あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: 記録映画の系譜_ニッポン国古屋敷村(小川プロダクション、昭和57年)、シーカヤック整備

2016年10月30日 | 旅するシーカヤック
2016年10月29日(土) この週も木曜金曜で東京出張。 このところ、毎週のように出張続きである。
今日は風が強いので、シーカヤックはハナから諦めて他のプランを模索。

いろいろ検索してみると、広島映像文化ライブラリーで『ニッポン国古屋敷村』という記録映画が上映されることがわかった。
調べてみると、なかなか評判も良いようであり、『あるくみるきく』をライフワークとする俺にはぴったりのドキュメンタリーのようである。

上映時間は、なんと210分。 3時間半という長編映画である。
映像文化ライブラリーは椅子がイマイチなので、長時間の鑑賞はなかなか厳しそうなため、今回は一人で出掛ける事にした。

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バスで広島へ。

風は強いが空は秋晴れで、気持ちの良い朝。

年に何度も訪れる『広島映像文化ライブラリー』


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今月は、記録映画の系譜というテーマで様々な映画が上映されているようだ。

『カラコルム』や『秘境ヒマラヤ』、『人間蒸発』なども観てみたかったなあ。

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映画は、夏でも寒いことがある古屋敷村の、ある夏の冷害の実態調査から始まった。

日々の気温の記録と、稲の開花と受粉状況の観察と記録。
同じ村内でも受粉状況の違う田んぼの調査。
山から吹き降ろしてくる『シロミナミ』というヤマセを、地形を模した立体模型とドライアイスの煙で再現して、冷たい風の影響を受けるエリアを詳細に確認していく。

稲刈りの終わった田んぼを掘り、地下の地質を調査することによって、その田んぼが50−100年近く耕作されてきたことを推測するなど、本当に様々な深堀調査を実施。
田んぼや稲の根っこにおける鉄分の影響、稲の開花や受粉の詳細なんて、この映画で初めて知った。

また今なら、コンピューターを使ったシミュレーション映像で見せることを、分かりやすい模型を使って素人にも理解できるように、本質をついて丁寧に解説していることには驚いた。

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途中で画面に、『休憩』という文字が。。。  これは黒澤映画か!
10分の休憩を挟んでの後半は、様々な人が登場して昔の話を語られる。

この村に嫁に来てから40年間、遠い山の上にある炭焼き小屋や田畑まで毎日何度も往復したお婆さん。
何が辛かったと言って、毎日重い荷を背負って往復する炭焼きが、本当に嫌だったとの事。
カメラが、その山道を登っていくのだが、登っていく映像と息遣いを見て聞いているだけで、その大変さが伝わってきた。

この急勾配の山道を、足元の悪いなか、重い荷を背負い、雨の日も風の日も雪の日も、毎日多い時には何度も何度も往復。。。

今はもう、この道を通わなくてもいいんだね、おばあちゃん。 本当にご苦労様でした。
これからは、今まで苦労した分、里のお孫さんと楽しい時間を過ごしてくださいね。

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あるお爺さんは、かつて皆んなで一生懸命道を作った事を語る。
その時には、道ができたらどんなに生活が良くなるかと、希望を持っていたそうだ。
それが、道ができて街との行き来ができるようになると、逆にこの村で貧しい生活をしていることが嫌になり、街に出る人が増えたとのこと。
また、電気が来てテレビが見られるようになったが、それも都会の生活と自分たちの生活とのギャップを知ることになって、村の人たちの考え方や価値観が大きく変わってしまったことを嘆いていた。

まさにこれが、以前言われていたような、高速道路の開通や架橋によるストロー現象そのものなのであろう。

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他にも、自ら志願して戦争に行き、恵まれた体格もあって選抜された優秀な兵隊さんとして活躍し、いろいろと勲章を貰った元軍人の方。
逆に徴兵で兵隊にとられ、誰のために・何のために戦争をしているのか解らないまま、殴られ、命令され、動かされ、なんとか生きて帰ってはきたが、生きているうちは絶対に戦争には反対していくという方。
壮絶なニューギニア戦線から生きて帰り、その後もラッパと軍服を大切にして様々な行事でラッパを吹いているという、熱く饒舌に戦争を語る方。

