北海道の夏は短い。海水浴の出来る期間も僅かなのだそうだ。夏が短いので、春も短い。5月を過ぎて桜が咲き始めてから、短い春から初夏にかけて花が咲き乱れる。そんな北海道の初夏を8年前に旅した。
日高の牧場、オホーツクの原生花園、美瑛の丘などを回ってきた私は、その時の旅の最終宿泊地として夕張を選んだ。
夕刻の夕張行きの鈍行ディーゼルカーの車内は、始発駅の新夕張から乗り込んできた仕事帰りのおばさん達で賑わっていた。新夕張を出ると、小さな谷に寄り添うように走り始めたディーゼルカーは、集落毎に設けられた小駅で、次々とおばさん達を降ろしていった。
やがて谷は少し広がり、ちょっとした平地を形成し、当然のようにそこに小さな町が広がった。清水沢というその駅で、多くの乗客は降りた。
夕張はかつて炭鉱で大いに栄えた町で、全盛期には今の八倍ほどになる十万を超す人々がこの地で暮らしていたという。炭鉱が廃坑となった今、清水沢の町に在りし日の面影を求めるとしたら、細くはあるが整然とされた道と、駅前にいくつか並ぶ商店だろうか。
清水沢も、どの駅も、ホームの横には空き地が広がる。かつて、石炭貨物用の線路があった名残だという。
清水沢を出ると再び谷が近づき、そして終点が近づくとともに右手に平地が広がる。かつての炭鉱住宅のあった区画。
終点の夕張駅は小さなホームがひとつあるだけの無人駅だったが、駅舎は新しく造り直されたのか綺麗で、駅の横にはスキー場ホテルもあって、うら淋しいイメージはなかった。しかし、駅前には何かある訳ではなく、まるで「用事がない者はすぐ帰れ」と駅が言っているかのように思えた。
駅から町は離れているようなので、夕張の実態がいまいち掴みきれないまま、折り返しの列車で一駅戻った。鹿ノ谷というその小さな無人駅で降りたのは、私と学校帰りの女子高生一人だけだった。
鹿ノ谷駅前は一段と何もなく、泊まるなら先ほど通って来た清水沢の方が良いのかもしれないと思いながら、先ほど降り立った女子高生に聞いてみた。その子は、駅舎に備え付けのホウキとチリトリで、駅舎の掃除を始めていた。
その女の子の話では、泊まるなら夕張で一番の町は夕張駅との事であった。記念に一枚写真を撮らせて貰い、私は歩いて1キロちょっと先の夕張駅へと戻った。
電話帳で目星を付けた旅館に向かって歩いていくと、やがて谷のやや広がった場所に造られた夕張の町が現れた。建物は古びて、ややくたびれた感じのする小さな町は、坂道に小さな商店街を形成していた。私が電話した旅館もその坂道にあった。
夜、旅館のおかみさんに教えてもらった居酒屋に入る。坂道の途中にその店はあり、中は明るかった。カウンターに並べられた煮物はどれも美味しそうだった。しみじみと酒を飲んで外に出ると、夜の夕張は寒かった。その寒さは6月とは思えないほどの、谷の底冷えだった。
翌朝、旅館のおかみさんと少し話をした。気の良いおばあちゃんなおかみさんは、土産にメロンの漬け物を持っていくか?と言ってきた。そういえば夕張はメロンの名産地であった。メロンは炭鉱が廃坑されてからの新産業として、町が力を入れてきて現在の成功があるのだという。
今回のBGM Starting Over / SPEED