やはり「小泉劇場」は再現した。自民党の圧勝で今次総選挙は幕を閉じた。
自民と連立を組む公明も大躍進した。私が予想した通り、第三極では維新がそれなりの健闘を示したのに対し、未来は泡沫政党に転落した。小沢一郎はさすがに地元の岩手4区で当選を果たしたが、小沢とともに民主を離党し、小沢と一緒に未来に合流した小沢チルドレンは全滅状態に終わった。一方無残としか言いようのない民主の惨敗は、野合政党が必然的にたどった運命だったと言えよう。
かつて細川政権は、政府として何もできないままに短期間で崩壊した。自民党が総選挙で過半数を割った時、「政権交代可能な二大政党政治」を標榜して自民から離脱した小沢が画策し、共産党を除く全野党を集めてでっち上げたのが細川野合政権だった。その時政権内で最大の勢力を誇っていた政党は小沢率いる新政党だったが、新生党を核にした野合政権をつくることは不可能だったため、細川護煕が立ち上げた日本新党を核にした野合政権をでっち上げたというわけだった。しかし日本新党は政権内での主導的地位を築くことが出来なかった。小沢が細川を担いだのは毒にも薬にもならない「お殿様」だったからで、細川がつくった日本新党の政治理念を尊重しようという考えは毛頭なかった。というより日本新党は設立理念の「「既成の政治・政党を打破して日本に新しい政治体制をつくりあげる」という空疎なスローガンだけで、具体的な政策は何も提示していなかった。その点、いちおう政策を掲げて新党を立ち上げたい深夜未来とは雲泥の差があり、「細川商店」と揶揄されたこともある。
が、55年体制にうんざりしていた国民は日本国民の大きな期待を集める。政策皆無の政党が支持を得ると言うこと自体、今から考えると信じがたい思いがするが、ともかく55年体制の存続に嫌気がさしていた国民にとってはやむを得ざる選択として日本新党に期待を寄せたのであろう。でも、国民にとっては目新しく思えた制度は創った。いまではどの政党もやっているが議員立候補者を公募したのは日本新党が最初である。また「クオータ制」と称して党役員のうち女性が20%を下回らないことも決めた。そのため女性を対象とする政治スクールを開設するなど、それなりに斬新な仕組みをつくりあげた。
結局細川政権は1993年8月9日に誕生したが、翌年94年4月28日には内閣総辞職し、1年にも満たない政権に終わった。「野合」はやはり「野合」でしかなかった。具体的な政策を実現しようとすると、たちまち政権を構成していた各政党の考えや選挙基盤の事情によって政権内部がまとまらず、何もできないという結果になることが明らかになった。それはそれで「野合」の脆さを証明したという意味では、それなりの歴史的意義のある「実験」ではあったと私は思っている。
だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の特性が、再び大きな過ちを引き起こす結果となったのが、今次総選挙で洗礼を受けた「野合政党」民主党の事実上の崩壊であった。この選挙で民主が獲得した議員の数は公示前の3分の1にも達しない57議席でしかなかった。しかも民主党が「国民に消費税増税という大きな負担をお願いする以上、自らも血を流す必要がある」として大幅減を主張していた比例代表制が温存されたため、小選挙区では自民立候補者に負けながら比例区で復活当選した議員が大半を占めるという皮肉な結果を生んだ。
この歴史的大敗で、野田・民主党代表は責任をとって辞意を明らかにしたが、最大の「戦犯」である輿石幹事長は依然として責任の取り方について言及を避けている。輿石氏は選挙結果を受けて党が自民に近いグループと連合系グループ(旧社会党系)に分裂するか、分裂しないまでも党運営の主導権をどのグループが握ることになるか、体制を見極めるための時間稼ぎをしているのであろう。そして幹事長ポストは手放さざるを得ないまでも、党内の影響力を残すために、党新体制のキャスティングボードを握り続けようと画策するつもりなのだろう。
一方自民は294議席という歴史的大勝を勝ち取り、公明の31議席を加えると衆議院議員総数480の3分の2を超えた。すでに参院では自公が過半数を握っており、いわゆる「ねじれ」現象は解消した。
ただ今次総選挙は、本来争点になりえない「脱(卒)原発」問題と「消費税増税」問題を巡って争われた。しかし、それはそれで、全く無意味な選挙だったとは私は思わない。日本人の民度の高さが改めて証明された選挙だったからだ。自民はあえて反自民の未来を代表とする「脱(卒)原発」「消費税増税反対」の主張に取り合わず、「安定した政治」「景気対策」に絞り込んで選挙活動を行ってきた結果でもあった。
