暗闇の中で・・・。
ジャン オーギュスト ドミニク・アングル「シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク」(1851-54年 ルーヴル美術館蔵)
長い間、私はまた暗闇の中に閉じ込められていました。今までと違う点は、そこから出ようともがかなくなったことです。自然になされるまま私は身を委ねていました。時間の感覚はなく、夢を見ているような気持ちでした。妻はその間見守ってくれました。妻がそばにいるという感覚が不思議と伝わってきました。医者? 佐山先生の声がしたような気がしますが、それは一時的な記憶にすぎません。恐らく佐山先生も、またか、と思われたに違いありません。長柄さんや園田も来てくれたようです。・・・でも、私は、妻との出会いの昔を先ず闇の中で思い出していました。不思議なことです。今まであまり振り返らなかった私と妻の思い出です。
私は学生時代福岡県の八幡で家庭教師のアルバイトをしていました。送金額を補うためです。二人の中学生に英語を教えていました。お恥ずかしい話ですが、私はあまり英語は得意ではありませんでした。まあ、中学程度の英語ならと空元気を出してそれぞれ週一で通っていました。その中に八幡製鉄関連会社の社長の家の中三の男の子がいました。そこの家ではいつも和服姿の姉がお茶を出してくれました。いや、そうなんです。いつも藍染めの和服を来ていました。小柄で整った顔立ちをしていました。私は前半の一時間が終わるのが楽しみでした。お茶が出るからです。障子を開けて入り、休憩してください、どうぞ。ただそう言って私をちらと見て、そして、すぐ出て行くのです。私は、あっ、いつもすみません、と言うだけでそれ以上の話はしたことがありませんでした。しかし、ある日、なかなか出ようとしないのです。なんだかもじもじしているような、なにか言いたそうな感じでした。そして、決意したようなきりっとした顔立ちになり、先生は、お幾つですか、と意外な質問をしました。二十一ですが・・・、と即座に答えると、ええっ、そうですか、安心しました、と言いました。
安心した・・・、と仰いましたね、確かに。
そうです。
ど、どいうことでしょう。
いや、ちょっと聞いてみただけです。
私は、それ以来、姉を強く意識するようになりました。一度二人で話をしてみたい。私は行くたびにチャンスをうかがっていました。お茶の時間が以前より一層待ち遠しくなりました。そしてある日思い切って言いました。そばに中学の弟がいることをその時は忘れていました。今度の日曜日私と会っていただけませんか。彼女は素直に、ええ、いいですよ、と返事しました。そして、日曜日、指定した喫茶店に彼女は姿を現しました。その日はワンピース姿でした。コーヒーを注文しておいて、私はすぐさま尋ねました。
安心、という・・・、ああ、ごめんなさい、そのー・・・、この前の言葉ですが、どういうことでしょうか。
ああ、私こそごめんなさい。
いや、どういたしまして。で・・・。
妹です。
えっ、妹さんがいらっしゃる?
