とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 212 Janis Ian - At Seventeen (1976 GRAMMY Awards)

2017-08-25 22:57:43 | 日記
ジャニス・イアン。彼女は日本の歌い手と繋がりが深い。何より声に深みと渋みと涙があります。心静まる曲ですね。下の映像の司会者は「ムーン・リヴァー」のアンディ・ウィリアムスですね。すごい豪華。

Janis Ian - At Seventeen (1976 GRAMMY Awards)


ジャニス・イアン (Janis Ian, 1951年4月7日 - ) は、アメリカ・ニューヨーク州出身のシンガーソングライター。本名、ジャニス・エディ・フィンク(Janis Eddy Fink)。東欧ユダヤ系出身。

概歴

1967年、「ソサエティーズ・チャイルド」でレコードデビュー。人種差別批判を歌った衝撃的な内容とともに、未だ10代の天才少女として騒がれる。しかし、そのプレッシャーから数枚のアルバムを発表後、半ば引退状態となる。 その後、カメラマンと結婚するも離婚。
やがて、1972年にロバータ・フラックにより「ジェシー」が取り上げられたことから再び脚光を浴び、1974年にコロンビアレーベルよりアルバム『スターズ』で復帰。翌1975年にジャズと室内音楽の色濃いシングル「17才の頃」が全米キャッシュボックス誌でNo.1になる。アルバム『愛の回想録』も全米No.1になり世界的にヒット。グラミー賞も獲得し、時の人になる。とりわけ日本とヨーロッパでは絶大な人気を誇り、1976年のシングル「恋は盲目」がTBSドラマ『グッドバイ・ママ』に使われたこともあって、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1976年9月13日付から8週連続1位を獲得し、同曲の収録されたアルバム『愛の余韻』は日本の洋楽アルバムチャートで半年間に渡って首位を記録した。

さらに翌年1977年のアルバム『奇跡の街』に収録されたシングル曲「Will You Dance?」が、TBSドラマ『岸辺のアルバム』の主題歌に使われた。家庭崩壊を描いたシリアスドラマに彼女の優しい歌がよくマッチし、アルバムは日本だけで100万枚を超えるセールスを記録した。1978年には来日し、日本独自企画で2枚組ライブアルバムが作られた。

1980年には角川映画『復活の日』で「ユー・アー・ラヴ」がテーマ曲に使用され、オリジナル・サウンドトラックとしてEPレコードも発売された。しかし80年代は、2度目の結婚の失敗や金銭トラブル、病気と、災難が続いて思うように活動できず、本格的な活動再開は、1993年にリリースしたアルバム『ブレイキング・サイレンス~再会』(Breaking Silence)からとなる。他の代表曲に「フライ・トゥー・ハイ」などがある。

2003年、同性愛者であることをカミングアウト。14年間付き合っていた女性と正式に結婚して大きな話題を呼んだ。同年9月26日発売の中島みゆきコンピレーション・アルバム『中島みゆきトリビュート Yourself...Myself』(UICZ-4073)では、「地上の星」と両A面シングルCDで発表された「ヘッドライト・テールライト」を英語歌詞でカバーした。タイトルは「Headlight Taillight」。英訳歌詞もジャニス自身による。

日本の歌手・アンジェラ・アキのファンであり、彼女のインディーズアルバムとデビューシングルにコメントを寄せており、現在ではいわゆるメル友であると言う。またアンジェラ自身もジャニスの楽曲「Will You Dance?」をカバーしている。
2008年、前田美波里が出演する資生堂ELIXIR PRIORのTVCMに「Will You Dance?」が起用される。(Wikiより)


あちこち「SYOWA」 211 戦後歌謡3人娘・・・並木路子・二葉あき子・渡辺はま子

2017-08-24 23:34:24 | 日記
顔など分からないままラジオで子どもの頃聴いていました。大人になったらこんな女性に巡り合えたらうれしいと憧れていました。

戦後歌謡3人娘・・・並木路子・二葉あき子・渡辺はま子



並木路子

並木 路子(なみき みちこ、1921年(大正10年)9月30日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の歌手。本名は南郷 庸子(なんごう つねこ(旧姓:小林))。東京浅草出身、台湾育ち。
松竹歌劇団の娘役スターとして、戦前から戦中戦後と活躍。戦後の混乱期に主演した松竹映画「そよかぜ」の挿入歌として歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなり、日本の代表的歌手と評されている。「リンゴの唄」は、歌謡史のみならず日本の歴史に残る歌となった。
芸名の並木路子は、ミス・コロムビアの「並木の雨」と、歌詞に出てくる、並木の路に~の「路」に子を付けたもの。