この自民の選挙活動に対し、民主は「再びハコモノ公共工事の失敗を繰り返すのか」と主張したが、国民への説得力に欠いたようだ。だが、「ハコモノ公共工事」が景気浮揚につながらなくなったという事実と、その理由を国民に理解できるように説明できなかったことが、自民との差別化を図れなかった最大の原因だったと思う。
ハコモノ公共工事が世界恐慌脱出の大きな効果を上げたニューディール政策のことは皆さんもご存じだろう。ニューディール政策はケインズ経済理論に基づいて行われたが、ケインズ経済理論の大きな柱は不況対策として「失業の原因は労働力需要の減少によるという仮定に立ち、労働力需要を増大するための大規模公共工事を行えば失業者が減り、購買力が回復して内需が増大し、その効果があらゆる産業分野に波及して不況から脱することが出来る」という考え方に基づき、1930年代の世界大恐慌を克服するためにルーズベルト米大統領が行った一連の経済政策がニューディール政策だった。
確かにケインズ経済理論は労働者に占める肉体労働者に比率が圧倒的に高かった時代には大きな効果を発揮したことは疑いを容れない。しかし今の日本のデフレ不況の原因は肉体労働者の失業によるものではない。デフレ不況の要因がケインズの時代と異なって相当複雑化しているのである。最大の要因は、来年の大卒者の就職内定率がまだ60%台にとどまるなど、若手インテリ層の就職難をどう解決するかのほうが重要な問題である。そういう時代にハコモノ公共工事を増やしてもデフレ不況の打開策にはならないのだ。問題は、なぜ若手インテリ層の就職難が生じたのかを分析し、彼らの就職難を解決する方策を講じることである。
そういう視点に立って考えれば答えは簡単に出てくる。日本のハイテク産業がどんどん海外に出て国内産業の空洞化に歯止めがかからない状況が若手インテリ層の就職難の最大の要因になっていることがわかるはずだ。だとすれば、そるべき対策は二つに絞られる。一つは国内産業の海外進出に歯止めをかけるための何らかの対策を講じることだ(たとえば海外事業に対する課税制度をつくって海外進出のメリットを失くしてしまうことも考えられるし、海外進出する企業に一定の割合で日本人を海外事業に従事させることを制度化し、それに応じた企業にはそれなりの補助金を給付することも考えてよいのではないかと思う)。
また貧富の差の拡大が内需の減少をもたらしていることに配慮し、税体系を抜本的に改革して富裕層がため込んでいる金の流動化を図ることも大切である。具体的にはシャウプ税制まで戻せとまでは言わないが、最高税率(国税と地方税の合算)を現在の50%から65~70%くらいに累進制を強化し、一方低所得層の課税率を大幅に軽減することで内需を拡大することである。もう一つは金を使う機会が減少している高齢者がため込んでいる金をどうやって市場に流通させるようにするかということだ。そのためには相続税を重くし、贈与税の軽減化を図れば、高齢者がため込んでいる金が若い子供や孫に移り、間違いなく内需の拡大につながる。内需が拡大すれば企業は供給を増大させる必要が生じ、先に述べたように海外進出に対する規制を強化すれば国内産業が息を吹き返して若年インテリ層の失業率も低下に向かうだろう。
こうした不況対策であれば事実上の赤字国債になることが必至の建設国債を無制限に発行する必要もなくなるし、少子高齢化に歯止めをかけることが出来る可能性が生じる。
政権に返り咲いた自民党は、公明との連立を維持することは構わないが、単独で62%もの議席を獲得できたのだから、公明との関係を最優先すべきではなく、政策によっては公明の反対を押し切っても維新やみんな、民主の一部との政策協定を結んで、日本という国のかたちづくりに巨歩を踏み出すべきである。
中でも今次総選挙の最大の争点になるべきだったTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題や、中国や北朝鮮の軍事的脅威が現実化しつつある現在、日本の安全を守るための対策の再構築を考えるべきである。日米安保条約は今のところ日本にとって最大の抑止効果を持っているが、アメリカは日本のために日米安保条約を結んでいるわけではなく、アメリカが極東の軍事的支配力を維持するために日本を核の傘で守る必要を感じているからであって、その必要性がなくなったら1年の予告期間を経ていつでも安保条約を廃棄できる権利を持っている。そんな紙切れ1枚に日本の安全を託するのは危険極まりない。少なくとも、アメリカ人に、日本を守るために血を流してもらうためには、日本人もアメリカの安全のために血を流す用意があることを国としてアメリカに約束する必要がある。そういう新安保条約をアメリカと締結するための第一歩を安倍内閣は踏み出す必要がある。その場合、護憲を党是としている公明があくまで反対するなら、維新などと部分政策協定を結んで日本という国のかたちをつくっていく必要があるだろう。
