って、限りなく「ほぼ」を100%に近づける努力が必要となる。素人発想だが、万一に備えて原子炉や配管を現在最強の金属であるチタン合金で被覆するのも一つの方法かもしれない。
少なくとも太陽光発電を全量固定価格で電力会社に買い取らせるなどという方法は、まったく愚かな政策だったことは「脱原発」の先進国だったドイツが早々と太陽光発電の固定価格買取制を中止したことからも明らかである。大きな痛手をこうむる前に「ごめんなさい」と頭を下げて固定価格買い取り制を廃止すべきである。
第一原発を1基も稼働しなかった東電が、今年の猛暑の夏を「計画停電」を一度も行わずに乗り切れたこと自体が、もし太陽光発電の全量を固定価格で買い取って電気料金が高くなったら、産業界も国民も今年の夏以上の節電に取り組み、電力が余ることになることは目に見えている。そうなったら電力会社は太陽光発電の固定価格での買い取りを拒否するか、拒否できない場合は損失補てんを国に要求する権利が生じる。電力会社が国を相手取って裁判を起こしたら、間違いなく国は負ける。
もちろん太陽光発電の発電効率の向上の研究開発には官民挙げて今後も取り組む必要がある。環境にやさしく、危険性もゼロの理想的なエネルギーだからである。そして人類の英知が、いつの日か太陽光発電が従来のすべてのエネルギーコストを下回る時が来ることに期待しようではないか。私たちの世代はもちろん、次の世代でも無理だろうが、次の次の世代には再生可能な自然エネルギーで電力のすべてをまかなえるよう、気が遠くなるくらいの長期的視点で研究開発に取り組もうではないか。
次に消費税問題について考えてみよう。
日本人の民度の高さは、消費税増税問題に対する反応にも表れている。1989年の参院選では日本社会党が議席を大幅に増大して、非改選組を含めても自民を過半数割れに追い込んだことがある。自民党の消費税導入に反発した国民が政局を大きく動かした選挙で、当時の日本社会党・土井たか子党首は開票速報番組の中で「山が動いた」と発言、流行語になったほどであった。実際、その直後の参議院で消費税廃案を決議、衆議院で否決されたが、消費税導入に対する国民の怒りはこの時だけではなかった。
そもそも消費税導入は自民党にとって悲願ともいえる税制改革だった。歴史的に消費税に関する主な状況を振り返ってみよう。
① 78年、大平内閣が一般消費税導入を計画したが、総選挙の結果を受け撤回。
② 86年、中曽根内閣時に売上税構想。マスコミは反発。
③ 88年、竹下内閣が3%の消費税導入を決定、翌89年4月1日消費税法施行。
④ 89年、参院選で日本社会党が大躍進、参議院で消費税法廃案を決議。
⑤ 94年、細川総理が独断で消費税を廃止し国民福祉税(7%)導入構想を発表
したが、政府内で反対され即日撤回。
⑥ 97年4月1日、橋本内閣が消費税を5%に増税実施。翌98年の参院選挙で
自民議席大幅減。
⑦ 03年、消費税課税業者の免税点が売り上げ3000万円から1000万円に引き
下げられた。
⑧ 課税表示の「税込表示」が義務付けられた。
⑨ 野田内閣により社会福祉制度目的のための消費税増税法案が成立(14年4
月に8%へ、15年10月に10%へ引き上げ予定)
過去の歴史が示すように消費税増税は政権党にとってタブーであった。小泉総理が長期政権を維持できたのも小泉氏が「私の総理在任中は消費税を増税しない」と公約して国民の信任を受けてきたからでもあった。そういう意味では今次総選挙で野田総理が「選挙のことを考えれば消費税増税はすべきでなかったかもしれないが、日本の将来のことを考えると消費税増税に踏み切らざるを得なかった」と述べた胸中は察するに余りあると言えよう。実際消費税増税に反発した民主党議員から多くの離脱者が出たことは、「消費税増税に反対した方が自分の選挙にとって有利だ」という、手前勝手が見え見えの行為であったと言えよう。
しかし今回の消費税増税はこれまでの消費税導入・増税とは意味が全く違う。竹下内閣の消費税導入は高額所得者への最高課税率(所得税・地方税を合算)85%を60%に引き下げるための税税収不足分を消費税で補うための税制であり、橋本内閣時の増税は高額所得者への最高課税率を50%に引き下げることによる税収不足分を補うためのものであった。だが、今回の消費税増税は少子高齢化に歯止めがかからず、社会保障制度が崩壊しかねない状況の中でのやむを得ざる増税であり、年々増加を続ける生活保護者や就職難にあえぐ若者たちが増大の一途を続ける中での増税であるにもかかわらず、国民の30%近くが消費税増税に賛成を表明しており(NHKによる世論調査)、自分たちの生活を直撃する消費税増税にこれほど多くの国民の理解が得られていることは、日本国民の民度が非常に高くなりつつあることを示していると、私は日本人であることにこれほど誇りを持てたことはかつてない。
