11月17日(日)、新潟市北区において開催されました、「第10回新潟県空手・拳法道選手権大会」に、今年も参加させていただきました。
「新潟県空手・拳法道選手権大会」は、新潟市北区(旧豊栄市)を中心に活動されている「実戦空手道 理心館」様が主催されている組手競技の大会で、私ども新武会は、毎年参加させていただいています。
今年の大会には、新武会から3名が出場させていただきました。
小学6年生の部には、Y4級が出場しました。
初戦を勝ち上がり、準決勝に進みましたが、技ありを取られ敗退し、第3位となりました。準決勝戦の試合を見ていると、積極性に欠け、自分から攻める場面が少なかったように思います。積極的に、どんどん攻める組手を今後の課題にしてほしいと思います。
小学3年生の部には、Y9級が出場しました。
Y9級は、今回が初めての試合出場です。かなり緊張していたようですが、積極的に攻めていました。一瞬気を抜いたところに上段回し蹴りを決められ、技ありを取られて敗れましたが、初試合にしては良くがんばったと思います。更なる精進を期待します。
小学1・2年生女子の部には、長岡道場の I 7級が出場しました。
1回戦シード、2回戦は上段回し蹴りで合わせ一本勝ちし、決勝に進出しました。
決勝戦、先に相手選手に技ありを取られながら、あきらめずに攻め続け、終盤技ありを取り返して本戦は引き分け。延長戦も互角の勝負で引き分け。勝負は再延長戦にもつれこみました。再延長戦では、相手に技ありを取られ、敗れましたが、見事な戦いぶりでした。
I 7級は、長岡道場での稽古の他、新潟道場の組手選手クラスの稽古にも出稽古に来て、厳しい稽古に耐え、今大会に備えました。また、家でもお父様にミットを持ってもらい、自主稽古を欠かさなかったそうです。そんな努力が実ったのだと思います。これからも地道に稽古を重ね、次は優勝を目指してがんばってほしいです。
最後になりましたが、大会に参加させてくださった、実戦空手道 理心館 館長 野口藤春先生はじめ理心館の諸先生方、関係者の皆様方に、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。押忍 大会を終えて。皆、お疲れ様でした。
◎ 荻川コミュニティセンター教室稽古
基本稽古、型
型競技錬成大会に向け、型中心の稽古
稽古を見ていて、小学4年生のSさんの立ち方が、ずいぶんしっかりしてきたな、と感じました。稽古後、お母様に聞いたところ、毎日「結び立ち中腰」の稽古をかかさないとのこと。なるほどと納得しました。
私は、道場生の皆に「型が上手くなりたかったら、結び立ち中腰の稽古を毎日やりなさい。」と常々言っています。Sさんは真面目な性格で、私の言ったことを素直に受け止め、毎日こつこつと努力を続けていたのです。それが、確実にSさんを上達させていました。空手の上達に近道はありません。地道な努力あるのみです。Sさん、これからもがんばれ!!
◎ 長岡道場出稽古
○ 1部
基本稽古、型、ミット稽古、軽自由組手
基本稽古の後は、型競技錬成大会出場選手は大会の課題型を、出場しない選手は、ミット稽古と軽自由組手を実施
○ 2部
軽自由組手
まずは、明日、組手の大会に出場する I さんを基立ちに軽自由組手を数セット。
続いて、武空杯に出場するSさんを基立ちに、突き技のみ上段攻撃ありの軽自由組手を数セット
◎ 11月14日(木) 本部道場 レディースクラス
補強、基本稽古、型
型競技錬成大会に向けた稽古を実施。レディースクラスは、いつもは2~3人の寂しい稽古なのですが、今日は6人も出席(!)。賑やかな稽古でした(^-^)
今日は鳥屋野体育館休館日のため、夜の稽古はお休みでした…(^_^;)
◎ 11月15日(金)
○ 本部道場 ジュニア初級者クラス
基本稽古、型、ミット稽古、型試合稽古
型競技講習会に向けた、型中心の稽古
○ 本部道場 ジュニア上級者・一般合同クラス
補強、基本稽古、ミット稽古、軽自由組手
筋トレから組手競技用の基本稽古。ミット稽古は近間合いでの中段回し蹴り。
最後は軽自由組手を40秒×14セット
○ 本部道場 一般部特別クラス
