われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

信じて待つ、ということ。

2006-06-01 17:02:00 | Weblog
 ある晴れた日の朝のこと。
 いつものように通園バスが園に到着してきたので、園児玄関先にいた私はバスのほうへ歩み寄り、順番に降りてくる子どもたちに「おはようございます」の挨拶をしていました。
「おはよう!せんせい!」「せんせい、おはようございます」「せんせい今日もいい天気だね!」「せんせいきょうもようちえんにきたよ!」などなど、子どもたちはそれぞれ元気な挨拶を返してくれます。

 やがてある年長組の女の子が私の前を通り過ぎようとした時、彼女はほとんど聞こえるか聞こえないかわからないくらいの微かな声で「おはようございます」と言いました。私はハッとして彼女を見ましたが、彼女はすぐに視線をそらし照れくさそうに玄関の中へ入って行ってしまいました。一瞬空耳じゃないかと思いましたが間違いありません。確かに「おはようございます」と言ってくれたのです。

 こうして事実だけを書くと決して特別なことでもない、ありふれた朝の光景ですが、実は私たちにとって(少なくとも私にとっては)それは画期的な出来事なのでありました。ごく控えめに言って、私は思わず飛び上がりたくなるほど嬉しかった。なぜなら、彼女はその時はじめてきちんと声に出して私におはようを返してくれたからです。入園してからはじめて。

 もちろん、私には彼女が心の中でいつもちゃんとおはようを返してくれていたことがわかっていました。声に(音に)出して伝えることができなくても、私には聞こえていました。それは表情や仕草や目を見ればわかります。そして、子どもの心をきちんと受け止めようという気持ちがあれば、それはそれほど難しいことではありません。たいせつなことは、「ほんとうに本気で聞こうとしているか?」ということなのですね。

 そもそも挨拶というものは人に強制されてするものでは決してないので、私たちも子どもたちに指導する上では無理に言わせるようなことはありません。そういうことは自発的に出来なければ何の意味もないのです。しかし、彼らが自発的にそうしようと思ってくれるようにするために、では私たちはどうしたらよいのでしょう?そこが子どもたちと日々関わる私たちにとって一番重要なポイントです。無理に言わせては意味がなくなり、かといって放りっぱなしでは教育ではなくなる。難しく考えればどこまでも難しい問題ではありますね。しかし、私たちが考える方法は案外シンプルなものなのです。それはどういうことかというと、

 1.言葉で命令するのではなく、自らの行動で示す。
 2.人としてどう在りたいか、自らの考えを語る。
 3.子どもたち自身の中で変化が起きるまで、ただひたすら信じて待つ。

 頭ごなしに言われてその人の言うことを聞きたくなる人間なんていません。それは大人も子どもも同じこと。けれど好きな人のすることは真似してみたくなる。だから口先で言うのではなく、態度で示す。
 人の生き方は十人十色、どんな生き方をしたっていい。だから、あなたはこんな人間になりなさいなんて、人が人に言うことなど本当はできないのです。ただ、自分はこんな人になりたいと語り続けることならできる。どんな生き方がより良い生き方なのか、問い続けることならできる。
 本当にその人(子)のことを思うなら、時には口を閉じてただじっと待ってみることも必要。とにかく信じて、待つ。じっと待つ。ひたすら待つ。根くらべ。しかし待つ身は辛いものでありまするね。それは永遠よりも長く感じることがある。そんな時には空を見上げて、深呼吸をいたしましょう。待つことは、じつは近道なのです。

 その年長組の女の子はそれ以来、あさ私と会うときちんとした挨拶をしてくれるようになりました。声は決して大きくありませんが、ちゃんと届いています。大人になっても挨拶ひとつもろくにできない人間がたくさんいる今の世の中で、彼女はすでに立派な生き方をしているではありませんか!そうは思いませんか?
 いま、信じて待つ、ということ。


 さて、明日明後日と私たち教職員は真人キャンプの事前調査のため園をお休みさせて頂き、妙高高原と黒姫高原へ行ってまいります。しっかりと調査してまいりますので、どうぞご了承ください。
 それでは皆さん、良い週末をお過ごし下さい。


 【今日の一枚】
きょうは歯科検診が行われましたが、どの学年の子どもたちも落ち着いて粛々と受診しておりました。その時の様子です。
コメント
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