当日の私
「母と子」(1900年 シカゴ美術研究所蔵) メアリー・カサット (1845年-1926年 アメリカ 印象派)
フランス印象派の画家たちの中で活躍したアメリカ人女性画家。パリでドガを知って、印象派に参加。アメリカに印象派を広めることに貢献した。私はこの画家がたくさん描いている母子像に強い関心を持っている。特に授乳している母親の姿を描いた作品は私に強烈なインパクトを与えた。この画家の絵にはすべて温かい家庭の雰囲気が漂っている。
銀座のルネサンス画廊。二人展が開かれている画廊です。私は、また、そこへ、島根の田舎から出てきました。私は主催者でもないし、展示スタッフでもないので、一人の客として少しの間そこに立ってずらりと並んだ二人の作品を見ていました。そして、出入りする見知らぬお客たちも見ていました。全く落ち着きませんでした。ただ、ときどき顔見知りの人が姿を現して私に声をかけてくれることが私を落ち着かせました。古泉堂さんも来ていました。私が案内状を出した人は予想通り一人も来ていませんでた。京子さんと佐山さんは胸に花をつけて忙しくさまざまなお客の応対をしていました。不思議なほどたくさんのお客が詰めかけました。このことは大成功の証左と言っていいと思います。古賀画伯はときどき私の傍に来て、主だったお客の説明をしてくれました。ありがたいと思いました。
畝本さん、冴子さんが来ました。そう言いながら古賀画伯が指差す方向を見ると、車いすを押しながら入ってきた人がいました。初めて見る二人のその姿に私は緊張しながら京子さんの表情を注視していました。すると、京子さんは走ってその車いすに近づいて、丁寧に頭を下げていました。佐山さんも傍まで行って、これもまた丁寧に頭をさげていました。
お父さんも来てくれましたね。古賀さんはそう私に小声でいいました。
ほんとに、よかったです。
畝本さん、いい雰囲気じゃないですか。
そうですね。
心の中はどうか分かりません。でも、貴方が心配してた場面は回避できそうですね。
ええ、余計な心配でした。
こんなに来てくれるとは思いませんでした。恐らく長洲さんが手を尽くしたのではと思います。客筋を見ていますと、絵の関係者が多いようです。画廊関係、画家仲間、大学の関係者とか友達、それにマスコミも来ているようです。・・・さすが長洲さんだ、ぬかりがない。
冴子さんも相当動いているんじゃないかと思いますが・・・。
そうだろうと思います。人脈がすごいですからね。
で、この展示会は全体としてペイするでしょうか。
ははっ、畝本さん、私には分かりません。でも、見てください、作品にポツリポツリと花が付いています。少しずつですが売れているようです。
ああ、そうですね。よかった、よかった。
えっ! 古賀さんは顔色を変えました。古賀さんが見ている入口からまた車いすに乗った人が入ってきました。白髪頭の上品な顔立ちのお方でした。
独立展の審査委員長です。
えっ、委員長さんですか。私がそう言い終わらないうちに古賀さんは入口の方へ駆けていきました。遠くから見ていると、古賀さんは何度も頭を下げて、随分と気を使っているようでした。それから古賀さんは二人を手招きして呼びました。二人は緊張した表情で駆けていきました。
すごい! これはどうなっているんだ。思わず私は呟きました。・・・もう帰ろう。私には縁のない世界だ。私は少しも関わることのできない世界が次々に展開するのでどっと疲れが出てきました。
そうだ、長柄さんは来たのだろうか。それからお母さんの姿も見なかったが・・・。
後日、古賀画伯に電話して聞きましたところ、長柄さんは私と入れ違いに来たそうですが、お母さんはとうとう来なかったそうです。
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「母と子」(1900年 シカゴ美術研究所蔵) メアリー・カサット (1845年-1926年 アメリカ 印象派)
フランス印象派の画家たちの中で活躍したアメリカ人女性画家。パリでドガを知って、印象派に参加。アメリカに印象派を広めることに貢献した。私はこの画家がたくさん描いている母子像に強い関心を持っている。特に授乳している母親の姿を描いた作品は私に強烈なインパクトを与えた。この画家の絵にはすべて温かい家庭の雰囲気が漂っている。
銀座のルネサンス画廊。二人展が開かれている画廊です。私は、また、そこへ、島根の田舎から出てきました。私は主催者でもないし、展示スタッフでもないので、一人の客として少しの間そこに立ってずらりと並んだ二人の作品を見ていました。そして、出入りする見知らぬお客たちも見ていました。全く落ち着きませんでした。ただ、ときどき顔見知りの人が姿を現して私に声をかけてくれることが私を落ち着かせました。古泉堂さんも来ていました。私が案内状を出した人は予想通り一人も来ていませんでた。京子さんと佐山さんは胸に花をつけて忙しくさまざまなお客の応対をしていました。不思議なほどたくさんのお客が詰めかけました。このことは大成功の証左と言っていいと思います。古賀画伯はときどき私の傍に来て、主だったお客の説明をしてくれました。ありがたいと思いました。
畝本さん、冴子さんが来ました。そう言いながら古賀画伯が指差す方向を見ると、車いすを押しながら入ってきた人がいました。初めて見る二人のその姿に私は緊張しながら京子さんの表情を注視していました。すると、京子さんは走ってその車いすに近づいて、丁寧に頭を下げていました。佐山さんも傍まで行って、これもまた丁寧に頭をさげていました。
お父さんも来てくれましたね。古賀さんはそう私に小声でいいました。
ほんとに、よかったです。
畝本さん、いい雰囲気じゃないですか。
そうですね。
心の中はどうか分かりません。でも、貴方が心配してた場面は回避できそうですね。
ええ、余計な心配でした。
こんなに来てくれるとは思いませんでした。恐らく長洲さんが手を尽くしたのではと思います。客筋を見ていますと、絵の関係者が多いようです。画廊関係、画家仲間、大学の関係者とか友達、それにマスコミも来ているようです。・・・さすが長洲さんだ、ぬかりがない。
冴子さんも相当動いているんじゃないかと思いますが・・・。
そうだろうと思います。人脈がすごいですからね。
で、この展示会は全体としてペイするでしょうか。
ははっ、畝本さん、私には分かりません。でも、見てください、作品にポツリポツリと花が付いています。少しずつですが売れているようです。
ああ、そうですね。よかった、よかった。
えっ! 古賀さんは顔色を変えました。古賀さんが見ている入口からまた車いすに乗った人が入ってきました。白髪頭の上品な顔立ちのお方でした。
独立展の審査委員長です。
えっ、委員長さんですか。私がそう言い終わらないうちに古賀さんは入口の方へ駆けていきました。遠くから見ていると、古賀さんは何度も頭を下げて、随分と気を使っているようでした。それから古賀さんは二人を手招きして呼びました。二人は緊張した表情で駆けていきました。
すごい! これはどうなっているんだ。思わず私は呟きました。・・・もう帰ろう。私には縁のない世界だ。私は少しも関わることのできない世界が次々に展開するのでどっと疲れが出てきました。
そうだ、長柄さんは来たのだろうか。それからお母さんの姿も見なかったが・・・。
後日、古賀画伯に電話して聞きましたところ、長柄さんは私と入れ違いに来たそうですが、お母さんはとうとう来なかったそうです。
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