その時、スーパーの床が大きく揺れた。
何が起きたのか?
誰かが「怖い!地震だ!」と叫んだ。
天井を見上げると照明が大きく揺れている。
売り場面積を最大限確保するために、この売り場は柱の数が少ない上に細い。
幼児を抱き抱えた若い母親が「どうすればいいの~」と泣きそうな顔で蹲る。
咄嗟に、この場所は危ない!と直観。 買い物を入れた籠をその場に置き、
「外に出なさい!」と叫んで、1階に駆け上がった。
若い母親と数名の人が、私の後に続いた。電柱を避け、テニスコートの真ん中に
集まった。
第二はの揺れが収まった段階で、自宅に戻った。家に帰ってからも
何度か大きく揺れた。ドアを開け、2階に避難し防災用のリュックを出して
点検、水、お菓子、果物を詰めて傍に置いた。防火頭巾も用意。
揺れが収まった3時過ぎに、虎の門にある夫の事務所に電話を入れた。
大きな揺れで所員たちはパニック状態で、ビルの外に逃げ出した様子。
夫は、「ビルは上の階ほど安全だ」と所員に伝え、外に出なかった。
全員早めに帰宅させて、今一人だと電話がかかってきた。
交通機関は全てストップ。歩いて帰宅できる距離でもなく、体力もない。
友人の車で6時過ぎに夫を迎えに出かけた。
道路は既に車で大渋滞。それでも2時間後の8時過ぎには事務所に着いた。
帰路が今度はもっと渋滞。こんなに車が有ったの?と思うほど、路地と言う
路地から車がじゅじゅ繋ぎであふれ出てくる感じ。虎の門の交差点から六本木の
交差点まで2時間以上かかった。
途中、コンビニを見つけては立ち寄ったが、おにぎり、弁当、パン類、直ぐ食べられる
物は全く無くなっていた。
家に帰りついたのは何と午前2時40分。家を出てから9時間。
でも、何はともあれ無事に家に帰れただけでも、幸せだと感じ感謝だ。
また、虎の門周辺、六本木周辺は地盤が弱い危険な場所だ。
そんな場所を承知で車を出してくれた友人にも本当に感謝、感謝。
この地震で、携帯電話が全く役に立たない恐怖感を味わった。
また、帰宅経路を日頃から打ち合わせておく事の重要性を再認識した。
車に防災用のリュックを持ち込んだので、その中の水、お菓子、果物で
飢えを凌げた。コンビニのトイレも初めて利用させてもらった。
被災地の東北地方の方々のご苦労と悲しみを思うと、何かしないではいられない。
私達に何が出来るだろうか。
何が起きたのか?
誰かが「怖い!地震だ!」と叫んだ。
天井を見上げると照明が大きく揺れている。
売り場面積を最大限確保するために、この売り場は柱の数が少ない上に細い。
幼児を抱き抱えた若い母親が「どうすればいいの~」と泣きそうな顔で蹲る。
咄嗟に、この場所は危ない!と直観。 買い物を入れた籠をその場に置き、
「外に出なさい!」と叫んで、1階に駆け上がった。
若い母親と数名の人が、私の後に続いた。電柱を避け、テニスコートの真ん中に
集まった。
第二はの揺れが収まった段階で、自宅に戻った。家に帰ってからも
何度か大きく揺れた。ドアを開け、2階に避難し防災用のリュックを出して
点検、水、お菓子、果物を詰めて傍に置いた。防火頭巾も用意。
揺れが収まった3時過ぎに、虎の門にある夫の事務所に電話を入れた。
大きな揺れで所員たちはパニック状態で、ビルの外に逃げ出した様子。
夫は、「ビルは上の階ほど安全だ」と所員に伝え、外に出なかった。
全員早めに帰宅させて、今一人だと電話がかかってきた。
交通機関は全てストップ。歩いて帰宅できる距離でもなく、体力もない。
友人の車で6時過ぎに夫を迎えに出かけた。
道路は既に車で大渋滞。それでも2時間後の8時過ぎには事務所に着いた。
帰路が今度はもっと渋滞。こんなに車が有ったの?と思うほど、路地と言う
路地から車がじゅじゅ繋ぎであふれ出てくる感じ。虎の門の交差点から六本木の
交差点まで2時間以上かかった。
途中、コンビニを見つけては立ち寄ったが、おにぎり、弁当、パン類、直ぐ食べられる
物は全く無くなっていた。
家に帰りついたのは何と午前2時40分。家を出てから9時間。
でも、何はともあれ無事に家に帰れただけでも、幸せだと感じ感謝だ。
また、虎の門周辺、六本木周辺は地盤が弱い危険な場所だ。
そんな場所を承知で車を出してくれた友人にも本当に感謝、感謝。
この地震で、携帯電話が全く役に立たない恐怖感を味わった。
また、帰宅経路を日頃から打ち合わせておく事の重要性を再認識した。
車に防災用のリュックを持ち込んだので、その中の水、お菓子、果物で
飢えを凌げた。コンビニのトイレも初めて利用させてもらった。
被災地の東北地方の方々のご苦労と悲しみを思うと、何かしないではいられない。
私達に何が出来るだろうか。