自民と連立を組む公明も大躍進した。私が予想した通り、第三極では維新がそれなりの健闘を示したのに対し、未来は泡沫政党に転落した。小沢一郎はさすがに地元の岩手4区で当選を果たしたが、小沢とともに民主を離党し、小沢と一緒に未来に合流した小沢チルドレンは全滅状態に終わった。一方無残としか言いようのない民主の惨敗は、野合政党が必然的にたどった運命だったと言えよう。
かつて細川政権は、政府として何もできないままに短期間で崩壊した。自民党が総選挙で過半数を割った時、「政権交代可能な二大政党政治」を標榜して自民から離脱した小沢が画策し、共産党を除く全野党を集めてでっち上げたのが細川野合政権だった。その時政権内で最大の勢力を誇っていた政党は小沢率いる新政党だったが、新生党を核にした野合政権をつくることは不可能だったため、細川護煕が立ち上げた日本新党を核にした野合政権をでっち上げたというわけだった。しかし日本新党は政権内での主導的地位を築くことが出来なかった。小沢が細川を担いだのは毒にも薬にもならない「お殿様」だったからで、細川がつくった日本新党の政治理念を尊重しようという考えは毛頭なかった。というより日本新党は設立理念の「「既成の政治・政党を打破して日本に新しい政治体制をつくりあげる」という空疎なスローガンだけで、具体的な政策は何も提示していなかった。その点、いちおう政策を掲げて新党を立ち上げたい深夜未来とは雲泥の差があり、「細川商店」と揶揄されたこともある。
が、55年体制にうんざりしていた国民は日本国民の大きな期待を集める。政策皆無の政党が支持を得ると言うこと自体、今から考えると信じがたい思いがするが、ともかく55年体制の存続に嫌気がさしていた国民にとってはやむを得ざる選択として日本新党に期待を寄せたのであろう。でも、国民にとっては目新しく思えた制度は創った。いまではどの政党もやっているが議員立候補者を公募したのは日本新党が最初である。また「クオータ制」と称して党役員のうち女性が20%を下回らないことも決めた。そのため女性を対象とする政治スクールを開設するなど、それなりに斬新な仕組みをつくりあげた。
結局細川政権は1993年8月9日に誕生したが、翌年94年4月28日には内閣総辞職し、1年にも満たない政権に終わった。「野合」はやはり「野合」でしかなかった。具体的な政策を実現しようとすると、たちまち政権を構成していた各政党の考えや選挙基盤の事情によって政権内部がまとまらず、何もできないという結果になることが明らかになった。それはそれで「野合」の脆さを証明したという意味では、それなりの歴史的意義のある「実験」ではあったと私は思っている。
だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の特性が、再び大きな過ちを引き起こす結果となったのが、今次総選挙で洗礼を受けた「野合政党」民主党の事実上の崩壊であった。この選挙で民主が獲得した議員の数は公示前の3分の1にも達しない57議席でしかなかった。しかも民主党が「国民に消費税増税という大きな負担をお願いする以上、自らも血を流す必要がある」として大幅減を主張していた比例代表制が温存されたため、小選挙区では自民立候補者に負けながら比例区で復活当選した議員が大半を占めるという皮肉な結果を生んだ。
この歴史的大敗で、野田・民主党代表は責任をとって辞意を明らかにしたが、最大の「戦犯」である輿石幹事長は依然として責任の取り方について言及を避けている。輿石氏は選挙結果を受けて党が自民に近いグループと連合系グループ(旧社会党系)に分裂するか、分裂しないまでも党運営の主導権をどのグループが握ることになるか、体制を見極めるための時間稼ぎをしているのであろう。そして幹事長ポストは手放さざるを得ないまでも、党内の影響力を残すために、党新体制のキャスティングボードを握り続けようと画策するつもりなのだろう。
一方自民は294議席という歴史的大勝を勝ち取り、公明の31議席を加えると衆議院議員総数480の3分の2を超えた。すでに参院では自公が過半数を握っており、いわゆる「ねじれ」現象は解消した。
ただ今次総選挙は、本来争点になりえない「脱(卒)原発」問題と「消費税増税」問題を巡って争われた。しかし、それはそれで、全く無意味な選挙だったとは私は思わない。日本人の民度の高さが改めて証明された選挙だったからだ。自民はあえて反自民の未来を代表とする「脱(卒)原発」「消費税増税反対」の主張に取り合わず、「安定した政治」「景気対策」に絞り込んで選挙活動を行ってきた結果でもあった。
