この写真は子供を撮った写真じゃありませんけど懐かしい思い出の写真ですので取上げてみました。
残雪の残る四月集落をあげての作業「肥引き(こえひき)」です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/d5/4f8849a0a9984f8abd0c5836674e594e.jpg)
写真は[写真アルバム昭和の会津]からお借りしました
当時私の住んでいた集落小川の農家の水田は一戸当たり約7反前後だったとように思います。金肥の少ない時代でしたからその水田の肥料は馬肥の堆肥が重要でした。
水田はそれぞれの農家から600mから700mくらい離れた場所にありました。そこに馬肥の堆肥を運ぶのは大変な作業だったのです。
春四月、広い水田地帯には残雪が1m近くもあり入り組んだ水田地帯は一面の雪原でした。毎年集落では寄り合って大きな橇に堆肥を積んで自分の水田に運ぶ日を決め肥引き作業をしたのです。自然と雪原には往復二筋の橇道が出来その橇道を堆肥をいっぱい積んだ橇を引く人が行き交うのです。肥引きの日は数日続きました。
苦しい作業でした。でも集落をあげての作業ですからどこかお祭りめいた雰囲気もありあました。一年の農作業初めの予祝みたいな明るさもあったのです。
苦しい労働の肥引きです。それを支えるためにそれぞれの家では「こびる」(休憩時の食事)には贅を尽くしたご馳走をつくりました。
また若者たちにとっては別な楽しみもありました。橇を引きながら意中の人と行き交い気兼ねなく声をかけ笑顔を交わしあったら肥引きの疲れなど吹き飛んで明日の肥引きが楽しみなったでしょうし、
そうです、肥引きは苦しい作業でしたけど華やかな一年の農作業始めの余祝行事でもあったんです。