1位 土田純 30′52″52
2位 児玉雄介 31′21″80
6位 渡辺克則 31′31″92
11位 西山祐生 32′44″44
序盤はスローペースでしたが、5400mから土田選手が抜け出し、その後は一人旅となりました。児玉選手は終始第2グループで様子をうかがい、ラスト1周で3位以下を引き離しました。
渡辺選手は1キロ3′10のペース走でした。
明日は5000mがあります。引き続き、ご声援をお願いいたします。



こんばんは(●´ω`●)
味長続きガムの味が長続きしないこだまです。
※個人の感想です。
今日は、とある所に出かけたのですが電車の窓から見えた少年野球を眺めていて、僕が野球をしていた小・中学時代を思い出しました。
野球を本格的に始めたのは、小学5年生の時。地元の少年野球チームに入りました。
入ったばかりの頃は試合に出ることができませんでしたが、6年生になるとセカンドとして試合に出るようになりました。人数が少なく、たまたま空いていたポジションに入った……という記憶があります。背番号も4でしたが、くじ引きのような感じで選んモノが偶然4でした。現にサードは背番号9でした。適当でした。
試合では、守備でのスローイングにかなりの難があったものの、人数が少なかったため、交代させられることはあまりありませんでした。打撃では足の速さを活かし、サードゴロはほぼ内野安打になりました。少年野球なんてそんなもんです(´・ω・`笑)
少年野球時代は監督やヘッドコーチが怖く、試合も練習もビクビクしながらプレーしたのを覚えています。
中学でも、別に他にできることはなかったため、野球部に入りました。
初練習で上級生のレベルの高さ(……とは言っても市内大会準優勝くらい)を目の当たりにし、入部初日ながら『野球は中学までだ』と見切りをつけました(´Д`)
1年の秋で背番号12をもらいましたが、少年野球時代からのスローイングが改正されずレギュラーは取れませんでした。
2年の夏の大会では、背番号すらもらえず、親からも叱責され、実家のタンスを思いっ切り足の裏で蹴りつけてしまいました。
新チームになっても調子が上がらず、練習試合でエースの好投を台無しにする走者一掃のタイムリーエラーをしたこともありました。
それが原因で新人戦では背番号11だったものの、決勝戦で放ったタイムリーヒットのおかげで県大会ではレフトのレギュラーを奪取しました。
冬には大雪が降る中グラウンドの雪かきをし、足の指が凍傷になりかけました。世の中意味のないこともある、と学びました。
3年の春はレギュラー落ちしたものの、夏の最後の大会は背番号7を勝ち取りました。2回戦で敗退し、僕の野球は終わりました。
中学時代のエピソードとしては、前にも書いたと思いますが、
・フォアボールと勘違いして一塁に走り出したら、実はスリーボールで1、2塁のランナーをジョギングで盗塁させてしまったこと。
・バントの成功率が高かったため、スクイズをするためにピンチヒッターとして出されたこと。
・レフトゴロをやってのけたこと。その時の一塁審判のジェスチャーがえらくダイナミックだったこと。
・リリーフで登板した親友が1球だけで交替させられ、それに激怒したこだま父が『1球で何がわかるんだ!』と監督に詰め寄ったこと。
こんな感じかな。
野球は楽しかったけど、早々に見切りをつけて良かったと思っている。高校でも続けていたら(続けた可能性は0%だけど……)、この日記を書いていることはなかっただろう。
今は観戦専門だけど、それで充分。ほんの少しだけ野球を知っている、ジャイアンツファンでいいのだ。
何故今日に限って、野球をやっていた頃を思い出したのか、謎である(゜ω゜)