この自民の選挙活動に対し、民主は「再びハコモノ公共工事の失敗を繰り返すのか」と主張したが、国民への説得力に欠いたようだ。だが、「ハコモノ公共工事」が景気浮揚につながらなくなったという事実と、その理由を国民に理解できるように説明できなかったことが、自民との差別化を図れなかった最大の原因だったと思う。
ハコモノ公共工事が世界恐慌脱出の大きな効果を上げたニューディール政策のことは皆さんもご存じだろう。ニューディール政策はケインズ経済理論に基づいて行われたが、ケインズ経済理論の大きな柱は不況対策として「失業の原因は労働力需要の減少によるという仮定に立ち、労働力需要を増大するための大規模公共工事を行えば失業者が減り、購買力が回復して内需が増大し、その効果があらゆる産業分野に波及して不況から脱することが出来る」という考え方に基づき、1930年代の世界大恐慌を克服するためにルーズベルト米大統領が行った一連の経済政策がニューディール政策だった。
確かにケインズ経済理論は労働者に占める肉体労働者に比率が圧倒的に高かった時代には大きな効果を発揮したことは疑いを容れない。しかし今の日本のデフレ不況の原因は肉体労働者の失業によるものではない。デフレ不況の要因がケインズの時代と異なって相当複雑化しているのである。最大の要因は、来年の大卒者の就職内定率がまだ60%台にとどまるなど、若手インテリ層の就職難をどう解決するかのほうが重要な問題である。そういう時代にハコモノ公共工事を増やしてもデフレ不況の打開策にはならないのだ。問題は、なぜ若手インテリ層の就職難が生じたのかを分析し、彼らの就職難を解決する方策を講じることである。
そういう視点に立って考えれば答えは簡単に出てくる。日本のハイテク産業がどんどん海外に出て国内産業の空洞化に歯止めがかからない状況が若手インテリ層の就職難の最大の要因になっていることがわかるはずだ。だとすれば、そるべき対策は二つに絞られる。一つは国内産業の海外進出に歯止めをかけるための何らかの対策を講じることだ(たとえば海外事業に対する課税制度をつくって海外進出のメリットを失くしてしまうことも考えられるし、海外進出する企業に一定の割合で日本人を海外事業に従事させることを制度化し、それに応じた企業にはそれなりの補助金を給付することも考えてよいのではないかと思う)。
また貧富の差の拡大が内需の減少をもたらしていることに配慮し、税体系を抜本的に改革して富裕層がため込んでいる金の流動化を図ることも大切である。具体的にはシャウプ税制まで戻せとまでは言わないが、最高税率(国税と地方税の合算)を現在の50%から65~70%くらいに累進制を強化し、一方低所得層の課税率を大幅に軽減することで内需を拡大することである。もう一つは金を使う機会が減少している高齢者がため込んでいる金をどうやって市場に流通させるようにするかということだ。そのためには相続税を重くし、贈与税の軽減化を図れば、高齢者がため込んでいる金が若い子供や孫に移り、間違いなく内需の拡大につながる。内需が拡大すれば企業は供給を増大させる必要が生じ、先に述べたように海外進出に対する規制を強化すれば国内産業が息を吹き返して若年インテリ層の失業率も低下に向かうだろう。
こうした不況対策であれば事実上の赤字国債になることが必至の建設国債を無制限に発行する必要もなくなるし、少子高齢化に歯止めをかけることが出来る可能性が生じる。
政権に返り咲いた自民党は、公明との連立を維持することは構わないが、単独で62%もの議席を獲得できたのだから、公明との関係を最優先すべきではなく、政策によっては公明の反対を押し切っても維新やみんな、民主の一部との政策協定を結んで、日本という国のかたちづくりに巨歩を踏み出すべきである。
中でも今次総選挙の最大の争点になるべきだったTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題や、中国や北朝鮮の軍事的脅威が現実化しつつある現在、日本の安全を守るための対策の再構築を考えるべきである。日米安保条約は今のところ日本にとって最大の抑止効果を持っているが、アメリカは日本のために日米安保条約を結んでいるわけではなく、アメリカが極東の軍事的支配力を維持するために日本を核の傘で守る必要を感じているからであって、その必要性がなくなったら1年の予告期間を経ていつでも安保条約を廃棄できる権利を持っている。そんな紙切れ1枚に日本の安全を託するのは危険極まりない。少なくとも、アメリカ人に、日本を守るために血を流してもらうためには、日本人もアメリカの安全のために血を流す用意があることを国としてアメリカに約束する必要がある。そういう新安保条約をアメリカと締結するための第一歩を安倍内閣は踏み出す必要がある。その場合、護憲を党是としている公明があくまで反対するなら、維新などと部分政策協定を結んで日本という国のかたちをつくっていく必要があるだろう。