会津坂下町市中新町の
[生そば津軽]のお店です

お店にはこんな詩が書かれたプレートが掲示してあります

暖かい日ざしと
冷たい風と
豊かな大地が
育てた
いのちあふれる
お蕎麦です
このお店なにか津軽と関係があるんでしょうか、私は街中を散歩するときよくこのお蕎麦屋さんの前を通ります。そんなにたくさんのお客さんで賑わうお店ではなくひっそりと静かな雰囲気のお店なんです。純粋な生蕎麦屋さんてそういうものなんでしょうね。それだからでしょうかこのお店津軽が私の心を惹きつけカメラを向けさせるんです。
今蕎麦は見渡す限りの広い台地で作られ花の咲く初秋には名所になっているところが多いんです。私の町の袋原台地の蕎麦畑です。

そして蕎麦屋さんに行けば精白されたきれいな真っ白な蕎麦粉を自慢の高い蕎麦打ち技術で打った細くて美しい芸術的とさえ言えるような蕎麦をたべさせてくれます。そして食べさせてもらうほうもいろんな深い味わい方があって、それぞれの思いのクチコミで店の評判も賑わうみたいです。
ところが私のように昭和初中期の貧しい農家で育った者は「きそば」に対する考え方味わい方がちょっと違うんです。まず蕎麦は地味の肥えた畑では決して栽培されませんでした。蕎麦は3アールか4アールの山の斜面に作られた狭い焼き畑で栽培されるものでした。そして「きそば」はそれぞれの家で石臼を回してひいた黒い蕎麦粉をつかって打った太くて黒い蕎麦で「そば切り」といいました。食べれば舌にざらつき歯ごたえがありました。飼いウサギの肉など使った濃くて油濃い汁につけても蕎麦の香りは消えませんでした。わたしなどその蕎麦切を大根おろしと醤油だけの汁につけて蕎麦の香りを楽しんで腹がはちきれるまで食べました。田舎蕎麦ですね。20年前頃までは古里の家内の友人の女の人の打った田舎そばが贈られてきて楽しんでいました。そんなことで田舎蕎麦こそが本当のそば切りと思っている私はどうしても今のきれいで上品な芸術的生蕎麦にはなじめないんでいるんですよ。はは、笑ってください意固地なボケ爺いのたわごとです。