『拓殖箱根いれこみページ』サイトからご提供いただきました、6区を走る児玉選手です。
あと、わずか10秒というところで、5区を走る須崎選手からタスキを受け取ることができず、9チームによる一斉スタート(昨年は4区で繰上げスタート)となりました。その中では、しっかりと先頭で帰ってきました。度重なる怪我で思うような練習がなかなかできてきませんでしたが、来年の駅伝まで、とにかく怪我をしないことを最大のテーマにあげ、取り組んでいきます。
あと、わずか10秒というところで、5区を走る須崎選手からタスキを受け取ることができず、9チームによる一斉スタート(昨年は4区で繰上げスタート)となりました。その中では、しっかりと先頭で帰ってきました。度重なる怪我で思うような練習がなかなかできてきませんでしたが、来年の駅伝まで、とにかく怪我をしないことを最大のテーマにあげ、取り組んでいきます。
第40回青梅マラソン優勝の時の写真です。2006年2月19日。
この時、須崎選手のコメントと記事のコメント。
須崎仁公
拓大一高
タイム
10キロ
31分15秒
2位と同タイム亜大進学後は箱根
残り100mで3選手が並走状態でゴールに向かった。「正直負けたかと思った」が胸差でレースを制した。今春から亜大に進学、青梅の次は箱根の制覇に胸を躍らせている。
※このレースの30キロの部には会沢選手(56位)もコモディイイダとして出場していました。この時、まさか一緒の会社、チームに4年後になるとは考えてもいませんでした。出会いとはわからないものですね!
この時、須崎選手のコメントと記事のコメント。
須崎仁公
拓大一高
タイム
10キロ
31分15秒
2位と同タイム亜大進学後は箱根
残り100mで3選手が並走状態でゴールに向かった。「正直負けたかと思った」が胸差でレースを制した。今春から亜大に進学、青梅の次は箱根の制覇に胸を躍らせている。
※このレースの30キロの部には会沢選手(56位)もコモディイイダとして出場していました。この時、まさか一緒の会社、チームに4年後になるとは考えてもいませんでした。出会いとはわからないものですね!
昨年に続き、今大会もドライバー・付き添い業務を手伝って頂いた、結城店の阿部店長(背の高い方)、15位という結果に心の底から喜んで頂くことができました。
※阿部店長は、高校時代はインターハイ1500m障害で3位に入賞した選手。高校を卒業し、飯田百貨店時代も28歳まで現役で走られていました。コモディイイダ結城店は、水戸線の結城駅のロータリーの中にある、大型店です。ぜひ、お買いものにも来てくださいね!
※阿部店長は、高校時代はインターハイ1500m障害で3位に入賞した選手。高校を卒業し、飯田百貨店時代も28歳まで現役で走られていました。コモディイイダ結城店は、水戸線の結城駅のロータリーの中にある、大型店です。ぜひ、お買いものにも来てくださいね!
実は前日の夜から緊張しまくりで、当日、プログラムで1区の出場者をみたら、自分よりもはるかにベスト記録の良い選手ばかり・・・。
しかし、駅伝というチーム競技の力なのか、責任感のある走りで6km以降の急激なペースアップにもしっかりついていきました。
今回の前半の良い流れのきっかけとなる先頭と19秒差で2区、福島選手にタスキリレーをしてくれた溝口選手には、今後の飛躍を期待せずにはいられません。
しかし、駅伝というチーム競技の力なのか、責任感のある走りで6km以降の急激なペースアップにもしっかりついていきました。
今回の前半の良い流れのきっかけとなる先頭と19秒差で2区、福島選手にタスキリレーをしてくれた溝口選手には、今後の飛躍を期待せずにはいられません。
東海大学時代の1学年下で、アテネオリンピック代表にもなった誇れる後輩、日清食品グループの諏訪選手との記念写真。諏訪選手を後輩と呼べるなんて、光栄です。
本当は、小森コーポレーションの高塚選手、平塚市役所の横山選手とも記念写真を撮りたかったのですが、あわただしくて、叶わなかったのが残念です。
本当は、小森コーポレーションの高塚選手、平塚市役所の横山選手とも記念写真を撮りたかったのですが、あわただしくて、叶わなかったのが残念です。
同じ職場、大山店で勤務する新入社員の4区佐久間選手から、5区須崎選手へのタスキリレー!悔し涙を流しながらの佐久間選手の力走は、まわりの者を熱くしてくれました。
この写真は、大山店の飯島店長が撮影してくれました!
この写真は、大山店の飯島店長が撮影してくれました!
上武大学の後輩、2区福島選手から、先輩、3区三浦選手へのタスキリレー。4区へのタスキリレーもプレス工業さんと同時での争いとなりました。2区の福島選手がプレス工業さんに追い付いてから、じつに、20キロ以上の並走が続きました。