二葉あき子

二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、日本の女性歌手。

広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元からとる。本名は加藤芳江。
広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経て、1935年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業。音楽学校在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で同校期待の増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受ける。その増永丈夫はすでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていた。

レコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコード。卒業後、地元の広島の三次高等女学校(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭をとる。教師時代も上京して学校用教材のレコードを吹込んだ。

1936年春、コロムビアの専属となる。「愛の揺り籃」が最初のレコードだった。「あの夢この夢」「月に踊る」「乙女十九[※ 1]」などで世に知られ1939年、松竹映画『春雷』の主題歌「古き花園」が大ヒットすると人気歌手としての声価を得る。この曲でブルースを歌う自信をつけ、以後多くのブルースをヒットさせるようになった。戦時中は歌手として慰問活動をする。

渡辺はま子

渡辺 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)は戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手。神奈川県横浜市出身。本名 加藤 浜子。生涯横浜で過ごした。愛称は「おはまさん」。

1933年(昭和8年)「武蔵野音楽学校」(後の武蔵野音楽大学)卒業。卒業後は、横浜高等女学校(後の横浜学園高等学校)で音楽教師をしていたが、同年にポリドールの歌手テストを受け、「最上川小唄」を吹き込むがポリドールでは結局この1曲のみで終わった。音楽学校在学中に指導を受けた徳山璉の推薦もあり、同年12月にビクターから「海鳴る空」でデビューした。
1934年(昭和9年)、日比谷公会堂で開催されるビクター歌手総出演のアトラクション「島の娘」に主演のはずであった小林千代子が突然失踪する。急遽 渡辺が代役に抜擢され、漁師の娘を演じる。以降ビクター在籍中はアトラクションに度々出演し、藤山一郎や古川ロッパらの相手役を務めている。

同年のJ.Oスタヂオ映画「百万人の合唱」に出演するために勤務先の横浜高女を休んだことが問題になり、保護者らが学校に抗議。これが新聞沙汰となる。1935年(昭和10年)の秋には教職を辞し、渡辺はビクターの流行歌手に専念することとなる。同年、夏川静枝の朗読によるハンセン病患者に取材した放送劇「小島の春」のラジオ主題歌「ひとり静」を歌い、初のヒット曲となる。この曲をきっかけに、渡辺は終生を通じ、ハンセン病患者の病院の慰問を続けた。特に岡山愛生園では、療養所歌として今も愛唱されている。(Wikiより)






あちこち「SYOWA」 210 涙の太陽 安西マリア

2017-08-21 00:11:04 | 日記
意外と忘れられている人ですね。おおっ、いたいた!! という感じの美人です。映画ではどうだったか思い出せません。しかし、かなりいけてるのでは・・・。


涙の太陽 安西マリア


再度共有のリンクを。

涙の太陽 安西マリア


安西 マリア(あんざい マリア、1953年12月16日 - 2014年3月15日)は、日本の歌手、女優。東京都出身。本名、柴崎 麻利子。身長158cm、B85、W57、H85。血液型A型。趣味は映画鑑賞、ゴルフ、ネイルアート、特技は英語。死亡時点での所属事務所は10-POINTだった。

来歴・人物

ドイツ人とのクォーター(祖父がドイツ人)。都内の高校を卒業後、銀座のクラブ「徳大寺」で働いているところをスカウトされる。

1973年、“チョコレート・マリア”のキャッチフレーズで、『涙の太陽』(エミー・ジャクソンのカバー曲)で歌手デビュー。レコードを50万枚以上を売り上げるヒット曲になった。昭和48年度・第15回日本レコード大賞新人賞受賞。その年の新人賞は他に桜田淳子(最優秀新人賞を獲得)、あべ静江、アグネス・チャン、浅田美代子の合計5人(全員女性歌手だった)。デビュー当時は、映画『仁義なき戦い』の登場人物のモデルにもなった竹野博士が社長を務める芸能事務所に所属していた。

テレビ、映画などで活躍し人気を得るが、1978年、事務所とのトラブルが発生し裁判沙汰になり、同年引退。ハワイへ移住した。1983年にデビュー当時のマネージャーと結婚。一男をもうけるが、後に離婚。2000年頃に芸能界に復帰。ジュエリーの発表や、ライヴショーなどの活動を行っていた。2013年にテレビ番組で、うつ病を発症していたことを告白した。