戦場で若い子供を亡くし、死亡通知だけ送られてきて、その後10年ほどは子供の死を受け入れられなかったと言うお婆さん。
紙切れ一枚で、遺骨も遺品もないまま、自分の子供の死を受け入れるというのは、いったいどんなものなのであろうか。。。

小さな村から戦争に行き、あるいは戦争で子供を亡くされるなど、様々な経験をされた複数の人々の視点で、戦争の多様な実態を浮き彫りにしていく。

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山では、炭焼きがとても大切な仕事の一つなのだとか。
雪の中、山を登り、木を切って、雪の斜面を利用して木を炭焼き小屋まで下ろしていく。
炭焼き小屋は、地元にある木や土、石、粘土などを使って、仲間と一緒に一から築き上げていくのである。

かつては村を出て、鉄道の工事の仕事をやったのだが、『仕事をするのに人に使われるのは本当に嫌だった。 同じ使われるのなら、炭焼き小屋に使われる方が自分には合っている。 今は、炭焼きの仕事をしているのが楽しくて仕方がない』という言葉を深く受け止める。

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また何年か毎に冷害で飢饉に襲われる村では、養蚕を始めたことで、暮らしむきに変化が起こったとの事。
最初に養蚕を始めた家では、本場に大工さんと一緒に行って養蚕小屋の構造を勉強し、また養蚕のプロにも来てもらって指導を受けたそうだ。
そのような努力の甲斐もあり、生糸の価格上昇を受けて、村では裕福に暮らせるようになった時期もあったとの事。

アップの映像になった蚕が、桑の葉をワシワシと食む音にはビックリ。

そんな栄華の時期には、村で花火大会も行われ、その時の事を今でも鮮明に覚えているというお婆さんのモノローグも心に残る。

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終わってみれば、あっと言う間の3時間半。
インタビューの場面では、話し手から自然な流れで話を引き出すというよりも、撮影する側からグイグイ食い込んでいく感じが少し気にはなったが、それでも地元の言葉で朴訥と話される昔の貴重な話の記録としては貴重なものだと感じた。
ものすごく感動するとかいう類の映画ではないが、『民俗学』に興味があり、『あるくみるきく』を実践している人なら楽しめる事は間違いない。

いやあ、これは良い記録映画に出会う事ができたなあ。
この週末も、なかなか充実した休みじゃあないか!

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翌、日曜日は、朝ごはんを食べるとシーカヤックを車から降ろし、シートの修理。

中古で買ったこのカヤックは、シートバックが劣化していたので、安物のエアマットを貼り付けていたのだが、さすがにそれも草臥れてきたので修理することにしたのである。

シートの生地を切って中のクッションを剥き出しにし、ベースから剥がす。

中のクッションはまだ使えそうなので、接着剤でベースに軽く固定。

シート生地の縫い付けられていた、バックルベルト部分を切り取り、シートバックに直接接着剤で貼り付ける。

これで、シートバックもこれまで通りの位置で支えてくれるだろう。

最後に、あまり出番がなくなっていた、ショートサイズの古いサーマレストをフロアに敷く。

これは昔、内田さんが雑誌で書かれていた、贅沢だがパドリング時の快適性を上げる方法で、いつかやってみたいと思っていたのである。
長時間の漕ぎでは、結構かかとに負担が掛かり、俺のかかとにはパドリング時にフロアにあたる部分にタコができているほど。

これで、足元が快適になるはず。 次回の漕ぎが楽しみだ!

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コーヒーを飲んで一休みすると、お昼ご飯を食べに妻と家を出る。

今日のお昼は、オレ達のお気に入りのラーメン屋さんの一つである、黒瀬の『まつうら』

今日は開店10分前に到着し、一番乗りであった。
俺は、エビ塩。 妻は、あさり塩。

いつもながら美味しいラーメンをいただいて大満足。
『ごちそうさまでした』

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買い物をして、少し遠回りして家に帰ることに。

久しぶりに、懐かしい海沿いの道をドライブ。
コンビニでコーヒーを買い、海岸沿いの公園でしばし休憩。

『こんな時間も久しぶりだね』

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家に戻ると、メダカの水槽の水替えをし、アウトドアグッズを収納しているスペースを整理整頓。
ロードスターを久しぶりに洗車&ワックスがけして、すっきりさっぱり!

この週末は、海には出なかったけれど、なかなか充実した休みであった。
さて、来週はどこ行こう?

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