そうです。
それで・・・。
ああ、ごめんなさい。・・・実は今一緒に来ています。・・・彼女は遠くの席の女性を手招きしました。近づいてきたので、私はどきどきしながらその容姿を見つめました。姉より背が高く、顔がほっそりしていて、水色の上下の服が輝いていました。
ここに座っててちょうだい。・・・姉に言われるままハンドバッグを膝に置いてそれを押さえながら妹は座りました。
畝本さん、この妹がですね・・・、貴方とお付き合いしたいと・・・。・・・妹は少しも表情を変えませんでした。
えっ、私と、ですか。
ええ、そうです。貴方とは二つ年下です。
じゃ、私の歳を聞いたのは・・・。
ごめんなさい。回りくどいことをしてしまって・・・。
私は正直その時混乱していました。即座に返事などできませんでした。しかし、ご縁と言うものは不思議なものです。後、その人が私の妻になりました。・・・と、そういう回想を闇の中でし続けていました。それから、急に場面が変わり、一筋の光が差してきました。その光の中に大きな影が現れました。影は、一言、今に西から勇者が現れる、と呟きました。
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ジャン オーギュスト ドミニク・アングル「シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク」(1851-54年 ルーヴル美術館蔵)
長い間、私はまた暗闇の中に閉じ込められていました。今までと違う点は、そこから出ようともがかなくなったことです。自然になされるまま私は身を委ねていました。時間の感覚はなく、夢を見ているような気持ちでした。妻はその間見守ってくれました。妻がそばにいるという感覚が不思議と伝わってきました。医者? 佐山先生の声がしたような気がしますが、それは一時的な記憶にすぎません。恐らく佐山先生も、またか、と思われたに違いありません。長柄さんや園田も来てくれたようです。・・・でも、私は、妻との出会いの昔を先ず闇の中で思い出していました。不思議なことです。今まであまり振り返らなかった私と妻の思い出です。
私は学生時代福岡県の八幡で家庭教師のアルバイトをしていました。送金額を補うためです。二人の中学生に英語を教えていました。お恥ずかしい話ですが、私はあまり英語は得意ではありませんでした。まあ、中学程度の英語ならと空元気を出してそれぞれ週一で通っていました。その中に八幡製鉄関連会社の社長の家の中三の男の子がいました。そこの家ではいつも和服姿の姉がお茶を出してくれました。いや、そうなんです。いつも藍染めの和服を来ていました。小柄で整った顔立ちをしていました。私は前半の一時間が終わるのが楽しみでした。お茶が出るからです。障子を開けて入り、休憩してください、どうぞ。ただそう言って私をちらと見て、そして、すぐ出て行くのです。私は、あっ、いつもすみません、と言うだけでそれ以上の話はしたことがありませんでした。しかし、ある日、なかなか出ようとしないのです。なんだかもじもじしているような、なにか言いたそうな感じでした。そして、決意したようなきりっとした顔立ちになり、先生は、お幾つですか、と意外な質問をしました。二十一ですが・・・、と即座に答えると、ええっ、そうですか、安心しました、と言いました。
安心した・・・、と仰いましたね、確かに。
そうです。
ど、どいうことでしょう。
いや、ちょっと聞いてみただけです。
私は、それ以来、姉を強く意識するようになりました。一度二人で話をしてみたい。私は行くたびにチャンスをうかがっていました。お茶の時間が以前より一層待ち遠しくなりました。そしてある日思い切って言いました。そばに中学の弟がいることをその時は忘れていました。今度の日曜日私と会っていただけませんか。彼女は素直に、ええ、いいですよ、と返事しました。そして、日曜日、指定した喫茶店に彼女は姿を現しました。その日はワンピース姿でした。コーヒーを注文しておいて、私はすぐさま尋ねました。
安心、という・・・、ああ、ごめんなさい、そのー・・・、この前の言葉ですが、どういうことでしょうか。
ああ、私こそごめんなさい。
いや、どういたしまして。で・・・。
妹です。
えっ、妹さんがいらっしゃる?
そうです。
それで・・・。
ああ、ごめんなさい。・・・実は今一緒に来ています。・・・彼女は遠くの席の女性を手招きしました。近づいてきたので、私はどきどきしながらその容姿を見つめました。姉より背が高く、顔がほっそりしていて、水色の上下の服が輝いていました。
ここに座っててちょうだい。・・・姉に言われるままハンドバッグを膝に置いてそれを押さえながら妹は座りました。
畝本さん、この妹がですね・・・、貴方とお付き合いしたいと・・・。・・・妹は少しも表情を変えませんでした。
えっ、私と、ですか。
ええ、そうです。貴方とは二つ年下です。
じゃ、私の歳を聞いたのは・・・。
ごめんなさい。回りくどいことをしてしまって・・・。
私は正直その時混乱していました。即座に返事などできませんでした。しかし、ご縁と言うものは不思議なものです。後、その人が私の妻になりました。・・・と、そういう回想を闇の中でし続けていました。それから、急に場面が変わり、一筋の光が差してきました。その光の中に大きな影が現れました。影は、一言、今に西から勇者が現れる、と呟きました。
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