2014年3月8日午後に所属事務所より、詳細な病状がFAXで報道各社に報告された。2月20日に自宅で異常を訴えて救急搬送され、搬送直後に急性心筋梗塞と診断された。3月8日の所属事務所からのFAXの時点で自力呼吸は出来る状態であるとされていた。3月8日午前のスポーツニッポンの報道で、約1時間にわたって心臓が停止。蘇生したが脳死状態に移行したことが報じられた。

同年3月15日夜に都内の病院で急性心筋梗塞で逝去、死亡の事実は翌16日に所属事務所より発表された。60歳没。その早過ぎる突然の死に、安西と同じく1973年末の日本レコード大賞・新人賞を獲得したアグネス・チャンとあべ静江は共に大きなショックを受け、各自身のブログで哀別のコメントを発表していた。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 209  忘れられた日活アクションスター:和田浩治

2017-08-18 15:26:53 | 日記
日活の新しい顔としてブレイクした裕次郎似の和田浩二。私は非常に期待していました。今、どうしているのでしょうか。もう一度登場してほしいです。昔のままで・・・。

忘れられた日活アクションスター:和田浩治




和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986年7月6日)は、昭和中期から後期(1960年代 - 1980年代前半)の日本の俳優。本名、和田 愷夫。ホリプロに所属していた。

来歴・人物

茨城県水戸市に、ジャズピアニスト・和田肇 の次男として生まれる。東洋音楽学校声楽科在学中の1959年、当時人気の石原裕次郎に似ていることからスカウトされ、日活に入社し、同年の『無言の乱斗』に主演し、映画デビューする。

翌1960年から、石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)とともに「ダイヤモンドライン」を結成し(やんちゃガイ)と称された、「愚連隊シリーズ」や「小僧シリーズ」に次々と主演する。ダイヤモンドラインの中では一番若く、特に奇想天外な設定のアクション映画が多かった。多くの作品で清水まゆみと共演、名コンビと称される。しかし、年を経るにしたがって、他の主演級と比べ特徴を売り出すことが出来ず、徐々に脇役に回ることが多くなった。

1971年からはフリーになり、千葉真一主演『殺人拳シリーズ』の第三作『逆襲! 殺人拳』で沖縄武術の達人である敵役に扮するなど、他社映画に出演。テレビ時代劇では1978年から『大岡越前』第5部に同心・風間駿介役で登場。血気盛んな好漢の同心役は好評で、第9部(1985年〜1986年)まで出演し、代表作になった。風間を主人公としたスピンオフ作品『疾風同心』『八丁堀暴れ軍団』も制作された。

私生活では。1971年に梓みちよと結婚したが翌1972年にスピード離婚[注釈 1]、クラブ経営者・田村順子との再婚も話題になった。いずれの妻との間にも子はいない。

1985年の夏頃に、胃の不調を訴え緊急入院。一時退院し活動を再開したものの、翌1986年春頃に再入院。1986年7月6日、愛妻に看取られ胃癌のため42歳の若さで死去。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 208 風の谷のナウシカ - 安田成美

2017-08-16 22:59:15 | 日記
これは大変珍しい映像です。アニメの舞台裏の秘密を見るような感じで、緊迫感を感じます。・・・あっ、これはHEISEIかな。

風の谷のナウシカ - 安田成美



『風の谷のナウシカ』(かぜのたにのナウシカ)は、宮崎駿による日本の漫画作品。アニメーション監督・演出家でもある宮崎が、徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』誌上にて発表したSF・ファンタジー作品。戦争による科学文明の崩壊後、異形の生態系に覆われた終末世界を舞台に、人と自然の歩むべき道を求める少女ナウシカの姿を描く。1984年には宮崎自身の監督による劇場版アニメ『風の谷のナウシカ』が公開された。
『アニメージュ』1982年2月号にて連載を開始し、映画制作などのため4度の中断期間を挟み、1994年3月号にて完結した。1994年に第23回日本漫画家協会賞大賞、1995年、第26回星雲賞コミック部門を受賞。単行本の発行部数は累計1,200万部。海外でも8か国語で翻訳・出版されている。


あらすじ

「風の谷のナウシカの登場人物」も参照

文明を崩壊させた「火の7日間」という最終戦争から1000年、汚染された大地に異形の生態系である、巨大な菌類の森「腐海」や、腐海を守る「蟲」と呼ばれる巨大昆虫たちが出現。テリトリーを拡げていく腐海の瘴気の放つ毒に衰退した人類が怯える、荒廃した世界が描かれている。この世界に存在する、トルメキアと土鬼(ドルク)という敵対する二大列強国と、その辺境地にあるトルメキアの同盟国「風の谷」および、工業都市ペジテ市が主な舞台となっている。風の谷の族長であるジルは腐海の毒に侵されて病床にあり、父・ジルの代理で国を治める娘の「ナウシカ」が主人公である。

