第25回東日本実業団対抗女子駅伝、最下位から7年。
7年前、それは監督に就任した初年度。
西暦でいうと2014年。コモディイイダ陸上競技部は、その同日おこなわれた男子駅伝も18位となり、男女ともに繰り上げスタートの船出だった。
男子はその後もニューイヤー駅伝を目指し取り組みを継続したが、女子チームに、実業団駅伝出場は「経験」というプラスにはならず、おわったあと、選手たちからは、様々な声があった。
結果として、こんなに揉めるならもう「駅伝はでない」とし、地域のマラソン大会を主に、地域密着型スーパーの陸上競技部として活動することとした。
また、翌年からプリンセス駅伝となり、福岡までいかないと予選すら出場できないことも、出場しないひとつの理由とした。
当時は、完全フルタイム勤務、早番、中番、遅番もあるシフト制で、福岡までの連休はもちろん、確実に勝てない力で挑む予選は、経費を無駄にしてしまう。一回目の挑戦で、男女は競技結果の受け止め方のちがいが全く違うと私自身も勝手に思い込んでしまったのだ。
それから数年後、人数が駅伝を組めるだけにあつまった年もあり、他の駅伝にでたこともあったが、おわるとやはり、もめた。たとえば「私がたすきをもらった時、前は全くみえなかった」という何気ない普通の言葉でも、前走者は「もう駅伝にでない」となる。
これは監督には知り得ない、微妙な空気感のちがいを選手間で感じとっているのだろう。
わたしは、根本をみることなく、駅伝にはでないと決めていた。
根本とはなにか?
それは、全員が一つの目標にむかって、春のその年度のスタートから意識し、互いをリスペクトしあうチームワーク。
簡単な言葉ではあるが、チームワークがあれば、それをつくることから逃げなければ、もっと早く、駅伝への再戦ができ、引退していく選手を引き留められたかもしれない。
いまは、そんなことを凄く感じる。
昨年秋から、本当は既存部員から引退希望、移籍希望などがあり、女子は、一旦終えようと考えていた。
そんな中、社長を中心に、女性活躍推進の掛け声のもと、女子も駅伝に参加することがきまった。
といっても駅伝を組むだけのメンバーがいない。
そこに話しがあったのが、ユニバーサルエンターテインメントの深山監督だ。
将来の女性監督として、関野茜の推薦と移籍話をいただいたのだ。
関野茜は、高校卒業後、ホクレン、強豪高校の外部コーチ、今治造船、フリーターとして競技活動、そしてユニバーサルエンターテインメントにはいった苦労人。ユニバーサルエンターテインメントでも最後、膝をこわし、手術。一年半のブランクから当社にきた。
彼女の存在がチームをかえた!
女子駅伝はもちろん、様々なチームで様々な選手と接してきたことで、対応力も抜群だった。
そんながんばりをみていたら、このチームを出場するだけで終わらせたくないと考えるようになった。
タスキを最後までつながせたい。そんな思いから、縁あってマーガレットアキドル、そうケニア人選手の獲得につながった。
日本語があまり伝わらないが、関野のがんばりに、新人たちもこたえ、積極的に自身の休みや時間をつかい、マーガレットの様々な見の周りの世話をしてくれた、それは細部にわたる。
電車でいく買い物から、自転車の乗り方、住民票などの市役所関係、病院の引率まで。
徐々に走力もみなついてきた。タスキをつなげるという目標は、男子と同じように毎日6時間勤務という活動ができるようにするため、なんとかクイーンズ駅伝にでたい!となった!
運はあった!
今年は、昨年クイーンズ駅伝の記念大会枠が延期されたことで今年は、プリンセス駅伝上位20チームに出場権があたえられる。
冷静に考えていくと、6月、しっかり走れていたのは6名。あと三段階くらいチーム力をあげるには、きつい練習も必要だが、故障されては駅伝にでれない。
運を味方に、人事部にかけあった。「あと二人、即戦力となる選手がほしい」と。
実際、即戦力なんていない。いるとして、採用しようとすればそれは引き抜きのような形しかない。
自チームの条件で、他の強豪チームから移籍してくる選手はまずいない。
それはわかっていた。
まず、会社にあと少し、力をあげればクイーンズ駅伝への可能性があることを知ってもらうのが目的だった。
結果、合宿はコロナの関係で9月までいけなかったが、寮合宿という名のもと、仕事を練習にあてれる日を増やしてもらえた。
さらに、あと二人、選手をもとめているという話は自然とひろまった。
その中で、結婚し、主婦ランナーとして活動をしていた即戦力となる松村幸栄、ブランクは6年あるが、市民ランナーのコーチをしていた西澤果穂が入社した。
このふたりの勢いに、部内選考ができるほどチームの総合力があがった。
いよいよ、明日、福岡入する。ただの記念出場ではない。クイーンズ駅伝へいく覚悟をもっての福岡入りだ。
24日、私はこの目で7年前と今のチームの違いをみるだろう。
いくぞ!という目標をもつとチームはここまで変わることを教えてくれたチーム。
そして、このチームでクイーンズへ行けたとき、私は今年に至るまでの6年間のメンバーに謝罪したい。
可能性を見出すチャンスを会社と交渉できなかったことを。
謝罪したい!だから、いってほしいクイーンズ駅伝!