とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」734 France Gall - Poupée de cire, poupée de son (1965) Stéréo HQ

2022-03-19 16:35:32 | 日記
私は、この歌を探していました。名前とタイトルが思い出せないもどかしさ。たまたま出てきて感激。私の学生時代のアイドルでした。もう何歳? いや、ここに年を取らない姿が現れました。ありがたいです。当時はラジオで聞いていたから、映画で顔を見ました。かわいい。この姿は今でも鮮明に覚えています。

France Gall - Poupée de cire, poupée de son (1965) Stéréo HQ



フランス・ギャル(France Gall, 本名:イザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャル(Isabelle Geneviève Marie Anne Gall)、1947年10月9日 - 2018年1月7日)はフランスの歌手である。初期の代表曲には「夢見るシャンソン人形」(この曲で第10回ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝)がある。

概要

フランス・ギャルは、1947年にフランスのパリ12区で生まれた。父は作詞家のロベール・ギャル。母はセシル・ベルティエ(パリ木の十字架少年合唱団の共同設立者として知られるポール・ベルティエの娘)。1963年に、フィリップスより「Ne Sois Pas Si Bête(恋のお返し)」でデビュー。

1964年には、「フランスにおける学校の創始者」とされるシャルルマーニュ(カール大帝)に対して学校で勉強することに関する不満を歌う「Sacré Charlemagne(シャルマーニュ大王)」(作詞は父親のロベール・ギャル)が大ヒットした。

1965年にイタリアで行われた第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセンブルク代表として出場し、父親の知人であったセルジュ・ゲンスブール提供の「Poupée de cire, Poupée de son(夢見るシャンソン人形)」を歌い優勝した。同曲は日本語盤も発売され、1966年6月に来日公演。

60年代後半には、ドイツ語、イタリア語、スペイン語バージョンの曲も吹き込み、また、1967年から1972年まではドイツのDECCAとも契約して、ドイツ語オリジナル曲を数多く発売した。

1968年にフィリップスを離れ、La Compagnie、Atlantic、Pathe - EMI Music France、Atlantic=WEA、と移籍を繰り返した。1970年代に入り作曲家のミッシェル・ベルジェ(英語版、フランス語版)と知り合い、彼のプロデュースのもと本格的な歌手として再スタートを切り絶大な支持を得る。1976年にベルジェと結婚。その後長女・ポーリーヌ (1978年11月14日 - 1997年12月18日)と長男ラファエル(英語版、フランス語版)(1981年4月2日 - )の2児を授かった。

1985年、日本においてホンダが同社の製品のバラード・スポーツCR-X SiのテレビCMのバックミュージックとして「Attends ou va-t'en(涙のシャンソン日記)」を採用した。

1996年、ジャン=リュック・ゴダールが「Plus Haut(もっと高く)」(1980年録音)のプロモーションフィルムを撮影した。

1992年に夫ベルジェが死去。さらに1997年には娘のポーリーヌを嚢胞性線維症で亡くす。また自身も1990年代半ばに乳癌を患い、以降は表舞台に出ることはなく、実質上の引退状態となった。その後は数々の人道支援プロジェクトに参加した。

晩年は療養生活を送っていたが、2018年1月7日にパリ郊外の病院で死去した。死因は乳癌。70歳没。
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