日本の少女
ゴッホ Vincent van Gogh(1853-90) オランダの後期印象派
「ラ・ムスメ」(1888年) <ワシントン・ナショナル・ギャラリー>
日本の女性を描いた画家は他にもいるが、私はこの絵に親しみを感じる。服装とか顔立ちはどこそこ外国人を感じさせる点もあるが、トータルに見ると、やはり日本人である。浮世絵を模写した作品もあるところから相当の日本通であったようだ。東洋的なものに憧れていたのである。
ミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家だったという。宗教的な主題を直接描くのではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからである。また、1886年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居したが、初めてそこでモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌した。1888年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていったという。そういう時期の作品である。
えっ! 学芸員?
そうです。言い忘れていました。・・・長柄さんである。いつものように突然電話してきたのである。
学芸員を・・・。それで、資格をとったのですか。
大学は芸大で、油彩を勉強していたとか聞いています。しかし、とったかどうかよく分かりませんね。
油絵を・・・、道理でたくさんの画集を持っていたわけだ。
そうですね。娘さん相当の情熱を持っていました。
知らせてくれてありがとうございます。・・・しかしですね、貴方が娘さんと呼ぶのはおかしいですよ。名前を教えてください。あわせて両親の名前も。
こりゃ失礼しました。えー、娘は京子、父は昌三、母は綾子です。
それから、上の名前は・・・。
菅田です。
そうですか。菅田京子さんですね。
そうです。
で、この前のアトリエの件、何か名案でもありますか。私は叱られはしないのか気がかりなんですけど、・・・。
怒ってもいいじゃないですか。あんなにいい家を空けておくのはもったいない。・・・いやね、京子さん学芸員の道を志していたのですから・・・、代わりに私たちか真似ごとでもしてやれば、・・・。
それでですね。ご両親はそのこと、いや、アトリエじゃなくて学芸員になることを、・・・どう思っていたのですか。
ああ、そのことですか、私はそのことについてはいろいろと聞いてました。
どんなことですか。
うーん、言いづらいのですが、ある画家が関わっているんですね。
その画家、男でしょ。
そうです。
・・・私はまた知ってはならない世界に足を踏み入れたと思った。とまれ、あそこへ年末の煤払いに行こう。私は身支度した。
ゴッホ Vincent van Gogh(1853-90) オランダの後期印象派
「ラ・ムスメ」(1888年) <ワシントン・ナショナル・ギャラリー>
日本の女性を描いた画家は他にもいるが、私はこの絵に親しみを感じる。服装とか顔立ちはどこそこ外国人を感じさせる点もあるが、トータルに見ると、やはり日本人である。浮世絵を模写した作品もあるところから相当の日本通であったようだ。東洋的なものに憧れていたのである。
ミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家だったという。宗教的な主題を直接描くのではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからである。また、1886年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居したが、初めてそこでモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌した。1888年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていったという。そういう時期の作品である。
えっ! 学芸員?
そうです。言い忘れていました。・・・長柄さんである。いつものように突然電話してきたのである。
学芸員を・・・。それで、資格をとったのですか。
大学は芸大で、油彩を勉強していたとか聞いています。しかし、とったかどうかよく分かりませんね。
油絵を・・・、道理でたくさんの画集を持っていたわけだ。
そうですね。娘さん相当の情熱を持っていました。
知らせてくれてありがとうございます。・・・しかしですね、貴方が娘さんと呼ぶのはおかしいですよ。名前を教えてください。あわせて両親の名前も。
こりゃ失礼しました。えー、娘は京子、父は昌三、母は綾子です。
それから、上の名前は・・・。
菅田です。
そうですか。菅田京子さんですね。
そうです。
で、この前のアトリエの件、何か名案でもありますか。私は叱られはしないのか気がかりなんですけど、・・・。
怒ってもいいじゃないですか。あんなにいい家を空けておくのはもったいない。・・・いやね、京子さん学芸員の道を志していたのですから・・・、代わりに私たちか真似ごとでもしてやれば、・・・。
それでですね。ご両親はそのこと、いや、アトリエじゃなくて学芸員になることを、・・・どう思っていたのですか。
ああ、そのことですか、私はそのことについてはいろいろと聞いてました。
どんなことですか。
うーん、言いづらいのですが、ある画家が関わっているんですね。
その画家、男でしょ。
そうです。
・・・私はまた知ってはならない世界に足を踏み入れたと思った。とまれ、あそこへ年末の煤払いに行こう。私は身支度した。