そのことを考えると、日本最大の発行部数を誇る読売新聞の論説委員たちの感覚の非常識さを憂いざるを得ない。読売新聞は2度にわたって社説で「新聞は非課税あるいは低率課税にすべきだ」と主張した。新聞が不要だとまでは私も言わないが、読売新聞が消費税増税を容認し、「国民に負担を強いる以上まず自らが血を流すべきだ」と主張してきたことを、自らがまず実践すべきではないか。消費税が増税されようがされまいが、国民とくに若年層の活字離れは少子高齢化が社会問題になる以前から生じていた現象であり、そこに消費税増税が追い打ちとなれば、新聞社にとっては大きな逆風になることは間違いない。かといって新聞購読料を値上げすれば国民の新聞離れはますます進行する。そういう時代を生き残るためには読売新聞社の人件費をまず大幅に削減すること(社員の給与カット、企業年金の廃止など)で自ら血を流し、それでも経営が困難になった場合は金融業界が生き残りのために行ったように大リストラを伴う新聞社間の統廃合で徹底的な合理化を行うことだ。それでも経営が成り立たないということになったら、新聞が果たしてきた社会的使命は終わりを告げた、と潔く解散すればよい。新聞だけが特別扱いすべきだと、非課税か低率課税を主張するのはあまりにも身勝手すぎるのではないか。そういう新聞社がほかの件でいくら「正論」を述べてもだれも支持しないことを肝に銘じた方がいい。
読売新聞の手前勝手な「懇願」はさておき、NHKが12月10日のニュース7で発表した政党支持率の世論調査の結果を見れば日本国民の民度の高さと政治家の政治感覚のレベルの低さがよくわかる。NHKが発表した順番ではなく、支持率の高い順から各政党の支持率を見てみよう。
① 自 民 26.6%
② 民 主 16.1%
③ 維 新 4.7%
④ 公 明 4.1%
⑤ 共 産 2.7%
⑥ みんな 2.1%
⑦ 未 来 1.6%
⑧ 社 民 0.7% (他党はすべて0.1%)
⑨ とくになし 33.5%
このうち消費税増税法案を成立させた3党の合計支持率は 46.8%に達する。無党派層の33.5%を単純比例配分すると約15.7%が3党支持率に上乗せできることになる。つまり62.5%が3党のいずれかに投票する可能性が高いことを意味している。消費税増税は3党合意で成立したのだから、今さら消費税増税反対をいくら叫んでも廃案にすることは不可能なのだ。
そもそも選挙における公約(マニフェスト、みんなの党は「アジェンダ」と称している)は、政権与党を現実的に目指しうる政党と、どう転んでも政権与党になりえない政党とでは、公約の持つ意味合いがまったく違う。政権与党を目指しうる政党は自民、自民と連立を組んでいる公明、自民との連立(あるいは政策協定)の可能性がある民主、維新の4党は公約に責任をもたざるを得ない。絶対に政権の座に就けない党は徹底的に票集めのための実現不可能な政策を並べても「公約違反」を選挙民から問われる心配がないから、好き勝手な公約を並べ立てることが出来る。その違いを、有権者はきちんと見極める必要がある。
政権を取る可能性が現にある政党が、実際に政権の座についたら公約の実現のために死に物狂いで政策の実現のために努力しなければならない。民主党が甘かったのは、ありもしなかった埋蔵金をあてにして社会保障制度を充実させようとしたことだった。その場合、何を根拠に埋蔵金なるものをあてにしてしまったのかの説明をきちんと国民に説明すべきだった。ただ「読みが甘かった」という謝罪だけでは国民は納得しない。なぜ読みを誤ったのかの徹底的な検証をしない限り、今後も「読みを誤る」ことを重ねることは疑いを容れない。
