小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

今年最後のブログ……新政権への期待と課題

2012-12-30 09:05:12 | Weblog
 これが今年最後のブログになる。毎回長文のブログを読んでくださった方たちに改めてお礼を申し上げたい。 
 8月上旬の与野党の攻防以来12月16日の総選挙に至るまで、毎日政局を追いかけてきて(ブログ投稿はその間19回。ただし政局問題だけでなく、オスプレイ問題、女性宮家問題なども書いてきた)、私のブログは1回平均1万字、400字原稿用紙に換算すると25枚になる。従って19回のブログを400字原稿用紙に換算すると475枚ということになる。単行本1冊の平均原稿量が私の場合、約300枚だから、1冊半を超えるブログ記事をこの短期間に書いてきたことになる。特に12月16日の総選挙日には開票速報が始まった7時30分からテレビを見ながらパソコンに向かい続け、途中3時間ほどの仮眠を含めて翌17日6時過ぎに最後の当選者が決まってから記事の仕上げをはじめ10時ごろに1万3000字ほどの記事を一気に投稿した。夏に入ってからようやく2年半に及ぶ闘病生活から脱したとはいえ、毎日3~4時間ほどフィットネスクラブで汗を流しながら、これだけのブログをよくも書いてきたものだと我ながら感心してしまう。正直、疲れ果ててしばらく休養を取らせてもらった。
 今年最後のブログでは政権の座に返り咲いた自公連立政権への期待と課題について述べたいと思う。
 まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共工事による経済効果の2点である。
 金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。日銀が金を貸す相手は一般国民ではなく、主に民間の金融機関である。では例えば銀行が二流、三流の中小企業や信用度の低い国民にじゃぶじゃぶ金を貸してくれるかというと、そんなことはありえない。優良企業が銀行から金を借りてくれなくなってからもう20年以上になる。いくら優良企業と言っても、銀行が融資をする場合は担保を要求する。そんな面倒くさいことをしなくても優良企業なら増資や社債の発行でいくらでも無担保で金を集めることが出来るからだ。
 そもそもリーマン・ショックで日本のメガバンクが大打撃を受けた理由を考えてほしい。国内に優良な融資先がなく、金融緩和でだぶついて金の運用方法に困り、リーマン・ブラーズが発行した証券(日本にもバブル時代に流行った抵当証券のような有価証券)に大金をつぎ込み、リーマン・ブラザースが経営破たんしたあおりを食って大損失を蒙り、金融界の再編成に進んだことは皆さんも覚えておられるだろう。金融緩和で銀行に金がだぶついたら、また危険な投機商品に手を出しかねない。自公政権の金融緩和政策に世界の為替市場が敏感に反応して急速に円安に進み株も年初来の最高値を記録したが、そんなのは一過性な現象に過ぎない。とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。
 そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
 その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税の負担は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税を支払うだけでなく、非贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。その場合、総合課税にすると計算がややこしくなりサラリーマンなど通常は確定申告せずに済む人たちの利便性を考えて分離課税にして、しかも通常の課税システムのように贈与額に応じて納税額を変動させるのではなく、たとえば一律10%の分離課税にすることが大切である(税率は別に10%にこだわっているわけではないが、贈与する側にも贈与される側にもできるだけ負担が少なくして、頻繁に贈与が行えるような仕組みにすることがポイントになる。またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税制にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく)。いずれにせよ、相続税を軽く贈与税を重くしてきたのにはそれなりの時代背景があったと思うが、時代背景が変われば課税の在り方についての発想も転換する必要がある。税金に限らず専門家は従来の考え方からなかなか抜け出せないという致命的な欠陥をもっている。私たちはつねに従来の考え方(つまり常識)に疑問を持つ習性を身に付けるよう心がけたいものだ。そうでないと日本はこの困難な状況を脱することが出来ない。
 また所得税制度も改革の必要がある。内閣府が「国民生活に関する世論調査」を始めたのは1958年(昭和33年)である。この年の調査では「中流」意識を持っていた国民は約7割だったが、60年代半ばには8割に達し、日本のGNP(国民総生産)が世界第2位になった68年を経て70年以降は約9割に達した。79年に内閣府が発表した『国民生活白書』では「国民の中流意識が定着した」と宣言している。
