誰も撮らない風景
私の写真の腕はたいしたことはない。ただ長い間撮り続けていただけである。怠け怠けして。だから一向に旨くならない。
いや、ここでそんな言い訳をするのではない。撮りつづける私の風景は、誰も撮らないだろうと思われる風景である。上の写真もそんな風景で、宍道湖の西岸に流れ込む農業用水の水路である。葦のような枯れ草に覆われた水路は水を満々と湛えていて、澄んでいる。私はこういう風景に出会うと、もうたまらないほどジンときて、立て続けにシャッターを切る。
恐らく宍道湖を西側から撮る者は少ないと思われる。亡くなった弟は西岸から朝日を撮り続けた。しかし、私は怠け者で、早起きが大の苦手である。だから、宍道湖にカメラを向けるのはいつも昼である。
この写真は随分前のものなので、今こういうところが残っているかどうか分からない。でも、いつまでも私の心に焼き付いている。近く出かけようと思うが、もしなくなっていたら、がっかりするだろう。
いつまでも残したい風景。それを発見するために私はまた宍道湖に出かける。そうしているうちに私は、……。
私の写真の腕はたいしたことはない。ただ長い間撮り続けていただけである。怠け怠けして。だから一向に旨くならない。
いや、ここでそんな言い訳をするのではない。撮りつづける私の風景は、誰も撮らないだろうと思われる風景である。上の写真もそんな風景で、宍道湖の西岸に流れ込む農業用水の水路である。葦のような枯れ草に覆われた水路は水を満々と湛えていて、澄んでいる。私はこういう風景に出会うと、もうたまらないほどジンときて、立て続けにシャッターを切る。
恐らく宍道湖を西側から撮る者は少ないと思われる。亡くなった弟は西岸から朝日を撮り続けた。しかし、私は怠け者で、早起きが大の苦手である。だから、宍道湖にカメラを向けるのはいつも昼である。
この写真は随分前のものなので、今こういうところが残っているかどうか分からない。でも、いつまでも私の心に焼き付いている。近く出かけようと思うが、もしなくなっていたら、がっかりするだろう。
いつまでも残したい風景。それを発見するために私はまた宍道湖に出かける。そうしているうちに私は、……。