1月19日、22年前にモーニング娘。六期メンバーが決定した日、道重さゆみさんが今夏での活動の終了、つまり芸能界引退を発表しました。
https://ameblo.jp/sayumimichishige-blog/entry-12883060651.html
2023年に病気を公表して以来、心配な眼差しでさゆを追ってきました。インスタグラムの写真で少し痩せたように見えると勝手に心配し、いいねを押して励ましの気持ちを送信していました。
体調と闘いながら、それでもファンの前に出たいとステージに立ってきたさゆの想い。思えば昔からファン想いの人でした。
私のさゆに関する思い出で忘れられない日があります。それは初めて握手をした日です。
このブログでも記事にしていますが、それはファンクラブイベントでした。プラチナ期の頃の話です。
ライブが終わり、握手会となり、私はシャツの上に「さゆT」を着こみました。当時、娘。コンサートで着用していたもので、2006秋ツアーで買ったものでした。シンプルなデザインだったので、それを好んで愛用していたのです。
当時の現場はまださゆTを着用している人は多数派ではありませんでした。ある日のコンサート会場のロビーで、さゆTを着ている私に向かって「うさちゃんピース」なんて囃し立ててきたヲタがいたくらい、現場では少なかったのです。
握手会は全員が横一列になって行うものでした。最後尾に立っていたのがさゆでした。
私は手前のメンバーと握手をしている時からなんとなく視線を感じていました。さゆの前に向かうと、さゆは両手を広げて満面の笑みで私を迎えてくれました。このままハグされるのでは? と思ってしまったほどのパワーを感じましたよ。
私はさゆに「デビュー当時から応援しているのですが、握手をするのは今日が初めてです」と伝えました。さゆは驚いた顔で喜んでくれました。
しかし、ハロプロの全体握手は高速握手会です。会話は一往復が限界。私は後ろに立つ係員に背中を押されました。斜めに向き合う体勢になりながら、さゆは両手で手を握ってくれたままです。私は「ずっと応援しています」と告げて、その場を名残り惜しく離れました。
さゆは自分のファンを大切に思っている人です。それは長年人気メンバーであった訳ではなかったことに起因していると思います。応援してもらうことを当たり前だと思っていない。だからファンを大切にしたのです。
ブログを始めたい。事務所の人に泣きながらそう直訴したという話もありました。ファンとの交流の場を持ちたかったのです。さゆは「アイドルの中のアイドル」でした。
覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。モーニング娘。の人気が伸び悩んでいた時代、さゆは「一カ月を一万円で暮らす」というバラエティ番組の企画に挑戦しました。食べるもの飲みたいものを我慢しながら生活していく、心身ともに相当な負担がかかる企画です。
ふらふらになりながら。こんな過酷な企画に挑戦した理由をさゆは説明します。それは、モーニング娘。をアピールしたかったからだと。さゆはそう言い切ったのです。
当時、さゆはバラエティ番組に出演し、毒舌キャラを売りにしていました。その口の悪さと自己愛の強さが災いして、嫌いな女性タレントランキングなどというひどい企画によく名前が載っていた頃です。
私もそうだし、全国のさゆヲタは皆、「わかってねえな!」とメディアに向かって叫びたい気持ちでした。でも、こういった活動も、出演者名に「道重さゆみ(モーニング娘。)」と出ることで、当時、もう終わったアイドルだと世間に思われていたモーニング娘。の名をテレビを通じて届け、「モーニング娘。健在なり」をアピールするために、さゆは敢えて嫌われキャラを演じて目立つ存在になっていたのでした。
自分のイメージを守りたい。アイドルなら、女性なら、当然に思うことを捨て、さゆは愛するモーニング娘。のために嫌われ役になったのです。
そんな辛い役回りができたのも、「ファンの人はわかってくれている」とさゆが信じ続け、全国のさゆヲタも、モーニング娘。を応援する人々も、さゆの行動を支持したからでした。