昨日ここまで書いて、今朝(14日)朝日新聞の朝刊を見たら、1面トップで総選挙中盤の情勢調査の結果が発表された。前回の調査{6日発表)では257~272~285だった自民当選者予想が、今回は270~285~297とさらに伸び、連立相手の公明の25~30~34(前回は27~31~35)を加えると、すでに300議席を突破する勢いだった。一方民主当選者予想は前回の68~81~95だったのが、今回の調査では63~76~88とさらに低下した。公示前議席数の民主230からみると、凋落が際立っている。また第三極として政局の焦点になっていた維新は前回の42~49~57から38~46~55とやや減少、未来に至っては9~14~20から5~10~15と激減した。前回11~18~23と公示前議席を倍増する勢いをほぼ維持した。8日に投稿したブログ『総選挙序盤線「自民大勝」の世論調査は自民に不利に働く可能性も !?』で私は、アナウンス効果には別々の二つの側面があり、バッドワゴン効果(勝ち馬効果)とアンダードッグ効果(負け犬効果)があり、中盤での世論がどちらに傾くかはふたを開けるまで分からないと書いたが、どうやらバッドワゴン効果が流れになったようだ。朝日新聞の調査によると、まだ小選挙区で5割弱、比例区で4割がまだ投票態度を明確にしていないようだが、勝負はほぼついたと言っていいだろう。バッドワゴン効果の典型的なケースは小泉劇場だが、今次総選挙の自民の勢いを見ると小泉劇場の再現と言えるかもしれない。
さて今次総選挙の本来の争点はTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加するか否か、また中国や北朝鮮の軍事的脅威が増す中で日本の安全保障の枠組みをどう再構築すべきかの二つだ、と私は一貫してブログで書いてきた。だが、ほとんどの政党がこの問題に対する態度をあいまいにしてきた結果のつけ、どの政党が政権を握ろうと、新政府の肩に重くのしかかることは間違いない。この二つの政治課題こそ今後の日本の国のかたちを選ぶ争点であるべきだったのに、世論に大きな影響を与える大新聞社は、この「2大争点」を置いてきぼりにしてしまった。
今次総選挙で原発問題と消費税増税問題が事実上最大の争点になってしまった状況に対して警告を発するべきなのに、逆に朝日新聞はこの仮想二大争点を容認した上で。朝日新聞は15日付朝刊の1面トップで「国のかたち 選ぶ」という大見出しをつけ、この仮想二大争点が投票の選択肢になったことを無批判的に書いている。この記事のリードで朝日新聞はこう主張した。
衆院総選挙の投票が16日に迫った。東日本大震災が起きて初の本格的な国政選挙になる。とりわけ「原発」「税と社会保障」は震災後の日本をどうつくっていくかを決める大切な争点だ。選挙結果によってはその流れが大きく変わっていく。
私ならこういうリードを書く。
総選挙の投票が明日に迫った。今日1日しか立候補者は自らの声を有権者に伝える日は残っていない。立候補者は、最後の1日で有権者に何を訴えるべきか。従来のように立候補者名の連呼だけで終わらせていい選挙ではない。今次総選挙はとりわけ、いくつもの大きな政治的テーマについて民意を問うべき選挙だった。確かに福島原発事故後の最初の本格的な国政選挙であり、今後のエネルギー問題に日本はどう取り組むべきか、また少子高齢化に歯止めがかからない中で社会保障システムをどう構築して行くか、とりあえずそのための財源の一部は消費税増税で確保できたが、消費税率を2倍にしたからといって消費税収入が2倍に増えるわけではない。国民は生活費の節約に走るからだ。肝心の社会保障制度のかたちづくりを後回しにして消費税だけを先行増税したことへの国民が下す審判に総選挙で政権の座に就く政党はどう応えるかも問われる選挙だ。しかしこの二つが総選挙の二大争点になってしまったことも残念である。待ったなしの、それこそ国のかたちを選ばざるを得ない二つの大きな政治的テーマが争点にならなかったのはなぜか。ひとつはTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否かであり、その選択結果によっては日本は環太平洋地域で経済的に孤立化する可能性が生じる。もう一つは中国や北朝鮮の軍事的脅威が増す中で、日本の安全保障体制は現状維持でいいのか、それとも新たな安全保障の枠組みを模索すべきなのか。本来なら、待ったなしのこの二大問題を争点から各政党が意図的に外したのは、ポピュリズム(大衆迎合主義)選挙に終始したかったからと評されても仕方あるまい。そういう選挙のかたちは、この総選挙で最後にしてもらいたい。
リードとしては長すぎる、と言われるかもしれない。私もそう思う。しかし文章の長短はさておいて、読者は朝日新聞のリードに軍配を上げられるか、それとも私のリードに軍配を上げてくださるか、忌憚のないご意見を頂ければと思う。