アイドルの歌声というものは非常に繊細なもので、中学生くらいでデビューしたアイドルなら、リリースしてきたCDは「声の成長記録」とも言えるものです。
℃-uteの初期の曲をCDで聴いているとメンバーの歌声が高く、そしてそれが初々しさに溢れています。たとえば大きな愛でもてなして、タイムカプセルあたりは今と違う鈴木愛理ボイスが堪能出来ます。
ところが初期の曲を聴くと今は在籍していないメンバーの歌声も耳に入ってくる。℃-uteはメンバーの歌声にそれぞれ特徴あるから、その歌声もはっきり認識出来て聴く者に何かを感じさせる。
「懐かしいなあ。今元気にやってるかなあ」
「思い出して辛くなる。なぜ辞めてしまったんだ」
「誰かわからない歌声が聞こえてくる」
あなたはどれですか?
以前は、せめてシングル曲くらいは現在のメンバーで再録音したバージョンを発売してほしいと思っていました。つまりコンサートの歌割と同じバージョンです。大きな愛でもてなしての「たくさん恋出来ちゃう」とか、聴く度にいちいち色々思い出してしまう。私はハロプロを聴く時は歌っている映像も脳内で同時再生して聴いたりする事が多々あるので、この曲を聴くとめぐを思い出してしまう。歌詞が歌詞だけに。
しかし、℃-uteが最初に出したベスト盤は初期の曲もそのままで発売された。何故そうなったかの理由は色々あるだろうし、とても美しい美談を噂としても聞きました。ソースのない話なので真実かはわかりませんが、私はその噂を信じています。メンバーのお姉さん的存在として慕われていたあのメンバーならば、確かにそういう提案をしそうだなと思いながら。
今回発売される2作目となる℃-uteのベスト、昔の曲を歌い直していると知った時は動揺しました。以前は現在のメンバーで歌い直して収録してほしいと思っていた筈なのに、今回はそうしてほしくないという気持ちが強かった。
℃-uteを取り巻く環境が変化していき、今のメンバーになってからファンになった人も増えてきた。コンサート会場の雰囲気も明らかに以前とは違うものになってきた。だからこそ、現在のメンバーで初期の曲に新たな命を吹き込む必要がある。これは必然である。それは強く思う。
しかし、それは理解しているけれど、こうしてカタチを作られてしまった事で八人時代や七人時代が過去のものであり、歴史上の出来事だという現実を突き付けられ、うろたえている自分がここにいる。昔の℃-uteも℃-ute。今の℃-uteも℃-ute。それはそうであるけれど、ステージで再現出来ないものは過去のものなのであります。それは意味合いとしては解散したグループに少しだけ近い。
この新しく提示された初期曲を聴く事で懐古気分に浸る事もなく、初期曲が現在のナンバーとして新しい存在感を身につける。この事実はなんて素晴らしい事なのだろう。しかし本心の片隅では、辞めていったメンバーの存在感が薄まってしまうのが嫌なのだなとわかってもいる。七人時代にめぐの存在がそうなっていったように。
そんな余計な事を考えてしまうのは、タイトルに「神聖」なんて大げさな文字が入っているからに違いありません(苦笑)。八人時代や七人時代はどんな形容詞が似合う時代だったのだろうと振り返りながら、昔を知らないファンの人達も昔の映像などで「見知らぬ過去」を見つめてほしいと願うのでした。その願いは私にとっては、とても神聖なのであります。
℃-ute 大きな愛でもてなして(2012) 神聖なるVer.