そんな道重さゆみさんは遂にモーニング娘。のリーダーに就任し、グループはV字回復を遂げます。大会場で公演ができるようになり、新しいファンが増えていきました。
さゆは業界の方に人気があります。一緒に仕事をした人から絶賛の声も聞こえてきます。
さゆは昔からそういう人でした。テレビ番組「二人コト」で料理を作るコーナーに出演したさゆに、料理の先生がさゆを絶賛するブログ記事を書いたことがありました。
料理を作るにあたって爪を短くしてきた行動だったり、休憩時間に先生と談笑したさゆが、娘さんを亡くされている先生に「これからは私を娘だと思ってください」と無邪気に励ましてくれたことを先生は涙が出そうだったとブログで回想しておりました。
仕事に対して真摯な姿勢で取り組む姿は、私も何度も目撃してきました。
モーニング娘。の人気が落ちてきた頃、公演がホール主体となり、メンバーの姿を間近で観られる機会も増えたものでした。そんな頃、私はステージ上で汗だくになって髪型も崩れながら、それでも必死に踊るメンバーの姿にいつも胸を打たれていました。その人が道重さゆみさんでした。
歌やダンスが苦手だというさゆが、必死に踊っている。その真剣な姿こそがアイドルであり、モーニング娘。だったと私は思います。
そんな道重さゆみスピリッツともいうべき姿勢は、後輩メンバーにも受け継がれていきます。あの人気回復の時代を振り返ると、人気を得たいくつかの要因に思いあたります。そのひとつが、各メンバーのステージへの取り組みがまとまっていたことにあると思っています。一体感がありました。それこそが、さゆがリーダーとしてメンバーに示してきた姿が反映されたものだったのではないかと、今は思います。
たまに、「道重さゆみは神格化され過ぎでは?」という声も聞こえてきます。さゆは才能に恵まれていた人ではないし、パーフェクトなアイドルではなかったかもしれません。だからこそ努力をし、そんな背中を後輩が見て心に刻み、モーニング娘。はまとまった。そして、新しい盛り上がりを作り上げた。
さゆの引退ニュースに「モーニング娘。中興の祖」と評していたマスメディアがありました。まさにその通りだと思います。
リーダー時代の道重さゆみさんは相当頑張ったのでしょう。だから卒業後、しばらくの休養が必要だった。
今回もかなり頑張ってきて、結果、活動終了という選択をとらざるを得なかったのだと理解しています。その決断は安易なものではなく、熟考を重ねた結果に違いありません。
だからこそ、夏までの活動は悔いのないようなものであってほしいし、応援する側もそうありたいものです。
石田亜祐美さんがブログで此度の件に触れ、道重さんについてを「愛される人は愛する人」と評しました。さゆはファンやメンバーに愛されてきた人ですが、それはさゆがファンやメンバーに愛を届けてきたからなのでしょう。
そんな彼女は22年(休養期間も含む)という長い間、ずっとアイドルであり続けました。なんと尊いことでしょう。こんな人はそうそういません。神格化は決して大袈裟な扱いでも過大評価でもなく、実績がそうさせていると、私は思います。
長い間、アイドルであり続けるということがどれだけ大変なのかは、応援する側にはその全てを理解するのは難しいです。でも、ここまでアイドルとして頑張ってきた道重さゆみさんに、「ありがとう。お疲れ様。これからもずっと可愛い人でいてください」という言葉を贈りたい。それが今の気持ちです。
さゆの決断に感謝の大きな拍手を贈るとともに、さゆのこれからが幸せに満ちている日々であることを願ってやみません。
ありがとう道重さゆみさん。あなたは素晴らしいアイドルでした。素晴らしいモーニング娘。メンバーでした。引退しても、素晴らしい道重さゆみです。これからもずっと。
追伸
今回の記事タイトルは引退報告を読んだ日に頭に浮かんだものでした。凝った言葉など不要。シンプルに付けたいと思って、このタイトルを考えました。
偶然にも石田亜祐美さんのブログ記事タイトルと被ってしまいました。真似したみたいで申し訳なく、変えようかと考えましたが、やっぱりこのタイトルしかないと思い、私も石田さんと同じタイトルでブログ記事をアップさせていただきます。