男舞上演
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上村松園(1875年 - 1949年)「男舞」
松園の作品の中でも異色だと私思っている。完璧な女性像を描き続けた一連の作品と比較して構図ががっしりしていて、しかもいかにも勇ましい感じの気迫が感じられるからである。阿国同様傾いている舞姿であると思う。
ご縁劇場に私が出かけたのは、昼過ぎの公演でした。夜は寒いし疲れも溜まってしまうからです。私は長柄さんと出かけ、妻は佐山先生の奥さんと出かけました。会場は茣蓙席がほとんど満席でした。真ん中に通路がとってあるだけで残りの茣蓙には整然と観客が並んでいました。いわゆる来賓席らしきものは設けられていません。恐らく他の客と一緒に座っているのでしょう。
知り合いの姿をたくさん見かけました。農園の岡田さんもいました。冴子さん夫婦も見かけて驚きました。お父さんは心眼できちんと仙女さんの姿を見届けられることでしょう。京子さんのお母さんも見かけました。郁子さんのお父さんもいました。報道関係のテレビカメラも数台持ち込まれていました。
しかし、京子さん、笙子さん、郁子さんの姿は確認することができませんでした。郁子さんは今日の公演のスタッフ側なのでどこかで忙しく働いているに違いありません。しかし京子さん、笙子さんが来ないことはありません。不思議に思いましたが、私は探すのを諦めました。
舞台のプログラム順は、和太鼓、神楽、そして出雲の阿国でした。和太鼓は開会の合図、神楽は演劇への導入という設定のようでした。
阿国の劇は有吉作品の一つの山場、山三が登場する場面が公開されるという話を古賀所長から聞いていました。・・・その名に惹かれて見物に来た傾き者で名高い浪人の山三と阿国はたちまち恋仲となり、山三の奏でる笛とそれに合わせて踊る阿国はますます有名になって行く。つかの間の幸せに浸る阿国。ところが「天下一」の阿国と我が身を引き比べて鬱々とし始めた山三は、ある日姿を消してしまい、やがて殺されたことが伝わる。ショックを受けた阿国は、それさえも踊りの趣向に生かして行く。当初から阿国に想いを寄せていた傳介は、そんな阿国を痛ましく見守る。・・・という場面です。
やがて舞台左端から司会らしい若い女性が登場し、マイクの前に立ちました。同時に場内のざわつきは静まりました。
こんにちは。司会を務めさせていただきます瀬川と申します。どうかよろしくお願いいたします。年末のご多忙の中、このご縁劇場の初日公演にお出かけいただきありがとうございます。かつての小学校を利用したこの劇場を末永くご愛顧、ご支援いただきますよう最初にお願い申し上げます。私たちはこれからも皆様とのご縁を大切にして、皆様に愛される劇場を目指して誠心誠意努力いたします。これから上演いたします演目は・・・。
長柄さん、なかなかはきはきしていていい司会者じゃないですか。もしかしてプロかも・・・、と私が耳元でそういいました。
うちの娘だよ。フリーだよ、フリー。
えっ、娘さんフリーのアナウンサーやってんの。すごいじゃないですか。
家内が死んでから、仕事の合間にちょくちょく来てくれるよ。
そう、いいねえ。私は温かいものを感じ、ご縁劇場にとても似合っていると思いました。・・・幕が開いて、揃いの法被姿の若い男女が太鼓の前に整列し、一礼すると和太鼓の大音響が響きわたりました。私の体も共鳴するかのような重々しい響きでした。出雲を代表する和太鼓のグループで、私はどこかでこの演奏を聞いたことがありました。続いて神楽の上演が始まりました。出雲神楽のヤマタノオロチは一匹なので石見神楽と比べて迫力がありませんが、原形に近い舞いで、私はより親しみを感じていました。そしていよいよ出雲の阿国の上演が始まりました。・・・幕が開くと、舞台右端に囃子方が並んでいて、奥には松と八雲を描いた幕が垂らしてありました。囃子方の演奏が始まると、舞台下手から若衆衣装の中村仙女と十名の踊り子が舞いながら現れました。すると、会場からどっと拍手の音が湧きあがりました。そして中央で輪を描きながら優雅に念仏踊りを舞いはじめました。役者は皆首に大きな数珠をかけていました。