補強、基本稽古、ミット稽古、約束組手、軽自由組手
武空杯大会に向け、上段突きのミット打ちから、上段逆突き、上段順突きの受け返しの約束組手
最後は、突き技限定上段攻撃ありの軽自由組手を1分30秒×5セット
昭和52年(1977年)、私が高校2年生の時、極真会館新潟支部主催の「裏日本空手道選手権大会」が初めて開催されました。当時、極真会館の大会と言えば、「全日本空手道選手権大会」以外、ほとんど行われていない時代でした。
極真会館の本格的な地方大会は、当時の秋田支部主催の「北日本空手道選手権大会」が最初だったと記憶しています。新潟支部主催の「裏日本大会」は、北日本大会の次くらいに開催された地方大会だったと思います。(あくまで私個人の記憶です。違っていましたらご容赦ください。)
祈念すべき第1回大会を制したのは、尊敬するU先輩でした。裏方として雑務をこなしながら、先輩方の試合を見ていた私は、自分もいつか試合に出てみたい、と思うようになりました。
私の初めての試合出場は、すぐにやってきました。それは第1回裏日本大会の翌年、昭和53年(1978年)、私が高校3年生の時でした。
その大会とは、新潟市秋季市民体育祭の空手道大会でした。現在では信じられないでしょうが、その年の新潟市秋季市民体育祭の空手道大会は、伝統派ルールの部と極真ルールの部が、それぞれ行われたのです。
どういう経緯でそのような大会が行われたのかはわかりませんが、伝統派と極真会館が協力して大会を開催したのです。その後、同様のことが行われたことはなく、最初で最後の、夢のような大会(伝統派とフルコンが手をつないだらどんなに空手界が発展するかと思っている、私のように人間にとって)でした。(こちらも、あくまで私個人の記憶です。これ以外にも、当時伝統派と極真会館が協力して開催した大会がありましたらご容赦ください。)
実は、私はこの大会に選手としてエントリーしていませんでした。当日は運営の手伝いと応援の予定だったのです。ところが、朝会場に行ったら、選手が欠場したか何かで急遽「お前出ろ」ということになったのです。当時、先生や先輩から何かを命じられたら、「押忍」と言って受諾するしかありませんでした…。
対戦相手はI先輩でした。必死に戦いましたが、結果は判定負け、ほろ苦い試合デビューでした…。ちなみに、この大会を制したのも、第1回裏日本大会チャンピオンのU先輩でした。
その翌年、「第2回裏日本空手道選手権大会」が開催されました。「裏日本大会」は、2年に一度の開催だったのです。今回は私も最初からエントリーし、大会に向けて自分なりに稽古を積んで出場しました。私は緑帯になっていました。
現在行われている大会の多くは、段・級位や体重等によって細かくクラス分けされていますが、当時の大会はすべて全日本大会同様で、段・級位は関係なし、体重無差別、サポーター類もファールカップ以外は禁止でした。
1回戦は新発田支部のT先輩でした。実力的には、かなうはずはないと思いましたが、とにかく動き回り技を出し続け、終わってみたら何と判定勝ちを収めることが出来たのです。「試合で勝つことが出来た。」当時の私にとっては、本当に夢のようでした。
2回戦はS先輩。私と同じように小柄な先輩でしたが、きれいな動きをする先輩で、自分もS先輩のような動きが出来るようになりたいと密かに憧れていました。結果は判定負け。しかし、技ありを取られることなく、最後まで試合場に立っていられたことで、自分に少し自信を持つことが出来ました。
この第2回大会もU先輩が優勝され、二連覇されました。前年の伝統派との合同大会も入れれば、大会三連覇です。大山倍達総裁は「三連覇してこそ真のチャンピオン」とおっしゃっていましたが、U先輩は真のチャンピオンと呼ぶにふさわしい、素晴らしい先輩でした
私は、この二度の試合経験から、「試合に勝ちたい」「大会で入賞したい」「チャンピオンになりたい」という気持ちが強くなり、「競技としての空手」に傾倒して行くようになったのです。 第2回裏日本大会。試合を終えて
19歳の頃。極真空手道の師 関川博明先生と
19歳の頃。現極真館新潟県支部長 都築教靖先生と