ある日、ペジテからの避難民を乗せた輸送船が風の谷の近くに墜落する。輸送船に搭乗していた瀕死のペジテ王女ラステルは、救援に駆け付けたナウシカにとある石を託し、兄に渡してほしいと懇願して事切れる。その石は、終末戦争で使われた生物兵器巨神兵を起動させる鍵となる「秘石」であった。翌日、巨神兵を得ようとペジテを滅ぼしたトルメキア王女クシャナが、秘石の捜索のために風の谷に飛来。検疫を受けないままの強行着陸をとがめたナウシカはクシャナの部下と一騎討ちを演じるが、ナウシカの師匠でもある旅の戦士ユパの仲裁で停戦し、クシャナ達は谷を去る。やがてトルメキアと土鬼の間に戦争が勃発すると、同盟条約を盾にトルメキアは辺境諸国に従軍を強いる。ナウシカは族長代理として、数名の従者とともにクシャナ支隊へ合流する。

土鬼の地へ向けて南下するクシャナ支隊の空中艦隊を、ラステルの兄アスベルのガンシップが単機で奇襲し、多大な損害を与えるもトルメキア軍に撃ち落される。乱戦の中で風の谷の無動力輸送船は、戦列を離れて腐海に不時着する。輸送船を回収するために降下したナウシカは、同じく腐海に墜落して蟲に追われるアスベルを救出したものの、蟲との接触事故を起こしてマスクが外れたまま腐海の下層部に迷い込む。ナウシカはそこで、腐海下層部の大気が清浄であることを発見する。そして、自身が城の地下で地下水だけで栽培している無害な腐海植物との共通点を見出し、腐海は汚染された世界を浄化する目的で存在しているという仕組みに気づく。

劣勢の土鬼軍は、腐海の植物を生物実験する過程で突然変異により生まれた強力な粘菌を生物兵器として使用した。この粘菌の出す毒は瘴気マスクでは浄化できず、蟲を死に至らせるほど強力であり、土鬼はトルメキア軍を撃退することに成功した。しかし、粘菌は各所で突如暴走し始め、事態は収拾不能になる。かねてからこの粘菌の存在を察知していた蟲たちは、暴走した粘菌に向かって大量に集結した。蟲たちが粘菌に自らを吸収させることで粘菌はやがて無毒化され、暴走は収束していく。大量の蟲が移動する現象は物語中で大海嘯とよばれており、移動する虫から放たれた腐海の胞子が蟲の死骸を介して広がり、腐海の領域をより拡大してしまう。結果、土鬼の主要な国土はほとんど滅亡するに至った。

大海嘯を前に奔走するナウシカは、土鬼の地を探索するうちに、「森の人」と呼ばれる種族に出会う。彼らとの関わりの中で、巨神兵や腐海の植物や蟲たちが旧世界で開発された人工生命であること、その目的は腐海システムによる環境再生であることが判明する。腐海システムは、世界を完全に浄化したあと、火の七日間によって絶滅に瀕した動植物や、闘争本能を去勢改造した新人類を復活させ、地上に再繁栄させることを目的としているのだった。ナウシカは、現在の人類は腐海に「軽度に汚染」された環境下で生存できるよう旧文明人類に改造を加えられた人工種であって、浄化の完了した清浄すぎる世界では生存できないという事実を知る。土鬼軍がトルメキア軍から奪取していた巨神兵と遭遇したナウシカは、これを秘石によって起動させる。巨神兵は人格を持っており、ナウシカは母性を象徴する存在として巨神兵をオーマと名づける。

土鬼帝国の首都シュワにある「墓所」と呼ばれる施設は、内部に旧文明の技術を保存しており、土鬼の皇帝たちに旧文明のテクノロジーを与えることで世界を動かしていた。腐海の生態系と旧世界についての上述のような関係を知ったナウシカは「墓所」に向かう。「墓所」はそれ自体が意識を持つ人工生命体でもあり、その人格である「墓の主」は、浄化が終わった後の戦争のない理想郷について語り、ナウシカたち改造種の人類も長年の再調整プロセスによって生存し続ける計画になっているとナウシカに告げる。しかしナウシカはその清浄のみを追求し一切の汚濁を認めない旧文明側の計画内容に反発、これを否定し、「墓の主」をオーマに握り潰させて殺し、「墓所」は新人類の卵や旧文明を研究する博士らを内部に収めたまま倒壊した。それが、作られた計画よりも自然と共に生きるナウシカの選択であった。オーマはこのとき絶命、ナウシカは生存する。(Wikiより)