はい、なんもう、ひーいでん、おい、からかっとんで、からかっとんで、なーまみどー。・・・私はあでやかな舞い姿にみとれてしばらく恍惚とした気持ちになっていました。しばらく初めの踊りが続き、そして黒子が出て早変わりをし、次の踊りが始まると、花道から傾き姿の山三が姿を現し、ゆるりと一座のところへ近づいていきました。そして舞台の左端で立ち止まると、中心にいた阿国の舞いをじっと見つめる仕種をしました。すると、その姿に気づいた阿国が、はっと驚いたような恰好で見つめ返しました。
いい場面だね、と長柄さんが呟きました。そのとき会場から、セン・・・、という掛け声が聞こえてきました。
何と言ってるんですか。私が小声で聞きました。
センニョだよ。センだけが聞こえるように言うのが贔屓の客の証なんだって。
ということは追っかけが来ているという・・・。
そうだね。前のかぶりつきはほとんど追っかけだよ。・・・やがて舞台は山三の死を知った阿国が狂ったように一人で彷徨う場面を迎えました。山三さま、山三、あなたは私を残していずこへ・・・。美しい顔に憂いをにじませさ迷い歩く姿が、また別の恍惚とした気分に誘い込みました。とそこに三人の若い踊り子が現れ、阿国を導くように舞い始めました。私は、はっと驚きました。
三美神だ。長柄さん、あの三人ですよ。
やっと出ましたね。私はどこで出るのか楽しみにしていました。
貴方は知ってたんですか。
フェニックス喜多川さんから密かに特訓を受けていたことは知っていたけど・・・。
ひどいね。私にも教えてよ。
いや、いや、・・・驚かせようと思ってね。
しかし、旨いね。役者だよ、プロだよ。
ご縁劇場への中村仙女さんからのプレゼントだよ。
プレゼントね。私はそう言いながら何とも言いようのない思いが込み上げてきて、涙を催しました。そして、成功だよ、大成功、ご縁劇場万歳だよ、と呟きました。
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上村松園(1875年 - 1949年)「男舞」
松園の作品の中でも異色だと私思っている。完璧な女性像を描き続けた一連の作品と比較して構図ががっしりしていて、しかもいかにも勇ましい感じの気迫が感じられるからである。阿国同様傾いている舞姿であると思う。
ご縁劇場に私が出かけたのは、昼過ぎの公演でした。夜は寒いし疲れも溜まってしまうからです。私は長柄さんと出かけ、妻は佐山先生の奥さんと出かけました。会場は茣蓙席がほとんど満席でした。真ん中に通路がとってあるだけで残りの茣蓙には整然と観客が並んでいました。いわゆる来賓席らしきものは設けられていません。恐らく他の客と一緒に座っているのでしょう。
知り合いの姿をたくさん見かけました。農園の岡田さんもいました。冴子さん夫婦も見かけて驚きました。お父さんは心眼できちんと仙女さんの姿を見届けられることでしょう。京子さんのお母さんも見かけました。郁子さんのお父さんもいました。報道関係のテレビカメラも数台持ち込まれていました。
しかし、京子さん、笙子さん、郁子さんの姿は確認することができませんでした。郁子さんは今日の公演のスタッフ側なのでどこかで忙しく働いているに違いありません。しかし京子さん、笙子さんが来ないことはありません。不思議に思いましたが、私は探すのを諦めました。
舞台のプログラム順は、和太鼓、神楽、そして出雲の阿国でした。和太鼓は開会の合図、神楽は演劇への導入という設定のようでした。
阿国の劇は有吉作品の一つの山場、山三が登場する場面が公開されるという話を古賀所長から聞いていました。・・・その名に惹かれて見物に来た傾き者で名高い浪人の山三と阿国はたちまち恋仲となり、山三の奏でる笛とそれに合わせて踊る阿国はますます有名になって行く。つかの間の幸せに浸る阿国。ところが「天下一」の阿国と我が身を引き比べて鬱々とし始めた山三は、ある日姿を消してしまい、やがて殺されたことが伝わる。ショックを受けた阿国は、それさえも踊りの趣向に生かして行く。当初から阿国に想いを寄せていた傳介は、そんな阿国を痛ましく見守る。・・・という場面です。