 が、消費税が導入され、さらにバブルが崩壊して以降国民の「中流」意識の変化はどうなったか。実は内閣府はその調査を中止してしまったのである。理由は私が言うまでもなく賢明な皆さんはお分かりであろう。「中流階層」の年収レベルは明確ではないが(内閣府が行ってきた意識調査はあくまで個々人の意識であって、「中流階層」の年収を基準に調査したものではなかった)、少なくとも97年以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で、300~1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向にある。もっと厳しく、結婚して子供二人がいる4人家族の標準世帯で、30年の長期ローンを組んで(ということは少なくとも30歳代)小さくとも持ち家(マンションを含む)を買える条件として年収500~700万円を「中流階層」と定義したら、どの程度の国民が「中流階層」の範囲に入るだろうか。政府は怖くてそういう調査ができないことは明らかである。私の勘ではおそらく3割に満たないのではないか。おそらく4人家族の標準世帯で年収が500万以下の「下流階層」は5割を超えるのではないか。消費税増税はそういう世帯を直撃する。
 しかし私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
 なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、 国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは『タイム』と並ぶ2大週刊誌の『ニューズウィーク』が紙の刊行をやめた。アメリカでも日本と同様活字離れが急速に進み、パソコンやモバイルで電子書籍を読む人が急速に増加している。日本でも朝日新聞が有料のデジタル版を出しているが、まだ購読料が高いためか(紙媒体と同時申し込めばプラス500円で済む)普及に至っていないが、全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすればいっきに電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。
 税の問題はこの辺で終わるが、待ったなしの状況にあるのがTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題である。自民党は選挙期間中「聖域なきTPP交渉には参加できない」と主張して、TPP交渉に参加する姿勢を打ち出していた野田民主党(選挙ではTPP交渉参加を主張しなかったが)に圧勝した。
 私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。先に述べたように国民の90%以上が「中流」意識を持っていた時代もあったが、いま「中流」意識をもてる国民がどれだけいるか、そのことを考えるだけでも「民意」なるもののいい加減さがわかろうというものだ。
 確かに選挙には勝たなければならないが、日本の将来を危うくするような公約(マニフェスト)を並べ立てて票の獲得を目指すような政治家に日本の将来を任せるわけにはいかない。その最たるものが日本の農業保護政策だ。資本主義社会の基本原則は自由競争である。もちろん今すぐ何でもかんでも自由競争にしろなどとは言わない。自由競争社会で勝ち残れるような手段を構築することと、その構築が完成するまでの一定の猶予期間を設ける必要はある。だが、どうやっても勝ち残れない場合は別の救済手段を設けるべきだ。その典型がコメ農業である。実際、今すぐに自由化しても生き残れる国産米の生産量は50%以上あるそうだ。ただしその50%以上の国産米を生産している農家(農業法人も含め)は全体の5%以下だそうだ。つまり農家(兼業農家も含む)の95%はどうやっても自由競争に生き残れない農家だ。そういう農家は減反奨励金などの保護策ではなく、生活保護の対象として救済すべきだ。つまり全資産を処分してもらって、憲法が定めている最低の文化的生活水準を維持できる生活保護をすべきである。95%の大半は兼業農家だから、生活保護の対象にする必要はない。ほんの一握りの零細専業農家への生活保護費など、現在の農業保護をやめれば、おつりが出ることは間違いない。
 そういうと「食糧安保」を喚き散らす連中がいる。それなら言わせてもらうが、彼らは「エネルギー安保」を考えたことが一度でもあるか。日本のエネルギー自給率はたったの3%しかない。食料自給率を高めるためTPP交渉にそっぽを向いて、日本が自由競争世界の中で孤立化し、エネルギー源(石油・石炭・天然ガス・ウラン)の輸入がままならなくなってもいいのか。そういうエゴを「民意」と認定するような政治家には政治家の資格がない。
 はっきり言う。日本は直ちに「聖域なきTPP交渉」への参加を表明すべきだ。TPP交渉に参加したからと言って、今すぐ直ちにすべての関税をゼロにしなければならないというわけではない。一定の猶予期間は認められる。その猶予期間のうちに競争社会で生き残れるコメ農業を育てるための努力は政府は農業団体と協力してやるべきである。それでも競争に勝てない農家は気の毒だが、生活保護受給者になっていただく。
 日本が、自らそういう血を流す覚悟を世界に向けて発信すれば、国際社会における日本の発言力は格段の重みをもつようになる。
 来年は、そういう日本になるための第一歩の年になってほしい。その期待を込めて、今年のブログの最後とする。
 読者の皆さん。良いお年を。