やがて舞台左端から司会らしい若い女性が登場し、マイクの前に立ちました。同時に場内のざわつきは静まりました。
こんにちは。司会を務めさせていただきます瀬川と申します。どうかよろしくお願いいたします。年末のご多忙の中、このご縁劇場の初日公演にお出かけいただきありがとうございます。かつての小学校を利用したこの劇場を末永くご愛顧、ご支援いただきますよう最初にお願い申し上げます。私たちはこれからも皆様とのご縁を大切にして、皆様に愛される劇場を目指して誠心誠意努力いたします。これから上演いたします演目は・・・。
長柄さん、なかなかはきはきしていていい司会者じゃないですか。もしかしてプロかも・・・、と私が耳元でそういいました。
うちの娘だよ。フリーだよ、フリー。
えっ、娘さんフリーのアナウンサーやってんの。すごいじゃないですか。
家内が死んでから、仕事の合間にちょくちょく来てくれるよ。
そう、いいねえ。私は温かいものを感じ、ご縁劇場にとても似合っていると思いました。・・・幕が開いて、揃いの法被姿の若い男女が太鼓の前に整列し、一礼すると和太鼓の大音響が響きわたりました。私の体も共鳴するかのような重々しい響きでした。出雲を代表する和太鼓のグループで、私はどこかでこの演奏を聞いたことがありました。続いて神楽の上演が始まりました。出雲神楽のヤマタノオロチは一匹なので石見神楽と比べて迫力がありませんが、原形に近い舞いで、私はより親しみを感じていました。そしていよいよ出雲の阿国の上演が始まりました。・・・幕が開くと、舞台右端に囃子方が並んでいて、奥には松と八雲を描いた幕が垂らしてありました。囃子方の演奏が始まると、舞台下手から若衆衣装の中村仙女と十名の踊り子が舞いながら現れました。すると、会場からどっと拍手の音が湧きあがりました。そして中央で輪を描きながら優雅に念仏踊りを舞いはじめました。役者は皆首に大きな数珠をかけていました。
はい、なんもう、ひーいでん、おい、からかっとんで、からかっとんで、なーまみどー。・・・私はあでやかな舞い姿にみとれてしばらく恍惚とした気持ちになっていました。しばらく初めの踊りが続き、そして黒子が出て早変わりをし、次の踊りが始まると、花道から傾き姿の山三が姿を現し、ゆるりと一座のところへ近づいていきました。そして舞台の左端で立ち止まると、中心にいた阿国の舞いをじっと見つめる仕種をしました。すると、その姿に気づいた阿国が、はっと驚いたような恰好で見つめ返しました。
いい場面だね、と長柄さんが呟きました。そのとき会場から、セン・・・、という掛け声が聞こえてきました。
何と言ってるんですか。私が小声で聞きました。
センニョだよ。センだけが聞こえるように言うのが贔屓の客の証なんだって。
ということは追っかけが来ているという・・・。
そうだね。前のかぶりつきはほとんど追っかけだよ。・・・やがて舞台は山三の死を知った阿国が狂ったように一人で彷徨う場面を迎えました。山三さま、山三、あなたは私を残していずこへ・・・。美しい顔に憂いをにじませさ迷い歩く姿が、また別の恍惚とした気分に誘い込みました。とそこに三人の若い踊り子が現れ、阿国を導くように舞い始めました。私は、はっと驚きました。
三美神だ。長柄さん、あの三人ですよ。
やっと出ましたね。私はどこで出るのか楽しみにしていました。
貴方は知ってたんですか。
フェニックス喜多川さんから密かに特訓を受けていたことは知っていたけど・・・。
ひどいね。私にも教えてよ。
いや、いや、・・・驚かせようと思ってね。
しかし、旨いね。役者だよ、プロだよ。
ご縁劇場への中村仙女さんからのプレゼントだよ。
プレゼントね。私はそう言いながら何とも言いようのない思いが込み上げてきて、涙を催しました。そして、成功だよ、大成功、ご縁劇場万歳だよ、と呟きました。
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